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Patrick Ittrich Schiedsrichter 2018Getty Images

ドイツ主審が考えるVARの問題点…選手が行う「最も我慢ならない行為」とは?/インタビュー

ブンデスリーガの審判パトリック・イトゥリッヒは、歯に衣を着せずに語るのを好む。現在40歳になるイトゥリッヒは『Goal』のインタビューに応えてハンブルク=ハムでのデビュー戦や降格の経験について語り、時には謝罪を拒みたくなる理由や審判として最も我慢ならないことは何であるかを明かす。

さらにVARを巡る議論についても触れ、ハンドのルールが持つ問題点を指摘する。

■審判としての第一歩から世界最高峰のリーグまで…

REFEREE PATRICK ITTRICH COLOGNE DARMSTADT GERMAN BUNDESLIGA 27082016

――あなたがブンデスリーガの審判になり、警官になるまでの道のりには非常にたくさん話のタネがあるでしょうけれど、審判にも警官にもなるつもりはなかったというのは本当ですか?

その通りだ。僕は機械工として働いていて、エレベーターを作る仕事をしていたんだ。けれどあまりにも退屈な仕事で満足することができなかった。ある日そばを消防車が走り抜けて、その車体に“消防士募集中”と書いてあったんだ。それで僕は消防隊に応募したんだよ。この頃すでに、僕は審判の道へ進むこともちょっと考えていた。僕自身がフットボールをやっていたからだ。それも10番のポジションでね(笑)。で、ある時考えたんだ。僕が選手やファンとして見てきた審判たちより自分の方がもっとうまくやれるんじゃないかって。そしたら、当時僕を支援してくれていたウーヴェ・アルベルトが警察にも応募してみるよう勧めてくれたんだ。理由としてあるのは、ひとつは将来的に審判として経歴を積むには警察の仕事の方がいくらか向いてそうだったからだ。そしてもうひとつは、正直言ってその時は消防より警察の仕事の方がいいように思えたんだ。消防の仕事では事故現場へ駆けつけることが多くて、あまり好ましくないものを目にすることになるからね。

――ですが、審判として一番下のリーグから仕事を始めて最初の試合に臨む時にも、あまり好ましくない経験をさせられますよね。

クライスリーガ(ドイツの最下位リーグ)での最初の試合のことは今でもよく覚えている。ハンブルク=ハム(ハンブルク東部の地域)のぞっとするようなグラウンドでファティシュポルの試合の審判を務めたんだ。会場に着くと、すでにパトカーが2台やって来ていた。いくらかいざこざが起こることが予想されていたからだ。審判になって下位のリーグで仕事を始めると、ひどい罵声を浴びせられることもある。実際、すぐにまた辞めてしまう者も大勢いるんだよ。

――あなたはブンデスリーガへたどり着くまでに、審判として降格も経験しましたね。審判にもそんなことがあるわけですが、ひどい経験でしたか?

最初のうちはこれ以上ないほどの打撃だったよ。それで辞めていく審判もたくさんいるんだ。最初のうちは、「いつか自分はこの経験のおかげでもっと強くなれるだろう」なんてことは思わないものだ。ひどいケガをした選手がそういう発言をすることもあるし、実際そう言うしかないんだろうけど、それでもあれはきれいごとだよ。練習して身につけたきれいごとだ。そんなふうに思うわけがない。こう考えるんだ、「なんてヘマをしでかしたんだ。だけど、そもそもやりたくてやったわけじゃない」ってね。あれは非常につらい経験だった。僕にとって運が良かったのは、アシスタントとしてプロリーグに残れたことだ。それが僕の支えになったんだ。だから僕は気を取り直して、その後はもっと上を目指したんだ。

――いつか頂点を極めて、ブンデスリーガの舞台でホイッスルを鳴らすことを目指したんですね。

ブンデスリーガまでたどり着いたときは最高の気分だった。「いいか、昔あんなふうにスタートしたちっぽけな虫けらのお前が、今ドルトムントで8万人のファンを前にスタジアムへ駆け出すんだぞ」ってね。そう思うと本当に胸が一杯になった。白状すると、あの時は自分を誇りにも思ったし、そこまでこぎ着けたことで自分をねぎらってやったよ。そこへ行くまでにはたくさんの人たちが助けてくれたし、特に妻や家族の全員が力になってくれた。けれど、まず何より自分自身の頑張りに感謝しないではいられなかったんだ。そんな時には、ちょっと自分で自分を褒めてやってもいいと思うね(笑)。

■「審判はロボットじゃない」

Wout Weghorst, Wolfsburg - Schalke, 08252018Getty

――何一つうまくいかないような時だって否応なしに訪れるでしょうから、なおさらですね。昨シーズンのヴォルフスブルクとシャルケの一戦では、試合が終わらないうちから、これはひどい一日になりそうだとわかるものですか?

