■青春を救ってくれたリヴァプールの存在
Getty「あなたがクラブを選ぶのではなく、クラブがあなたを選ぶのだ」
こういった言葉がスポーツの歴史にはあるが、これは真実だ。
イギリスから何千マイルも離れた場所で生まれ育った私には、地元に応援すべきクラブはなかった。そしてビートルズに夢中になった若かりし頃の私は、当時の監督だったラファ・ベニテスの指揮するチームを見てみたいとの思いも相まって、リヴァプールのカラーに染まっていく。
リヴァプールのサポーターであるということは、私を救ってくれた。暗い高校時代を過ごした私にとって、毎週末のレッズ(リヴァプールの愛称)の試合を観ることは希望の光だった。それがたとえ、ロイ・ホジソンによるトラウマになりそうな期間であってもだ。
フェルナンド・トーレスがクラブを去ったときは悲しみ、アンディ・キャロルがケガをしたときには恐ろしい思いをしたけど、いつでも私はリヴァプールの試合を楽しみにしていた。
負けたときには悔しい思いをしたけど、そのぶん勝利のときの喜びは、どんな小さなゲームだったとしても何倍にも大きく感じられた。
■ジェラードがアイドルだったけど…
Getty私にとって世界最高の選手だったクラブのキャプテン、スティーヴン・ジェラードは私たちのヒーローだった。彼はまさにパーフェクトな選手。生粋のリヴァプールファンであり、地元生まれ、純粋で欠点がなく、クラブのためにその身を捧げてきたプレーヤーだ。
私はアンフィールドと深く結びついた、リヴァプール一筋のジェラードやジェイミー・キャラガーが大好きで、彼らは崇高な存在であるとさえ感じていた。
しかし、そんなジェラードを敬愛する理由こそが、私が心底愛するクラブとの距離を感じてしまう理由でもあった。
1人でいるときには、自分がリヴァプールファンであることを気にすることはないが、ソーシャルメディアやオンラインフォーラムで、そしてアンフィールドを訪れて他のファンと交流する際には、突然他人の目が気になってしまうのだ。
スティーヴィー(ジェラードの愛称)みたいに白人のイギリス人ではなく、リヴァプール出身でもない私は本当のリヴァプールファンと言えるのだろうか?ちゃんとしたファンだと胸を張るためには、アンフィールドに足繁く通って多くの試合を見届ける必要があるのではないか?リヴァプールの人々は、私が赤いマフラーを巻いていてもアメリカ訛りで話していれば、どんな風に思うのだろうか?ひょっとして自分はファンとしての価値が低いのではないか?
そんなネガティブな思いが、ときに頭を渦巻く。
Getty私を育ててくれたイギリス人の義理の父は生粋のウルヴスファンであり、フットボールファンであることに誇りを持っていた。幼い頃に初めてモリニュー・スタジアム(ウルヴスの本拠地)に連れていってもらい、サポーターたちの頭が邪魔でほとんどピッチが見えなかったという思い出話は嫌というほど聞かされた。ウルヴス・オレンジをお揃いで身にまとった家族写真を見せてくれたこともある。
ただ、私は共感はできなかった。私はリヴァプールとデジタルで結びついており、テレビやコンピューターのスクリーンからこの関係は生み出されたものだ。
私がイギリスを訪れ、義父がウルヴスの試合に連れていってくれた際には、サポーターたちが「we support our local team.(地元チームを応援するんだ)」というチャントをしきりに歌っている声が聞こえた。
初めてアンフィールドを訪れたときには、何かがおかしいことにすぐ気づいた。メインスタンドの私たちがいるセクションで、母を除けば白人ではないのが私だけであることに気がついたのだ。パニックになった。誰かが私に対して、「ここにいる資格はないから家に帰れ」と言ってくるのではないかと気が気でなかったのだ。
■サラーの中に見つけた自分
Getty Images時計の針を2017年まで進めよう。その年リヴァプールは、モハメド・サラーを3700万ポンド(当時のレートで約52億円)で獲得していた。当時の私はまだ、愛するジェラードが2015年にロサンゼルス・ギャラクシーへと移籍してしまったショックを引きずっていた。彼はもうリヴァプールのプレーヤーではないというのに、私はホームユニフォームに彼の名前をプリントしてもらうほどの一途な愛を貫いていたのだ。
ジェラード以上に愛を注げるプレーヤーは今後現れないであろうと思っていたそんなとき、サラーがチームへと合流した。彼はリヴァプールで生まれ育ったわけではない。むしろその正反対といってもいいだろう。
イギリスから遠く離れたエジプトでプロデビューし、スイスで名を挙げた。それから、一度はロンドンへとやってきたが、活躍することなく主戦場をイタリアへ移した。そんなキャリアをたどり、マージーサイドへと流れ着いたのだった。
だが、彼がゴールを沈めるたび、私を含めたKOPは心を奪われていった。サラーは私と同じ移民であり、褐色の肌を持ち、ムスリムでもあった。
彼は自らがアラブ人であることを隠したりはしない。キックオフの前とゴールを挙げた後にはピッチにひざまづいて祈りを捧げ、天を仰いでシャハーダ(信仰告白)をおこなう。セネガル人のサディオ・マネもまたムスリムであり、サラーと並んでひざまづく姿は印象的だ。
GettyImage彼の妻はヒジャブを身にまとい、言葉の訛りも相当のものだが、自らの信仰について胸を張っている。彼はまさしくモハメドという名を持ち、恥じることなく褐色の肌を見せ、あごひげをたくわえており、誰が見ても一目で彼がムスリムであることが分かるだろう。
フットボーラーとしてのスキルがずば抜けていることに加え、彼は謙虚で慎ましく、慈悲深い心の持ち主であり、笑顔を絶やすことがない。そのため彼の行動や誠実さ、話す言葉から感じられる信仰心を除けば、比較的物事に無関心な印象を受ける。
結果を出した選手に対してはいつもそうであるように、一気にスターダムを駆け上がった彼にレッズのサポーターは惜しみない賛辞を送った。すぐに彼らはサラーのための新しいチャントも用意した。Dodgyのヒットソング『Good Enough』に合わせ、彼らは『If he scores another few / Then I’ll be Muslim, too.(彼がもっと点を決めれば、俺もムスリムになるよ)』と口ずさんだ。
私はこれまで、白人たちが彼のように明らかなムスリムのプレーヤーをオープンに受け入れている姿を見たことがなかった。サラーを見ていると、私は他のサポーターと変わらないと感じさせてくれる。私は白人のイギリス人男性ではないけれど、リヴァプールを応援する気持ちは他のサポーターと何ら変わりないのだ。きっと私だけではなく、他の白人ではないフットボールファンも同じ気持ちで彼の中に自分を投影しているだろう。
今や母国エジプトで国民的ヒーローとなったサラーは、世界中のムスリムと褐色の肌を持つ人々の誇りでもある。
サラーやマネと同じ肌の色を持つフットボールファンの心が少し軽くなり、彼らがこれまでよりも、フットボールを身近に感じられていると、私は確信している。
私がホームユニフォームに、ジェラード以外の名をプリントしたのはサラーが初めてだった。そして今なら、このリヴァプールへの愛が生まれ故郷や肌の色とは関係がないことを胸を張って言える。
私の心は、いつでもサラーと共にあるのだ。
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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です
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