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アーリング・ハーランド:世界最高の19歳が世界最高になるために必要だったもの

18:00 JST 2020/03/11
Erling Haaland GFX
アーリング・ハーランド――。フットボール界のあらゆる記録を塗り替える驚愕の19歳の軌跡を、関係者の証言と共にたどっていく。

■伝説の始まり

ノルウェー山間部の素晴らしい夏が徐々に終わりを迎えようとしている。ブリッゲン地方では、1部リーグに属するブランが試合を行うと、レストランやパブは大盛り上がりだ。

掘削機と工事用具が長辺に沿って動いているスタジアムのスコアボードを見ると、そこには「0-4 6:21pm」と記されている。このスタジアムを本拠地とし、リーグ首位を走るチームはひとりのティーンエージャーにいいように翻弄されてしまった。彼は童顔に似合わぬな鮮やかな色合いのパンツと、青いユニフォームを身にまとっていた。

ザムエル・ラートリンガーは2018年7月1日のことをよく覚えている。「試合開始から20分経った頃、僕たちは呆然として顔を見合わせたんだ」。当時ブランに所属したこのGKは『Goal』と『SPOX』の独占インタビューでこう語った。「想像してみてほしい。それまで14試合で許した失点はたった6点だった。それが、17歳の少年に20分で4ゴールも決められるんだ。狂ってるとしか言いようがないよ」

この狂った状況によって、勝者と敗者は無言のまま一体となってしまった。当時29歳で、モルデFKに所属したベテランのフレードリク・ブルースタは語る。「3点目のあと、僕たちは信じられなくてベンチでただ互いを見やることしかできなくなった。とても特別な試合を経験しているんだと、僕たちは皆気がついていたよ」

1年半後にブンデスリーガを魅了することになるこのスターの名は、アーリング・ブラウト・ハーランド――。夏の日の海辺の街、住宅に隣接するその愛らしいスタジアムで、彼はヨーロッパ・フットボールの大空に燦然と輝いていた。

文=ニクラス・ケーニヒ/マキシミリアン・シュメッケル
デザイン=イー・シャン・リー

■FKブリン―鉄の意志

ノルウェー北西の都市、ブリンにあるサッカー場。39人の男の子と一人の女の子が写真に収まっている。子どもたちは3列になり、最前列の子供は座っている。真ん中の列はベンチに座っていて、最後列は背の高い子どもばかり。思春期にさしかかった年頃のその子どもたちの中には、真剣な表情を浮かべている子もいる。一部の子供は少々髪を長く伸ばして前髪を分けている。これは2012年の流行の髪型だ。その出で立ちはプロクラブのメンバーのように見えなくもない。ゴールキーパーは、手にグローブをはめてボールを抱えている。皆クラブとスポンサーのロゴが入った赤いユニフォームに身を包んでいた。

その集団の中に、一人だけ異質な子供がいる。一番左、彼は人工芝の上に座り、両手を前に突き出している。他の子よりも大きく口を開けて笑っているし、一人だけ赤ではなく襟の白いユニフォームを身にまとっている。なぜだろうか? それは、本来彼はそこにいるべき子供ではなかったからだ。ノルウェー2部のクラブ、FCブリンに所属する1999年生まれの子どもたちが写真に写っているのだが、ハーランドは他の子より1年半も年下だった。

写真右端に映るチームの指揮官アルフ・イングヴェ・ベルンセンは、ボールを足に乗せたハーランドを初めて見た日のことを今でも覚えている。「アーリングを初めて見たのは、彼が5歳のときだ。チームの他のメンバーより1年早く練習を始めていたんだ」現在54歳のベルンセンは『Goal』の独占インタビューにこう語っている。

「最初に2回ボールタッチしただけでゴールしてしまった。それまでクラブでプレーしたことがなかったのに、初めからとても、とても上手だったんだ」

その2年前、ハーランドはこの人口12000人の都市に、元スポーツ選手の両親アルフ=インゲとグリ=マリタと共に引っ越してきたところだった。生まれはイングランドのリーズで、3年間をマンチェスターで過ごしていた。その理由は、「アルフィー」の愛称で有名な父がプレミアリーグのリーズ・ユナイテッドとマンチェスター・シティでプレーするサッカー選手だったからだ。不本意にも、彼はロイ・キーンの報復的な反則行為によって早期引退を余儀なくされている。この報復行為によって、のちにユナイテッドのレジェンドは5試合の出場停止と15万ポンドの支払いを命じられることとなった。