当然だよ。僕がオン・フィールド・レビュー(主審がピッチ脇のビデオでプレーを確認する)の後で判定を変えるという事態が2度目に起こった後、あの試合が僕にとって非常に困難なものになることははっきりわかっていた。試合の様子が変わり、選手たちの態度が変わり、自分の気分が落ち着かなくなる、そういったことすべてに気づくんだ。試合のコントロールが効かなくなってはいなかったから、まだそれをもって良しとしようとは思ったけれど、もちろんいい一日じゃなかった。反対に、始まってから20分も経つと、今日は何も起こらずにうまくいくことがわかるような試合もある。幸いそういうこともあるんだ。だけど僕はそれに関して別のことを聞いてほしいと思っている。

――どうぞ、おっしゃってください。

僕たち審判は自分たちを選手と比較するわけにはいかない。フットボールの試合は選手が作るのもので、審判のものじゃない。僕たち審判には、正しい判定を下した時に拍手を送ってくれるようなファンもいない。それは僕たちの宿命だし、それで結構だ。だけど僕たちを、最高に親切な態度でどんな判定も間違わずに下すことのできるロボットのように思ってほしくないんだ。僕たち審判にも間違いは許されるし、それどころか成長するためには間違うことだって必要だ。そして、僕に理解できないのは、審判が判定の後で屈辱的な譲歩をした上に何千回も謝らされるってことだ。

――世間では、審判には謝罪することが期待されていますよね。

まさにそれが問題なんだ。けれど、へまをやらかしたことは全世界が見ている。それでも、時にはとにかく謝る気になれないこともある。マイクの前に立って、謝罪の言葉を口にする気になれないんだよ。自分自身もへとへとなんだよ。何と言っても、へまをやった試合の後なんだから。僕たちは試合後に自分の判定について説明して、後は周りの判断に任せることが大事なんだが、必ずしもそんなふうにはなっていない。その辺を理解してほしいんだ。説明が終わって3秒後にさっそく謝らなかったというので非難されることがかなりあるからね。選手だったら3発ゴールを外しても許されるし、それに応じて釈明を求められることもない。最後に決勝ゴールを決めればヒーローになる。さっき言ったように、審判が自分たちを選手と一緒にして考えるわけにはいかない。けれど、僕たち審判が今話したような状況に置かれてどんなふうに感じているかを知ってほしいんだ。試合が終われば僕たち審判もすぐにその日の仕事の見直しを始めて、それはもう徹底的に検討するんだ。試合が失敗に終われば、その後の月曜に休みを取ることもある。自分で考えたり、それからたとえば、審判の指導資格を持つ人や信頼できる人たちに電話で相談する時間が必要だからだ。

――ですが幸いなことに、うまく運ぶ試合もたくさんありますね。そんな時には審判の控え室でガッツポーズが出るんですか?

もちろんさ。非常にうまくコントロールできた試合の後では、控え室で勝利のガッツポーズもやるね。僕は自分のことを選手とまったく同じようにスポーツ選手だと思っている。まさに選手と同じような感情の高まりを覚えるし、同じように野心に燃えているんだから。もちろん僕たちも、審判チームのみんなでいいパフォーマンスができたことを盛大に喜び合うよ。一番素晴らしいのは、1日経てば開催されたかどうかさえみんなが忘れてしまうような試合だね。審判から見て、まったく何の騒ぎも起きずにすべてが進行するような場合だ。審判の仕事が僕に何の喜びももたらさないなんてことはあるはずがない。ピッチに立って判定を下すことができたり、選手や監督たちと言葉を交わしたりするのは素晴らしいことだ。子供なら誰でも、いつか観客席を出てピッチに立つことを夢見ているものだ。僕は今そこに立っているんだからね。ウォーミングアップの時から胸が一杯になっている。そんな気持ちを味わえて、できるだけすぐにまたそんな気持ちを味わいたくてたまらないと思う、そういう毎日を送っていることをありがたいと思っているよ。

