プレミアリーグで活躍するヘンリク・ムヒタリアンの実力は、昨年7月にマンチェスター・ユナイテッドに3000万ポンド(約45億円)で移籍するよりも前から分かっていた。アルメニア代表史上最多得点記録保持者であるムヒタリアンは、オールド・トラッフォードへの移籍から遡ること3年前、すでにリヴァプールのスカウトチームから注目されていて、“移籍優先対象”タグが貼られていたのだ。
Getty Images当時リヴァプールの監督を務めていたブレンダン・ロジャーズは、2013年にムヒタリアンと電話で数回会話を交わしていた。その電話でロジャーズは、攻撃的ミッドフィルダーである彼がいかにチームにフィットするか、そしてどれほどチームをさらに高みに登らせることができるかを本人に説いていたという。
何度かに渡る電話での説得によって、ムヒタリアンは少しずつ当時所属していたウクライナのシャフタール・ドネツクからリヴァプールへ移籍すべきだと考えるようになっていた。しかしロジャーズのラブコールもむなしく、彼が新天地に選んだのはボルシア・ドルトムントであった。
なぜ彼は、ここまで多くの期待を寄せられながらもリヴァプールに行かなかったのか。その重要な移籍を拒んだのは、現在まさにそのリヴァプールの監督を務める男、ユルゲン・クロップである。
遡ること今から4年前。ドルトムントの指揮を執っていたクロップは、島で過ごしていたバケーションを早めに切り上げ、この多彩な才能を持つ選手と面会した。この面会こそがムヒタリアンの心をつかんだようだ。彼は『11 Freunde』でこう語る。
「チームのプレーが気に入ったから、ドルトムントに行くことに決めたんだ。選手たちも僕のことを気に入ってくれたよ。そしてチームにはユルゲン・クロップという偉大な監督がいた。クロップと話をした後、僕はドルトムントにしか行きたくなくなっていたんだ」
そうして移籍を果たした最初のシーズン、ムヒタリアンは年間を通じて13得点10アシストの活躍を見せた。しかしその一方でドルトムントは多くの負傷者に苦しみ、続く2014-15シーズンは敗戦が続いてチームはクライシス(危機)状態を経験した。その後の結末はご存じの通り。シーズン後にチームを去ったクロップとともに、彼の調子も低下した。
しかしムヒタリアンはクロップの後任、トーマス・トゥヘルが採用したプレースタイルによって蘇る。そしてこの時の活躍は、後にジョゼ・モウリーニョの支持によって、現在所属するマンチェスター・Uに加入するきっかけとなった。

だが彼がここまでの成功を手に入れることができたのは、クロップの教えがあったからこそだ。
「僕がドルトムントへ加わった時、クロップは僕に“自分を解放するように”って言ったんだ。いつもフットボールのことだけを考えるのはいいことではないってね。彼の言ったことを僕は少しずつ理解し始めたよ」
昨シーズン、彼は約3カ月近くもの間、出場機会に恵まれなかった。だが、その苦しい時期に彼が思い出していたのは、クロップのアドバイスである。
ムヒタリアンは今年2月、『Football Focus』の取材の中でクロップへの感謝の言葉を述べている。
「ドルトムントにいた時、悪いプレーが何試合も続くと僕はとても強いストレスを感じていたんだ。でもその時に僕が進むべき道を示してくれたのがクロップだったんだよ。彼は僕をサポートし、プレーに納得できなくても顔を上げなくてはいけないと言ってくれたんだ。そうすればいいことがやって来るからってね。彼は僕の人格や精神面に大きな影響を与えたよ。僕がよりよい選手になるためにサポートしてくれたんだ」
そんな彼の気持ちに対し、クロップはどのように感じていたのだろうか。ドルトムントの監督として迎えるラストゲームの2日前、『Reading the Game』の中でこう話している。
「ムヒタリアンが世界で最も才能に恵まれた選手の1人であることについて、私は何の疑いもないよ。彼は信じられないほどのスピードとテクニックを持っている。こんなことを言うことができる選手は本当に数少ないんだ。でも彼は自分自身に対する期待度が少し低めだね。少しでも悪いプレーをすると凹んでしまう。小さな失敗もフットボールの一部、そして、大きな失敗もフットボールの一部と言うことを忘れてはならないよ」

そして、ムヒタリアンの母国に対してもこう言及した。
「なぜサッカー大国ではないアルメニアからムヒタリアンのような素晴らしいプレーヤーが輩出されたのか。その答えは簡単で、彼らは考え、ハードワークをすることができるからなんだ。そして頭と体の動きを融合させる。でもそれは物事がうまくいかない時、自分自身を責めるきっかけにもなるよね。他でもない自分のどこかに問題があるだってね」
Getty Images現時点で、ムヒタリアンの5アシストを上回るのは6アシストを記録しているダビド・シルバだけである。今シーズン、主にピッチの真ん中でゲームメーカーとして機能しながらサイドにも広く顔を出したムヒタリアンは、1試合あたり平均3本の重要なパスを繰り出し、これまでに17のスルーパスと11のビッグチャンスを生み出している。
かつてリヴァプールは、ムヒタリアンがチームの決定的な存在になるというビジョンを描いた。そしてドイツで彼によりよい心理的な準備の方法を教え込んだのは、現在そのリヴァプールの監督を務めるクロップだ。
今シーズン、苦戦の続くクロップはユナイテッドの攻撃陣を羨んでいるかもしれない。一方で、赤い悪魔の一員として輝きを放つムヒタリアンの姿を見るドイツ人指揮官の表情は柔らかさを含んでいるに違いない。
文=メリッサ・レディ/Melissa Reddy