2003年、3人とアーリングの弟アストル、そして妹ガブリエレを加えたハーランド一家は、父親の故郷に引っ越した。1972年にブリンで生まれたアルフ=インゲは、地元のクラブであるFCブリンでキャリアをスタートさせ、1993年にイングランドのノッティンガムに移籍するまで地元でプレーした。

ブリンはノルウェー南西のローガラン地方にある都市だ。街にはショッピングセンターが3つ、映画館が2つ、そしてノルウェー2部に属するクラブチームが一つある。ここで生まれた偉大な選手たちは若く、そして選手生命が短かった。ハーランドの父に加えて、ブンデスリーガで活躍したアルネ=ラーセン・オークランドもかつてここでプレーした。オークランドは誤審によって認められたゴールでバイエルンを撃破したことでも知られている。さらに、ラグンヴァルド・ソマやロジェル・ニルセンに加え、2人のブリン出身選手がプレミアリーグでプレーしている。

アーリング少年はスポーツ万能で、クラブではハンドボールもプレーしていた。5歳以下のカテゴリーでは国際的な記録を何年も保持し続けている。しかしハーランドにとって、フットボールは他の何事にも代えがたいものであった。1999年生まれの少年たち40人の指揮を取っていたベルンセンは、ハーランドをすぐさま彼の受け持つカテゴリーに引き上げることにした。幸運なことに、少年は突然スペシャルなチームの一員になることができたのだ。ベルンセンいわく、「アーリングは類まれなグループのメンバーになれたんだ。当時のメンバーのうち3人は国の代表選手になり、10人は地方代表に選ばれた」。ハーランド以外にも、ベルンセンの息子のアドリアン、トルド・ヨンセン・サルテ、アンドレアス・ウエランド、アンドレア・ノルハイムらがブリンでプレーしていた。

サルテは後にオリンピック・リヨンのユースチームに移籍し、U-21まで全てのユースカテゴリーでノルウェー代表を経験した。現在は2部リーグでプレーしている。アドリアンはノルウェーU-18代表で2試合に出場し、今は同じく2部リーグでプレーする。ディフェンダーのウエランドはノルウェーのユース選抜チームでもプレーし、今はアメリカのバージニア・キャバリアーズ在籍だ。そして、才能あふれる99年生まれのメンバーの中で唯一の女子選手だったノルハイムは、18歳にしてオリンピック・リヨンで3連覇を達成したほど。ブリンの少年チームで、ハーランドは質の高い練習を経験できた。このレベルのトレーニングを他所でするのであれば、頻繁にクラブを渡り歩く必要があっただろう。それほどレベルが高いクラブであったため、彼はそこに留まり、何時間もサルテやノルハイムたちと練習を続けたのだった。

2005年には、クラブは人工芝を敷いた屋内練習場を建設。週末も自由に使うことができる練習場だ。そして、そこがハーランドとその友人にとって第二の家となる。同時に、質の高いチームメイトを持てたことで、彼は謙虚な姿勢を学ぶことができた。ハーランドはノルウェーの『ネッタビースン』紙に当時の心境を語っている。

「僕が特別な存在だと思ったこともないような環境だった。いつでも謙虚に猛練習していたよ」

ハーランドは常にチームメイトより少し背が低かった。もちろんそれは彼が年下であり、成長の課程で遅れを取っていたからにすぎないのだが。父“アルフィー”ハーランドとリーズでプレーし、ノルウェーU-17代表監督としてハーランドを指揮したグンナー・ハレは、ハーランドが上の学年の選手に混ざってプレーしたことが良い経験になっていると語る。「もともと積極的な性格ではなかったから、試合の流れを読まなくてはならない環境に置かれたのは、今の彼の糧になっているんだ」。ハーランド少年はゴールを量産し、のちにスーパースターとなるわけだが、将来のことはベルンセンとハレの二人は想像もできなかったという。「こんなことをやってのける男になるとは、誰も分からなかったよ」とハレは言う。

当時の仲間も想像できなかったほどの活躍。しかし、ハーランドには特別な才能があった。上達したいという鉄の意志を持っていたのだ。ベルンセンはこう証言する。「ハーランドはパーティーに参加するようなことはなかった。彼にとって睡眠が一番大切なことだったからね。目標のためには全てを差し置いて、自分のパフォーマンスを上げるためにやるべきこと全てを自分自身でこなしていたんだ。彼が12歳になるころには、そういう考えを持ち始めていた。早い段階からトップアスリートのような振る舞いをしていたんだ」