――ウファで行われたヨーロッパリーグの予選の一戦で“第4の審判員”に任命されたことも、胸が一杯になるような経験でしょうね。

(笑って)誰がウファ(バシコルトスタン共和国の首都で、モスクワから1500km余り離れている)までやって来るって? 誰も来ないさ! 冗談はさておき、そんなに遠くまで出かけるのはなかなか骨の折れることだ。年齢から考えて、もう国際試合の審判員リストに載るチャンスがない僕のような者にとってはね。それでも、実際素晴らしいことでもある。ウファではレンジャーズの監督のスティーヴン・ジェラードが僕の隣に立ってたんだが、ものすごく感じがよかったよ。クールな経験だったね。ヨーロッパリーグでは、バーンリーとアバディーンのプレーオフの一戦にも第4の審判員として立ち会った。狭いスタジアムで、ちょっとザンクト・パウリの古びたスタジアムに似てたんだが、観客席は満員で、2人の感情的なイングランドの監督がサイドラインに控えていた。彼らは試合の間中激しい言葉を投げつけ合っていたけれど、試合が終わると握手していたよ。僕はその間に立って、2人の好きなようにやらせておいたね(笑)。こういう遠征はほんとに楽しいものだ。

■最も許せない行為とは?

2019-08-23-referee

――選手たちが審判に対して信じられないような態度を取ることがありますね。彼らがしょっちゅう審判に詰め寄って責めたてるような時には、もっと頻繁にレッドカードを出すことでそれを改めさせることはできないんでしょうか?

それは本当に難しい問題なんだ。確かに理屈の上ではできるだろうと思うけれど、それが僕たち審判のためになるかどうかはわからない。もしそんなふうにするとすれば、みんなで足並みをそろえなければならないし、全員がその通りにやらなければならない。だが、そんなことをして意味があるんだろうか? 実にいろいろな性格の、様々な審判が大勢いるんだよ。試合のコントロールに対する解釈もまったく違っている。これまでにも、より厳しい態度で臨んでたくさんカードを出す審判たちがいた。けれど、それほど厳しくしない審判たちもいる。彼らのタイプや試合のコントロールの仕方に合わないからだ。どちらのやり方も間違っているとは言えない。それが重要な点なんだ。

僕たちが今一般的な方向性を決めるとしたら、それが試合をコントロールする時に邪魔になるかもしれない。残念ながらフットボールの世界には、本当は正しくない態度をとっても許してもらえるようなところがある。問題は、それと付き合うにはどうするのが一番良さそうなのかということだ。思春期真っただ中の自分の娘と何かのことで徹底的にやり合ったとして、それから僕はどうするだろう? 罰を与えるだろうか? それとも、娘を抱きしめて他の作戦で行くだろうか? フットボールの場合もまったく同じで、選手に向かって「おい、いったいどうしたんだ? リラックスしろよ」と声をかけるような状況がある。すると選手の興奮が収まって、試合全体が落ち着きを取り戻すようなことが何度もあった。状況を別にしても、そういう対処の仕方は、誰にとってもカードを出して追い出すよりずっと気持ちのいいものになるだろうからね。それでも限度というものがあるし、僕には一つ我慢ならないことがあるんだ。

――それはどんなことですか?

審判に食ってかかる行為で、FIFAが“審判への集団威嚇”と呼んでいるものだ。まったく当たり前の判定を下したのに5~6人の選手がやって来て、審判を取り囲むような場合だ。それが頭に来るんだよ。キャプテンとか、一人と話し合って議論するのなら、それはまったく問題ない。けれど、一人の人間に対してしょっちゅう5~6人で圧力をかけてくるというのはあってはならないことだ。それに対抗することもできるにしても、そんな場合にどう対処するかという方針を立てることが必要だ。サイドラインにいる者たちの振る舞いについてもよく考えなければならない。この問題については、新シーズンから監督やチームスタッフ全員に対してもカードを出すことができるようになるから、それが僕たちの助けになるかもしれない。それによって監督の振る舞いにももっと光が当てられるようになるだろう。

■「ハンドはハンド」なのか?

