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Gabriel Batistuta

バティストゥータ氏「激痛のあまり足を切断してくれと頼んだ」引退後の壮絶な日々を回顧

20:00 JST 2019/10/19
2019-10-19 1998 Batistuta
アルゼンチンのレジェンドである稀代のゴールハンター、バティストゥータ氏が引退後に歩行が難しいほど関節の痛みに悩まされていたことを振り返っている。

アルゼンチンのレジェンドであり、セリエAで一時代を築いたストライカー、ガブリエル・バティストゥータ氏が、引退後に激痛と運動障害に悩まされていたと語った。

バティストゥータ氏はイタリアメディア『コリエーレ・デラ・セラ』のインタビューで「痛みが激しく涙が止まらない時もあった。医師に『足を切断してくれ』とも頼んだんだよ」と当時のことを振り返っている。

「私が現役のキャリアを終えるとともに、足の関節がおかしくなっていることが判明した。骨と骨の接合部分の軟骨がすり減っていてね。当時の体重は86~87キロほどあったんだが、少し動くだけでも激痛が走ったんだ」

「(マルコ)ファン・バステンも同じような問題を抱えていたようだね。関節を悪くして苦しみ、28歳でピッチから去った」

「私は痛みが最も酷い時、何日かベッドから出られなかった。痛くて痛くて『もうこんな毎日を送るのはイヤだ』と涙が止まらなかった。そんな状態があまりに続くものだから、知り合いの医師に『足を切断してくれ!もうこんな人生はイヤなんだ』とまで言ったよ」

バティストゥータ氏は「そんな状態がしばらく続き、痛みに耐えながら改善策を見出そうとしていた。少なくとも6~7年続いたんだ。そして特殊な装具を使ったりして、ようやく普通に歩くことができるようになった」と続け、引退後は長らく関節の激痛に悩まされていたことを明かした。

1969年生まれ現在50歳のバティストゥータ氏はアルゼンチンにニューウェルス育ちで、トップデビュー後にリーベル・プレート、ボカ・ニュニオルスと名門を渡り歩き、1991年にイタリアのフィオレンティーナへ移籍。

フィレンツェでは9シーズン過ごし、94-95シーズンには26ゴールで得点王のタイトルを獲得。また、この間フィオレンティーナでは9年連続でリーグ戦2ケタ得点、通算168ゴールを奪う活躍を見せた。スクデットを獲得するために移籍したローマでは中田英寿氏と同僚になり、初年度の00-01シーズンから悲願のリーグ優勝を経験。インテル、アル・アラビと渡り歩いて2005年に現役を引退した。

アルゼンチン代表としても1991年~2002年の間に78試合56得点をマークしており、リオネル・メッシ(68得点)に抜かれるまでアルゼンチンの代表最多ゴール記録を保持していた。

日本が初めてワールドカップに挑んだ1998年のフランス大会初戦では、アルゼンチンのエースとして日本から決勝点(0-1)を奪った。また、1994年のギリシャ戦、1998年のジャマイカ戦と、異なるW杯2大会でハットトリックを記録した唯一のプレーヤーでもある。

1990年代に“世界最高のゴールハンター”、“バティゴール”とも称されたアルゼンチンのレジェンドだったが、引退後しばらく表舞台に出てこなかった理由は、医師に足の切断を直訴するほど痛みに悩まされていたことが大きかったようだ。

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