2006年から2015年まで同じ道を歩んだチームメイトがいたことも、ハーランドにとってプラスになった。ベルンセンはこの環境こそがハーランドを高めることになったと評価している。「チームメイトの考え方が同じだったことが大きかった。アーリングにとって一番影響を受けたメンバーだったんだ。チームメイトも同じ目標に向けて集中していたし、情熱を注いでいたので、トップクラブのユースチームでしか味わえないようなレベルの環境が実現できていたんだ。試合への準備や練習への向き合い方、それから個人レベルのプレーでどのように全力を出すか、といったことを学んでいた。そのようなプロ顔負けの環境があったことが、今のアーリングのレベルが高い理由なんだ」

当時のブリンは勝利が当たり前になるほどの強豪だった。2年間は地方ユースリーグの最も高いカテゴリーに在籍していたが(ノルウェーでは13歳以上のユースチームだけが在籍できる)、そのようなハイレベルのカテゴリーでも敵なし。チームはたくさんのトーナメントで勝ちに勝ち進んでいった。ハーランドはフィジカル面で劣っていたが、当時の彼にはメンタル面に強みがあった。ベルンセンはこう述懐する。「重要な試合で、PKを失敗したことがあったんだ。その後でロスタイムが2分経った頃、もう一度PKのチャンスが与えられた。そして、それを決めたんだ。そんな強靭な精神力を持った子供はその年頃ではそう多くはない。もちろん、負けた試合の後では落ち込んでいたよ。でも、それを長く引きずることはなかった。他の子よりも早く心を切り替えることができたから、やるべきことに再び集中することができたんだ」

生涯でプレミアリーグ150試合以上に出場し、ワールドカップ出場経験のある父からは、一度も指導を受ける必要はなかったという。「試合前、試合中、試合が終わった後、練習中や練習後、どんな形であれ、アルフィーがアーリングにプレッシャーを与えるところは見たことがない」。ベルンセンはこう証言している。

「アルフィーはプレミアリーグでの経験がある偉大な選手だが、アーリングの前では普通の父親だった。サッカー指導に入れ込むようなことはせず、息子が心地よく過ごせるようにしたかったんだ」

父と息子は、今も強い信頼関係で結ばれている。父は息子をプロにしたかったわけではなかったし、息子も父の力を借りてプロになりたかったわけではなかった。だからこそ二人は、達成度と改善案を詳細に話し合いながら今日まで良好な関係を作ることができたのだ。父は息子にとって大きな刺激になる存在だった。アーリングはブンデスリーガドイツ版公式サイトのインタビューで認めている。

「父は僕にとっていつでも目標となる存在だった。僕の目標のひとつは、当時の父を超える素晴らしいフットボーラーになることなんだ」

ワールドクラスのストライカーの中では、ハーランドは特にイブラヒモビッチを尊敬しているという。このスウェーデン人のゴールを強く求める姿や、ペナルティエリアでのアクロバティックなプレー、長身からは想像もつかない完璧なボディバランスに魅了されている。最近のインタビューでも「メンタリティが好きなんだ。ものの見方もね。僕も同じように、常に自信を持っていたい。自分というね」と語っている。

ハーランドが12歳の時には、彼が大成することをベルンセン監督は予感していた。それでも、7年後には世界で最もエキサイティングなストライカーになっていることや、このブロンドヘアの少年にプロの資質があるかどうかはまだわかっていなかったが、そんな彼らでも彼の素質に徐々に勘付き始めていた。

「当時のアーリングはとても敏捷性が高く、戦術理解度も高く、ペナルティエリアでの動きが素晴らしく、フィニッシュの精度が高かった。彼がユース代表のレベルにあることはわかっていたんだ」

初めてスカウトがこの素晴らしいチームを、特にハーランドとサルテを視察しにやって来た。二人はノルウェーU-15代表に初招集され、ついには4部リーグに所属するブリンのセカンドチームに昇格した。当時ハーランドは15歳、サルテは16歳であった。年下のハーランドは体格で劣るにも関わらず、14試合で18ゴールを決めた。動き出しが素晴らしく、スペースへの動きは特に驚きべきものがあった。その結果、ロベルト・ウンドハイムコーチは、この若き至宝をトップチームに昇格させるように要求した。以前ベルンセンがハーランド少年を見出し、そうしたように。

