夏も去った10月のとある一日、バイ・アレーナに日差しが降り注ぎ、観客席の上を心地良いそよ風が吹き渡っている。赤外線ヒーターと一体化したアルミニウム製シートによって養生された芝生はきちんと整えられている。そこに、レヴァークーゼンのFWケヴィン・フォラントが無造作なグレーのパーカースタイルで現れた。
27歳のフォラントは上機嫌で『Goal』のインタビューに応え、1860ミュンヘンでの寮生活についてオープンに語り、バイエルンではなく1860ミュンヘンを選んだワケや、そもそも子供時代の彼がアイスホッケーのスティックを手放してフットボールシューズを履くに至った経緯を明かした。
さらに、ユース時代に身につけるべき大切な心構えが十分に伝えられていない現状を指摘し、熱い視線を浴びるチームメイト、カイ・ハヴェルツへのアドバイスを披露すると共に、“偽物の”友人を見分ける方法も教えてくれた。
■父の影響でアイスホッケー

――ケヴィン、あなたのお父さんのアンドレアスはアイスホッケーのプロ選手で、ヘドス・ミュンヘンに所属していた1994年にはドイツ・チャンピオンにもなりましたね。お父さんの現役時代のことを覚えていますか?
父がミュンヘンで最も大きな成功を収めていた頃、僕はまだ2歳だったから、ほとんど何も覚えてないんだ。幸い祖父が父の試合をビデオに撮ってくれていたから、少し大きくなってからは、ワールドカップの試合やクラブでの試合をいろいろ見ることができたよ。キャリアを終える頃には、父は2部リーグやオーバーリーガでプレーしていた。その頃のことは今でもよく覚えている。よく家族みんなでスタジアムへ観戦に出かけたからね。
――スポーツという観点からも、お父さんはあなたにとって手本となる存在だったんですか?
もちろんだよ。兄弟も僕も全員が、昔も今も父のことをとても誇りに思っている。父の試合を見ると、その後すぐに僕たちは地下室(ドイツの多くの家屋には地下に家事室や遊戯室がある)へ走っていって、ストリートホッケー(アイスホッケーのルールに従ってグラウンドや体育館で行う)で遊んでいた。よく弟と僕は父のプレーを真似したものだ。外に出て、裏庭でもやっていた。そういう時はどっちか一人がゴールに立って、もう一人がスティックを手にペナルティショットを狙ったんだ。
――あなたも最初はクラブでアイスホッケーをやっていましたね(レヴァークーゼンにはフットボールのほかにも様々なスポーツ部門がある)。どうしてスティックを手放してフットボールシューズを履くことになったんですか?
アイスホッケーの場合、特に子供の頃はいろいろと大変なことが多いんだ。母は弟と僕の着替えのたびに手伝わなければならなかったし、練習へ行くのに車で30分かかっていた。フットボールだと、今も昔もそこらへんがずっと簡単にいくんだ。ちょっと庭やボルツプラッツ(ドイツの街角のあちこちにあるミニグラウンド)へ行けば、すぐに始められるんだから。それに7歳になった頃、僕はフットボールの方が楽しくなった。だからフットボールをやることにしたんだよ。
――お父さんは悲しみませんでしたか?
いや、父はまったく気にしてなかったね。親というのは、子供が何をしたがっているのかよく知っているものだ。僕の両親が重要だと考えていたのは、兄弟や僕が新鮮な空気に触れながら屋外で長い時間楽しく過ごすということだ。両親は、僕に是非アイスホッケーをやらせたいと思ったことは一度もないんじゃないかな。
■「最近軽視されている」こととは?
Goal――弟さんのロビンはあなたより2歳年下ですね。庭やボルツプラッツでフットボールをやる時はお互いに乗り気だったんですか?
子供の頃のロビンはちょっとおとなしくて、僕ほど落ち着きのない子じゃなかったんだ(笑)。彼は僕と一緒にボールを蹴ってはいたけれど、とにかく僕の方がエネルギーにあふれていて、いつでももっともっとやりたがっていた。子供時代の僕たちは朝から晩までフットボールをやってたよ。
ただ、ロビンは午後には家へ帰るようになった。彼にはつまらなかったんだ。それから僕が何度も弟を口説いて、夜の8時になったら地下室の遊び場のホッケーゴールでまた1対1の戦いをやることになった。僕たちは何度も何度も2人で対戦したよ。弟がいなかったら、たぶん僕はプロのフットボーラーになっていなかったんじゃないかな。
――あなたはいつ、自分が同じ年頃のほかの子供たちよりもフットボールがうまいと気づいたんですか?
それは当時の仲間に訊いてもらわないと(笑)。小さな子供たちに交じって、後で少し大きくなってからはEユース(10~11歳)時代に、僕は相手の選手たちより自分の方が力があると感じていた。後ろから前までドリブルで突破したり、クロスを送ったり、自分でゴールを決めたりしていたよ。うぬぼれてるように聞こえたら嫌なんだけど、間違いなく僕には才能があったんだ。
――あなたは15歳で1860ミュンヘンへ移りました。1860はどういう経緯であなたに目をつけたんでしょう?