VAR Video Assistant RefereeGetty Images

――VARという観点から見て、あなたは昨シーズンをどう評価しますか? 結局のところ、誰もがこの問題のために神経質になってばかりいましたね。

シーズン全体を一つにまとめて評価するのは難しいよ。本当にいろいろな局面があったからね。改善の余地がある場合もあったけれど、はるかによくなったこともあった。ちょうど正弦曲線みたいに上がったり下がったりしていた。けれど、僕は全体としていい評価をしたいと思っている。忘れてならないのは、VARを巡る議論が最後にはハンドの問題に置き換えられてしまうことが多かったという点だ。最も重要なのは、他のファウルには誰も関心を持たず、どこかでまたハンドの問題になってしまったということだ。VARを巡る議論はその根本において、一種のハンドについての議論になっていた。全体として言えるのは、僕たちが今どういう段階にあるかを考えなければならないってことだ。今はまだ、完璧な運用は無理な段階にある。たとえば、スマートフォンが使われるようになったのはいつのことだった?

――正確に言えば2007年(初代iPhoneが発表された年)のことですね。

出たばかりの頃のスマートフォンは何も使いものにならなかった。まったくお粗末な代物だった。いろいろと新しいモデルが出てから、やっと本当に素晴らしい技術になったんだ。今では何かアップデートが来ると、僕たちがクリックすればそれで完了だ。何も文句を言うことはない。VARに関して言えば、フットボールの歴史の上で最大の変革だというだけで、最初からすべてが完璧に進んでいくことが期待されている。けれど、そうはいかないよ。それは無理な話だ。うまくいくまでには時間がかかるものだ。そして、僕たちはピッチの上で審判が下す判断を受け入れる必要がある。判断の余地というものはいつまでも残り続けるだろうからね。

――ただし、ハンドプレーがあれば“ハンドはハンドだ”と判定する、その場合は別ですね。

だが、誰もそんなことは望んでいないんだ。僕はこれまでずっと自分がフットボールをやってきた。僕たちの仲間内では常に、誰かがわざとボールを手で弾いたら、それがハンドだった。それ以外は決してハンドとは見なされなかったよ。他の場合はすべて、体の動きにつれて自然に起こったことだった。けれど、これは僕の個人的な意見だ。

――これからはハンドのルールが修正されますが、それによって何が変わると思いますか?

新しいルールは明確なものになっている。故意であろうとなかろうと、肩より先の腕や手にボールが触れていれば、すべてハンドと判定されるという点でね。他にも、直接ゴールを決めるプレーに手が関与していてはならないという点も明確になっている。この場合もまた、故意かどうかは関係がない。新しいルール体系では、他にもハンドプレーの解釈をより狭く限定するようないくつかの基準が作られている。それ以外のいくつかの状況の場合は審判の判定に委ねられている。確かにその点についてはさらに議論が重ねられるだろうが、議論によって何かが変わることはないだろう。僕は議論しても意味がないと思っている。ルールは決められるように決まるんだ。正直言って、結局僕にとってはわりとどうでもいいことでもある。僕は審判としてルールブックに書いてある通りにやらなければならない。警察官としての僕もデモに出かけていって、参加者を守らなければならないのと同じだ。場合によっては彼らのことをまったく快く思えないとしてもだ。だが、それが僕の仕事なんだよ。僕たち審判はルールを全体としてあるがままに受け入れなければならないし、今とは違ったものであればよかったとは必ずしも言えない。ルールを適用する場合には少しでも平穏な状態が生まれなければならないし、僕たち審判はさらにいっそう一貫した判定を下せるように努めなければならないのだから。僕たちは今そのために努力しているんだよ。

――議論の時に、注意力が足りないというので審判が非難されると腹が立ちますか?

僕たちには注意力が欠けてるんだろうとかルールを知らないんだろうとか言われるのを聞くと、唖然とするしかないね。絶対にそんなことはない。それなのに、審判でもない人間が僕に対して、自分の仕事をどんなふうにやらなければならないか説き聞かせるんだ。一度でも想像してみるといいんだ、僕が試合の後に監督のところへ行って、もっと違った選手の使い方をして別のシステムでプレーさせるべきだったなんて言うところを。そんなことをしたらどうなるだろう…。人間的なミスが起こって、それでそのシステム全体が破綻するなんてことがあっていいはずがない。たとえば、レキクのハンドは見過ごされてしまった(※現地時間2019年5月4日に行われたヘルタ・ベルリンvsシュトゥットガルト戦でハーフタイムにレキクのハンドを指摘する声が上がったものの、VAR判定は行われなかった)。けれどそういう時には、その審判がミスを犯す以前に500もの試合で素晴らしい仕事をしてきたことに、突然誰も注意を払わなくなってしまう。そんなことは間違っているよ。