そして2016年5月12日、ノルウェーリーグ2部のランハイム・フォトバル戦でプロデビューを飾った。16試合に出場したが得点を挙げることはできなかった。ハーランドにはまだ十分な体格が備わっていなかったのだ。これまでプレーした4部リーグとは違い、彼のクオリティをもってしても、未成熟な体格や、子供のような肩幅ではもはや通用しないレベルだったのだ。

一方、ブリンで過ごす時間がそう長くないことを、そして、彼の持つ壮大な目標を追うためには数年後には移籍しなくてはならないことをハーランド自身が分かっていた。彼のプランはノルウェーで終わるべくもなく、チャンピオンズリーグ(CL)に続いているのだ。子供の頃から、ハーランドはかの有名なアンセムがお気に入りだった。そして今でも聞き続けている。3カ国語で構成された曲中には、このような歌詞がある。

『Die Meister(独: チャンピオン)』

『Die Besten(独: 最高の者)』

『Les grandes equipes(仏:偉大なチーム)』

『The champions(英:チャンピオン)』

ハーランドにとって、この歌には自分が今後ありたい姿が明確に書かれているのだ。

■モルデFK―衝撃

相手チームの選手もハーランドのことを知っていた。「試合前からハーランドのことは知っていたよ。そして、ユヴェントスやマンチェスター・Uのスカウトがベルゲン(SKブランが本拠地とするノルウェー南西部の都市)へと彼を見にやってくることもね」ザムエル・シャヒン=ラートリンガーはこう語っている。

この時は、彼もチームメイトも知る由はなかった。この童顔で脚の長いブロンドヘアの少年が、少し後にこれまでのキャリアで最高の瞬間を経験することになることを――。

モルデFKの30番がシャヒン=ラートリンガーの近くにやってきたのは、開始からたった3分経った頃だった。左サイドハーフの位置から入ったボールに飛び込んだそのプレーで、オーレ・グンナー・スールシャール監督は親指を立てて喜んだ。13分、ハーランドはボールを右サイドで受けた。あっさりと対面選手を抜き去ると、チームメイトから「猛牛」に例えられる独特の走法で、頭を下げて走り始めた。そしてシャヒン=ラートリンガーの元へ向かうとフィニッシュまで冷静に決めてみせた。アウェー席のサポーターに向かって両手を広げてアピールしている。そのわずか1分後、今度はブランDFの2度に渡るミスから得点を奪った。反応の遅れたザムエルの横から抜き去りボールを押し込んだのだ。またも左サイドからのシュートであった。

狂気の極みは、その6分後にやって来る。ブラン選手陣の異議が通らず、PKになったのだ。シャヒン=ラートリンガーはエイリク・へスタとのデュエルでボールに対してプレーしたと主張した。チームメイトもレフェリーにそう進言したが、VARがまだ導入されていなかった当時、判定は覆らなかった。アーリング・ハーランドはストップモーションを交えたPKを冷静に決め、最初の得点から数えてたった21分間で4得点を挙げてみせた。たった17歳で、ノルウェーの1部リーグで、しかもこれまで14試合負けなしの首位チーム相手に、である。

シャヒン=ラートリンガーは当時の衝撃をこう語る。「あんなことは経験したことがなかった。みんなショックを受けていた。考えてほしい。あの少年はたった17歳で、4点もぶちこんで来たんだ。それはもう傷つくよ」

ハーランドはその時「極端に調子に乗っている」ように見えたという。こう証言するのは、今はイングランド2部のバーンズリーでゴールを守るその男。「けれど、今は分かってる。ハーランドのチームメイトだった人や今のチームメイトをはじめ、皆が彼のことをとてもクールで楽しいヤツだと言っているんだ」

それでは、なぜ彼は調子乗っていると思われるのだろうか。シャヒン=ラートリンガーはこう想像する。「思うに、それは彼の強い自信から来るものじゃないだろうか。彼は17歳にしてすでに名声を浴びていたし、思い上がっているようにも見えるだろう」1試合で4得点も奪うことができたなら、もちろん祝福もされる。27歳になる彼はこう付け加えた。「けれど、あの状況ではちょっとやりすぎだったかもしれないね。自信と自信過剰のギリギリの線だったかもしれない」

ベルゲンで経験した最高の夏も終わりに近づくと、ハーランドはトップレベルの欧州クラブからこれまでよりも注目が集まるようになる。ブリンからモルデへの移籍はすでに大成功だった。