1860へ行く前、僕はFCメミンゲンやTSGタンハウゼンにいた。どちらも、ユースの最上位リーグではあったけど、残留争いを演じているようなクラブだった。けれど僕はバイエルン選抜チームに招集されていたから、そこで1860やFCバイエルンやアウクスブルクの選手たちと一緒にプレーしていたんだ。たぶんその時に1860が僕に目をつけたんじゃないかな。
――1860では寮で暮らすことになりました。つまり故郷を離れることになったんですね。
僕は家族と非常にうまくいっていた。それに、生まれた街には素晴らしい仲間や友人たちがたくさんいた。だから、確かに寮で暮らすということは、僕にとっては非常に大きな変化だった。それでも、寮に入ったミュンヘンは近くの街だったから、故郷からそんなに遠く離れはしなかったけどね。
――寮の“普段の”一日はどんなふうに過ぎていくんですか?
みんなすぐに自立して、結果を出さなければというプレッシャーを初めて感じるようになる。スポーツだけでなく学校でもね。学校で馬鹿なことをすれば、夕方のトレーニングに参加させてもらえなかったんだ。僕と仲間たちは朝の7時に朝食で顔を合わせて、高速鉄道で45分の距離にあるタオフキルヒェンのスポーツ学校へ通っていた。4時半まで授業があって、それからまた電車に乗って帰り、7時になってもトレーニングが終わらない時には、もっと遅くなってから夕食を食べていた。その後に学校の宿題を片付けなければならなかったんだ。
――なかなかハードな生活のようですね。
すごくハードだったよ。だけど今になって振り返ると、とてもいい勉強になったね。
――寮での生活を通じて身につけたものはありますか?
1860では規律と厳しい努力とチームスピリットが重視されていた。ラース・ベンダーやスヴェン・ベンダー、あるいはユリアン・バウムガルトリンガーを見れば間違いなくわかるようにね。最近はそういうものが軽視されていると思うんだ。
――と言いますと?
Aユースには、大きな才能がいつも話題になっているような選手たちがいる。けれど、そういう選手がプロチームの練習に参加させてもらうとしたら、全力で頑張ってみせなければならない。それだけではなく、どうしたらチームメイトの力になれるかということにも気を配る必要がある。たとえそれが練習用のゴールやボールの入ったネットを運ぶといった雑用であってもね。謙虚さというものが大切なんだ。すぐにブンデスリーガでたくさんの試合に出られるのが当たり前だと思うべきではないし、そこを出発点として考えてはいけない。
■バイエルンを選ばなかった理由
Getty――あなたは当時、あのバイエルンからも練習に招待されていました。それなのに、なぜ1860ミュンヘンへ行こうと決めたんですか?
1860の方がプロになれるチャンスが大きいと思ったんだ。あの頃の1860はユースの育成に力を入れていて、自分たちで育成した優れた選手をトップチームに入れようとしていた。バイエルンの場合は事情が違う。バイエルンにはすでに素晴らしいメンバーが揃っていたし、ワールドクラスの選手たちと契約する資金だってあったからね。
――寮で暮らした後、あなたはミュンヘンのシェアハウス住宅でチームメイトのマルクス・ツィアーアイスと一緒に暮らしていましたね。どうしてそういうことになったんですか?
マルクスは僕の最高の仲間だ。僕たちはお互いにすっかりわかり合っている。一緒にシェアハウスするとしたら、それがすごく重要なことだと思うんだ。3年間寮で暮らして、僕たちはもう、映画を見にいったり友人と食事に出かけたりするのに、いちいち許可をもらわなければならないのが嫌になっていたんだ。あの時一歩を踏み出したのは正解だったよ。僕たちはすごくクールな時間を過ごせたんだから。
――プロのフットボーラーにとって、友情を育むのに使える時間はどのくらいあるんですか?
いい友人を持つことと健全な家族関係を築くことは何より重要なことだ。僕の仲間たちはみんな同じようなタイプなんだよ。僕たちはできるだけ頻繁に顔を合わせるようにしている。大勢の仲間が結びつくようになってから、グループはますます大きくなっている。休暇にもよく一緒に出かけたりしているよ。

■“偽物”の友情も経験…
――本物の友情だけでなく、“偽物の友情”を経験したこともありますか?
何人かについては、「こいつは本当に僕のことが好きなんだろうか? それとも、僕が有名なフットボーラーだってことが気に入ってるだけなんだろうか?」と自分の胸に尋ねたことがある。少し時間が経つと、誰が本物で誰が偽物かちゃんと見分けられるようになったよ。
――何か具体的な例を挙げて説明してもらえますか?
何年間も音沙汰がなかったのに、突然『ワッツアップ』でメッセージを送ってきたり、ユニフォームやチケットが欲しいと頼んできたりする連中がわりといるんだ。僕がスランプになったりすればまた連絡が途絶えて、一つゴールを決めればまた連絡してくる。大勢のプロのフットボーラーたちが似たような経験をしていると思うよ。
――レヴァークーゼンがチャンピオンズリーグへの出場を決めた後、インスタグラムに楽しい動画が投稿されていましたね。あなたとカイ・ハヴェルツが『愛を感じて』(アニメ『ライオン・キング』の挿入歌)を歌っている動画です。あれはどういう経緯で?