――おそらくレキクのケースではチャレンジ(※ビデオ映像で判定の確認を求めること)を行っても何の意味もなかったでしょう。誰も見ていなかったんですから。けれどもう一歩踏み出すとすれば、チャレンジを行うのが筋道だったでしょう。

チャレンジを行えば、ある意味では責任が先送りされることになるだろう。だが、よく考えてほしいんだが、チャレンジを行ったとしても半々の確率ということで決着して、どちらにも解釈できる結果にならないとは限らないんだよ。

――それでも、クラブが手をこまねいているのではなく、少なくとも確認を要求して、後でその結果をスタジアムにいる全員にはっきり伝えなければならないようにできるとしたら、その方がいいはずです。

オーケー。だけどフットボールでは、アメリカンフットボールのように頻繁に試合を中断したりはしない。どうやればそういったことをさっさと進められるだろう? そのすぐ後にファウルがあって、すでにまた試合の局面が変わっている場合はどうするんだ? ルールの運用面から言ってそれほど簡単なことじゃないね。IFAB(国際フットボール評議会)がルールを決めているんだ。

■「ピッチの上の審判こそ最も適切な判断ができる」

Patrick Ittrich Borussia Dortmund 1 FC Koln Bundesliga

――その通りですね。ですが、もうひとつ気になる点は、NFL(アメリカンフットボールのプロリーグ)では最終的判定を下すのはニューヨークの本部で、ピッチの上にいる審判ではありません。それなら誰も処分を受けることはないでしょう。けれどフットボールの場合には、ピッチに出ている審判が最終的判定を下すことを皆が望んでいます。それはなぜなのでしょうか?

ピッチの上にいる審判こそが試合のダイナミズムを肌で感じていて、最も適切に判断を下すことができるからだ。ビデオアシスタントはピッチの上の審判と同じ資格を持っていて、同じように一心に仕事に打ち込んでいるけれど、試合が行われているその場にいるわけじゃない。だからピッチの上の審判が判定を下して、その様子をまたみんなが見ている方がいいんだよ。

――ビデオアシスタントは試合のダイナミズムを感じとる必要はなく、映像に集中して判断することを求められています。

けれど、映像や判断だけが重要なわけじゃない。いろんな場面で、ピッチの上で最初に見た時にペナルティーキックを取るには当たらないと思うようなことがある。それからじっくり映像を見て接触があったのがわかっても、やっぱり僕にはペナルティを取る必要があるとは思えない。そういう時、映像があればもう言い逃れは通用しないと言う人たちが大勢いる。もちろんそういう場面だってあるだろう。けれど僕は、審判としてピッチに立っている自分が、あらゆる要素を考え合わせて最終的判定を下すのに最適の立場にあると思っている。

――あなたは初めに「審判は自分が間違いを犯すことも許す必要がある」と言っていましたね。以前フランク・ヴィレンボルク、ホルガー・ヘンシェルと一緒にあなたが命を救ったババク・ラファティは、完璧でいなければならないというあまりにも強い衝動を、自殺を試みることになった原因の一つとして挙げていました。自分が間違いを犯すことを許すのは難しいですか?

自分に間違いを許すことが、それを正当化することになってはならない。どんな分野の仕事にもプレッシャーはあるし、上手下手は別にして誰でもそれに対処していくことはできる。その場合問題になるのは、どうやったら上手に対処できて、どうやったらうまくいかないか、どうやって自分にとっての正しい道を見つけるかということだ。僕は野心的な人間で、一つも間違いを犯したくないと思っている。けれど、間違いは起こりうるものだし、起こるはずだってことを受け入れれば、それで気持ちが軽くなるし、うまくいけばよりいっそういい仕事ができるようになる。全体として見れば、僕たちは審判の仕事をしていく上でVARという新しい監視システムを手に入れたところだ。このシステムはすでに、成果を出すのを迫られているような段階にはない。これは有益な進歩だよ。

インタビュー・文=フロリアン・レーゲルマン/Florian Regelmann

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