優勝回数記録を持つローゼンボリに次ぐビッグクラブであるモルデFKが、ハーランドとの契約を発表したのは2017年2月1日のことだった。

「モルデへの移籍は大きな出来事ではなかった。普通のプロセスだ。アーリングはブリンでは収まらない器になっていた。モルデは論理的に考えれば次へのステップだ」アルフ=イングヴェ・ベルンセンは当時を思い出し、語った。「彼は自分がチームにできることを分かっていて、もちろんできないことがあることも分かっていた。それよりも、彼は上手に正しい決断をすることができるんだ。そして、ブリンを離れたもの正しい決断だった。次のステップに行かなければならなかったし、彼自身もそのことをよく分かっていたよ」

16歳にしてカップ戦でデビューを遂げ、次いでリーグ戦にも出場を果たした。カップ戦でゴールを挙げ、続いて17歳の誕生日から16日後にはノルウェー1部リーグでの初ゴールを記録した。ハーランドをU-17代表で指揮したグンナー・ハレはこう語る。「モルデで彼があれほど爆発的な活躍を見せるとは、誰も予想していなかった。モルデではゴールに向かってあれだけストイックに、静かに成長していた。いつでも成長したいと願い、常に学び続けていた。当時の成長というと印象的なのが、例えば、クレバーなスプリントで相手ディフェンスを抜き去る姿だね。経験が増えていくに従って常に何かしらの上達が見られたし、アーリングが成長したのは、持ち前の鉄の意志と、それから何よりも、来る日も来る日も練習、練習だったおかげさ」

『ネッタビースン』紙などによると、モルデで過ごす間にハーランドは17cm背が伸び、20kg近く増量していたという。「彼の自信は体とともに成長していったんだ」。ハレは振り返った。

「ピッチに立つと、他の誰をも見劣りさせてしまうんだ。誰が相手であろうと気にかけない。誰が見ていようと、どんなに重要な試合であろうと気にしないんだ。ボールが動き出せば、もう彼の意識はゴールを決めることだけ。物怖じしない精神力こそが、プレッシャーがかかる状況で最高のクオリティが出せる理由だね」

モルデでは、マンチェスター・Uのレジェンドであったスールシャールによる指導の恩恵を得た。スールシャールは元ストライカーとして、実践的なテクニックを指導した一方で、規格外のハーランドのために厳格なルールを設定せず、結果にもこだわらない姿勢を貫いた。「彼が僕に与えた影響は大きかった。人格にも、プレイヤーとしての僕にもね。素晴らしいプレイヤーだった彼から教わることは多かった」。ハーランドは『TV2』にこう語っている。

ハーランドはモルデで50試合に出場し、20ゴールを挙げた。ピッチの外でも常にハードワークを続けた。そして、プロとして素晴らしい生活を送り、自信に影響を与える全てのプロセスをできる限り最適化しようとしていた。

例えばハーランドは、友人であるアレクサンダーのアドバイスを受けて、夕方に特別なメガネを身に着け始めた。ハーランドは、後にその理由を説明している。「僕たちはいつでも良さそうなことは全てやろうとしていたし、自分を高めてくれそうなものを探していたんだ。ある夜、アレクサンダーが僕にメガネをかけるようにアドバイスしてくれたんだ。そのメガネはテレビや携帯から出るブルーライトをカットしてくれるんだ。そうすることで睡眠ホルモンのメラトニンに良い影響を与えることができる。だから良く眠れるようになるし、体が回復するんだ」

■ザルツブルク―夢の舞台

2019年9月17日、アーリング・ハーランドの大きな目標がついに実現した。午後9時少し前、CLアンセムが満員のレッドブル・アレーナに響き渡った。『The masters, the best, les grandes equipes, the champions』。ヨーロッパ最高レベルのこのクラブに加入する2カ月前に19歳になったばかりだった。ベルゲンで頭角を現してから14カ月しか経たないうちに、オーストリア王者のRBザルツブルクでプレーしているのだ。

ヘンクからやってきたアウェーサポーターが発煙筒を焚き、ホームのザルツブルクは赤と白の旗を大量にたなびかせ、波のようにうねらせた。アーリング・ハーランドを欧州最高の舞台に立たせる試合開始のホイッスルが、フェリックス・ツバイヤー主審によって吹かれた。その2分後のことだ。南野拓実がスルーパスを出した。ハーランドが相手よりも早く走り込むと、右側からゴールの左下隅に11メートルのシュートを流し込んだ。