僕たちはチーム全員でバルセロナにいた。あれは、僕のキャリアの中でも最高に素晴らしい遠征だったよ。他のチームメイトたちもそう思っているはずだ。カイと僕が歌っている動画を見れば、僕たちの間に素晴らしい一体感があるのがわかるだろう。あの時カラオケ・バーには4人の観客しかいなかったけど、僕たちは1万人を前に歌っているような気分だった。身も心も擦り減らすようなハードな1年があったからこそ、ああいった時間を過ごすことができたんだ。
■「最高の監督は明確なイメージを持っている」

――昨年の冬、ピーター・ボスがレヴァークーゼンの新監督に就任しました。彼はどんな人物ですか?
彼は選手を発奮させるのがうまいけれど、同時に自分の求めるものをとてもわかりやすく説明することもできるんだ。いつも僕たちに一つのプランを持たせてくれる。そして試合のいろいろなシーンを見せながら、起こりうるシナリオを示してくれるんだ。難しい局面では特に、それがものすごく役に立つんだよ。
――うまくいかなければハーフタイムに監督が怒りを示すこともあります。ボス監督はそういったタイプなのでしょうか?
もちろんそういうこともあったよ。彼は常に、僕たちが最大限の力を発揮することを期待している。僕たちは彼の下ですでに多くのいい試合を見せてきたから、要求も高くなっているんだ。だから、彼のイメージ通りに事が運ばないと、それが彼を怒らせることになる。彼には、僕たちがもっとうまくやれるとよくわかっているからだ。そんな時に彼が怒るのはもっともなことだよ。
――レヴァークーゼンはボスの下で戦術的に成長したと思いますか?
間違いなく成長したね。けれど、彼のシステムでは誰もがしっかり自分の役割を果たすことを求められている。一人でも勝手なことをすれば、厳しい状況になるからだ。特にディフェンダーにとってはね。守備はまず攻撃陣から始まるのであって、僕たちは100%監督のプランに忠実にプレーする必要があるんだ。僕たちにそれができれば彼のプランが動き出して、僕たちは戦術上の新たな段階へ歩みを進めることができるんだよ。
――ですが、ボスの戦術はあまりに攻撃的でリスクが大きすぎると見る向きも多いようです。
明確なイメージを持っていて、それを実際にやり抜くような監督こそ最高の監督だ。もちろん、状況によってはそういうプレースタイルはリスクを伴うこともある。けれど、僕たちが求められていることをやってのければ、早い段階でボールを支配してゴールへの近道を手にすることができる。もし気を抜けば、スペースが生まれて厄介なことになってしまうということは言えるけどね。
■若きタレント、ハヴェルツへの思い
Getty――これまでで最高のチームメイトと言えば、誰が挙げられるでしょうか?
それはもう大勢いたね。ホッフェンハイムではロベルト・フィルミーノとすごく息が合っていた。僕たちはお互いにたくさんのゴールをアシストし合ったよ。彼は素晴らしい相棒だった。昨シーズンはカイ・ハヴェルツやユリアン・ブラントともすごくうまくいっていた。全体としてレヴァークーゼンの仲間には何も文句をつけるところがないね。レヴァークーゼンは素晴らしいチームだよ。
――お話にも出ましたハヴェルツはヨーロッパで最も注目を集める才能の一人であり、彼がこれからどうするのか、ほとんど毎日のように新しい噂が流れています。今のような状況に置かれた彼にどんなアドバイスをしたいですか?
彼は両親とよく話し合って、自分が100%満足できるような決定をするべきだろう。絶対に悩みを抱え込んだりしてはいけない。悩みがあるとろくなことにはならないからだ。「自分が本当にやりたいことをやれ」っていうのが、僕のシンプルなアドバイスだろうね。
――彼が初めてトレーニングに参加した時のことを振り返ってみてください。
カイが才能溢れるフットボーラーだということはすぐにわかったよ。彼は背は高かったけど、まだ今ほどたくましい体つきじゃなかった。彼と1対1で戦った時のことを今でもよく覚えている。「まあ、Aユースのこいつなら僕の体格で簡単に料理してやれるな」と僕は思ったんだ。けれど、カイが思ったより手強いってことを認めざるをえなかったよ。それに、彼はいつでも知識欲が旺盛で、常に新しいことを覚えようとしているんだ。
――最近の彼はロッカールームでどんな様子ですか?
ロッカールームでの彼はすごく愉快なやつで、彼とならいろいろと馬鹿なことがやれるんだ。さっきも話したようにね。彼の年齢を思えば、それも納得がいく。反対にピッチの上では、彼はすでに非常に大きな責任を担うようになっている。
インタビュー・文=デニス・メルツァー/Dennis Melzer
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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です