そのシュートは、歓喜を解き放った。ハーランドは拳を振って全速力でベンチに走る。目は大きく見開かれ、ザルツブルクの9月の夜に声高く叫んだ。指揮官ジェシー・マーシュは空に拳を伸ばし、ハーランドに向かって叫び返してみせた。チームメイトは全力で走るハーランドを捕まえきれなかった。最高の舞台で初めてのゴールを挙げたハーランドには90分間絶え間ない声援が上がったが、それはこのゴールだけの影響ではなく、この後にも見せ場があったことを意味している。

30分後、ファン・ヒチャンが右サイドでボールを奪うと、ハーランドは自陣深くから走り始めた。伸びのある大きなストライドで走り抜けた後、GKガエタン・クーケの前では冷静に、今度は左から右下に蹴り込んだ。ザルツブルクに2点目が入った。ハーランドはドッペルパック(1試合2得点)達成だ。その後、観客は得点の奪い合いを目撃した。南野が3-0となる追加点を決め、ヘンクが1点を返すも、その直後の前半終了間際には、またもやハーランドが得点を奪った。ルーペンライナー・ハットトリック(独:前半または後半の45分間だけで3得点)だ。45分にも満たない時間で3得点を記録したのだ。最高の試合だと思われたベルゲンでの4-0の試合と同じように、今度は考え得る最高のステージで残虐なゴールショーを演じてみせたのだ。

9時45分、フットボール界はハーランドを知った。ベルギーから来た相手の間をレールに乗った雄羊のように走り抜ける超速のサラブレッドを目撃し、衝撃を受けたのだ。

ハーランドの決断はまたしても正しかった。モルデでほぼ2年を過ごした後、このエリートは2018年12月に世界中のクラブからリストアップされることになる。『ガーディアン』紙によると、20以上のクラブが彼と契約したがっていたという。その中にはユヴェントスも含まれていた。しかしハーランドは、いつも通り沈黙を貫いた。「もちろんユヴェントスが興味を持っていると聞いて、光栄に思うよ。だけど、そこに行くには早すぎると思ったんだ。ザルツブルクは僕に一番合うクラブだし、クラブは僕に一番よくしてくれる」。後に理由をこう語っている。

「私達は2016年からアーリングを追い続けてきた。ノルウェーのU-16代表でプレーしていた頃からだね」。ザルツブルクのスポーツダイレクター、クリストフ・フロイントは『Goal』の独占インタビューに応えた。

「私達はいつもそこで過ごし、数え切れないくらいのビデオを撮ってきた。当時の彼は著しい成長の過程にあったから、シンプルに彼の存在自体がとても注目を集めたんだ。ポジティブなエネルギーやカリスマ性、そしてどんな試合でもゴールを決めてやろうという意思に最も興味を惹かれたよ」

ザルツブルクは明確なキャリアプランと条件を提示し、ハーランドに強く印象づけた。その結果、ハーランドはビッグクラブからの誘いを断り、モルデからオーストリアにはるばる2000kmも移動したのだ。これは2019年1月のこと。『The Athletic』によると、ラルフ・ラングニック氏(レッドブル・グループ開発部門責任者)が移籍に関して重要な役割を果たしていたそうだ。個人的に直接交渉に当たり、ザルツブルクがいかに真剣にハーリングを欲しているか強調したという。

ピッチでは、マルコ・ローゼ監督の指揮するこれまでハーランドがプレーした中で最も能力の高いチームに巡り合った。経験豊富なモアネス・ダブール、才能あふれるパトソン・ダカ、同国出身のフレドリク・グルブランセン、そしてスマイル・プレヴリャクは最初から彼を快く受け入れた。マルコ・ローゼ監督は背の低く、敏捷性に富む攻撃的選手を好み、戦術的な要求の非常に多いサッカーをピッチ上で実現しようとしていた。最初の6カ月でハーランドは2試合の出場(1ゴール)に留まり、ベンチにも入れないことがあった。ローゼは加入直後のハーランドをこう評している。「プレースタイルに適応するのに2週間ほどかかっていたね。この年の前半は彼にとって良い時間ではなかった」。ハーランド自身もクラブのウェブサイトでこう断言していた。「最初の6カ月は僕にとって難しい時期になる、そして適応には時間がかかるとはっきり言われた。けれど夏までにはチームを引っ張る役割を果たせるはずだ、とね」

しかし、ザルツブルクで半年を過ごした後、またも世界中に驚愕のニュースを提供する。2019年5月に行われたU-20W杯のグループリーグ最終戦、ホンジュラス相手になんと1人で9得点を奪ってみせた。もちろん大会史上初の偉業であり、今後更新されることはないだろう。

ジェシー・マーシュがローゼの後を継いだときも、多くの言葉を語らなかった。しかし、チームに変化が続いた。グルブランセンとダブールがチームを去り、ハーランドは始動初日から主力メンバーとなった。そしてザルツブルクから飛躍し、ヨーロッパ中が欲しがるストライカーの座に上り詰めたのだ。

国内リーグでは14試合出場16得点。カップ戦には2試合出場し、4得点を挙げた。そして、子供の頃からの憧れ続けた夢の舞台でも、進化は止まらなかった。あの「夢のような夜」以降も、進化は止まらなかったのだ。リヴァプール相手にも敵地アンフィールドでゴールを奪い、ナポリとの試合ではホーム&アウェイ両方とも得点。そしてヘンクとのセカンドレグでもネットを揺らした。CL5試合連続でゴールを奪った史上初のティーンエイジャーだ。予選での得点数は、辛くもRBが辛酸を嘗めたロベルト・レヴァンドフスキに次ぐ8ゴール。その下にはリオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド。ハーランドが尊敬してやまない選手たちがいた。

「プレッシャーは好きなんだ」ハーランドは言う。ブリンでの姿そっくりだ。少年時代のハーランドについて、ベルンセン「いつでも相手をリスペクトしていた。それが誰だろうと全く関係ないんだ」と語っていたが、これはCLにおいても同じだと言えるだろう。

ザルツブルクでは、新しいスーパースターが絶賛されていた。「アーリング・ハーランドについて最初に思い浮かぶことといえば……彼は完璧なプロフェッショナルだということだね! 一緒に働いていて楽しいよ。毎日すさまじい熱量で練習に励んでいるんだ」とマーシュ監督は『DAZN』と『SPOX』の独占インタビューに対して答えている。「アウェー遠征中に皆がトランプで遊んでいるときでも、彼に限っては、睡眠や食事を向上するために科学的な記事を読んでいるところしか見かけないよ」。マクシミリアン・ウーバーは独占インタビューで、他の同僚の意見についても同意した。

「自分が前に進むためにできることは、どんなに小さなことでも探し続けているんだ。狂っていると思うほどだよ。でもそのお陰で彼はあれだけ素晴らしい選手になっているんだ」

ピッチを離れれば、6カ月の間にハーランドはチームの中心的な存在になっていた。「チーム全体に与えるポジティブな影響は計り知れないよ」とマーシュ。フロイントがそれに付け加えた。「彼の持つポジティブなカリスマ性は、他の皆にも伝染していくんだ。だからチーム全体にとって良い影響があるんだよ」。ハレも性格のバランスを評価している。「素晴らしいユーモアのセンスがあるし、ポジティブなんだ。ピッチの外ではちょっとそっけないキャラクターだけど、チームでは素晴らしいムードを発散している。自身に強い野心があるにも関わらず、人と人との関係を作るセンスが備わっているんだ」

10月、スポーツダイレクターは移籍の可能性をきっぱりと排除した。さらに12月初旬には、成長著しいハーランドにあっても、夏まではRBザルツブルクに残るのが望ましいと発言した。これによって2020年1月の移籍が非常に難しくなってしまった。このような布石を打った理由は、まず第一に、2000万ユーロに設定された違約金は彼のこれまでの功績に比べると馬鹿馬鹿しいほど僅かなものだったからだ。次に、ハーランドには、心に決めた重要なプランがあったからだ。

このプランについて、ハーランド自身がブンデスリーガ公式サイトでのインタビューで語っている。「ザルツブルクでレギュラーとして出場できて、満足していたんだ。けれど、リーグ・アンのキリアン・ムバッペみたいな選手たちをみるうちに、こう思ったんだ。『フットボールにはもう一段階高いレベルがある。僕の目標は世界最高レベルの選手になることだ』とね」

■ドルトムント―アンセム

2019年夏より前に何かが起こっていた。間違いない。それがアーリング・ハーランドがボルシア・ドルトムントと契約する基本になっているに違いないのだ。

「シーズンが終わったあと、父と話したんだ。彼はドルトムントについては話したことがなかった」ノルウェーのテレビ局『Viasport』のインタビューでこう話している。「だからこう聞いてみたんだ。『あのクラブについてはどう思う?僕は気にいると思うかな?』とね。すると父は『すぐに分かるよ』と言ったんだ。それがきっかけで、それ(ドルトムントへの移籍)が一つの選択肢に浮かんだんだ」

この時点で、当時ブンデスリーガ二連覇を達成したドルトムントが2012年からハーランドを追い続けていたことを、彼はどうやら知らなかったようだ。その調査は長く続けられていただけではなく、ドルトムントのハーランドに対する熱意は非常に高かった。

2016年8月に行われたノルディックカップがきっかけだった。ノルディックカップはデンマーク、スウェーデン、フィンランド、アイスランド、フェロー諸島が参加するU-17代表チームの大会だ。「ハーランドだけを見に行ったわけではないのだが、彼のプレーを見るとすぐに印象が強くなっていったんだ」。チーフスカウトであるマルクス・ピラワが『The Athletic』に語っている。

当時のハーランドは16歳。ドルトムントのスカウト陣にとっては、実地やビデオでいつも追い続けている存在になっていた。「我々のユースチームに迎え入れるべきかどうか、議論があったんだ。しかし2018年、RBザルツブルクに移籍することを決断してしまった。それが結局、彼を評価するより良い手段になったんだ」とピラワは言う。ザルツブルクに近い関係者の証言によると、ドルトムントは28回も視察に訪れていたという。外部コンサルタントであるマティアス・ザマーは何回かオーストリアまで赴き、個人的にハーランドの試合や練習の様子を見ていたそうだ。

継続して見ていくうちに、スカウティングの過程はより詳細を詰める段階になってきた。彼の性格、ボディランゲージ、ピッチの外での様子、困難に直面したときの対応の仕方についても調査が及んだ。

競技の観点でいえば、「ハーランドが最高レベルの能力をドルトムントで発揮できるか」という疑念はザルツブルクでのCLを見て払拭されていた。他の有名チームや財政的な強豪に打ち勝ってでも、誰もが欲しがる才能を手にしたかった。ハーランドの高いクオリティが注目を集める理由の一つだったが、一方で、ザルツブルクにたった2000万ユーロを払えばこの才能を獲得できるという、破格のリリース条項があった。『The Athletic』によると、ドルトムントはジグナル・イドゥナ・パルク(ドルトムントのホームスタジアム)の雰囲気や、世界的に有名な(サポーターの群衆が作る)“黄色い壁”のような情緒的要素に惹かれて移籍を決断してくれることに期待を寄せていたそうだ。同様に、トーマス・デラネイを始めとするメンバーが『WhatsApp』を使って説得を試みていた。

結局、ドルトムントはしぶとく交渉に当たったこと、そしてキャリアプランを明確な形で提示できたことで評価された。それにぴったりと合うように、父アルフ・インゲは『Goal』と『SPOX』にこう語っている。

「アーリングの成功の裏には、たくさんのハードワークと明確なキャリアプランがあるんだ。若い選手がチャンスを得られるようなクラブをいつでも選んできた。プレーできる時間が一番重要なことなんだ」

ハーランド側は、12のクラブと交渉に当たっていた。ユヴェントスやRBライプツィヒ、以前師事したオーレ・グンナー・スールシャールが指揮するマンチェスター・Uらほとんどのクラブとは対照的に、ドルトムントではゴールゲッターが最も強く望まれていた。パコ・アルカセルやマリオ・ゲッツェに続く選手を探しあぐねていた。偉大な足跡を残したレヴァンドフスキやピエール=エメリク・オーバメヤンはクラブを去ってしまったからだ。

「違うアプローチでプレーするセンターフォワードが欲しかった。セカンドストライカーというわけではなく、背が高く、フィジカルが強い、古典的な9番的選手が欲しかった」ドルトムントCEOのハンス・ヨアヒム・ヴァツケは『Goal』と『DAZN』のインタビューでそれを認めている。

「しかし、彼は今年のマーケットで一番に注目されるに違いなかった。194cmあってあれだけ速い選手はそうそういない。実際、そういう選手は思い浮かばないよ」

ハーランドとの契約を勝ち取るために、ヴァツケ周辺の責任者とスポーツダイレクターのミヒャエル・ツォルクは使える手段を全て打った。『The Athletic』によると、ハーランドがプレーしたブリンの元選手であり、ユニフォームサプライヤー『プーマ』の最高経営責任者、ビョルン・ギルダーまでがハーランドの説得のために雇われたという。

ドルトムントは、実際にある人脈に助けられていた。特にヘンリク・ムヒタリアンやイマヌエル・フェライ獲得の際に、それは顕著だった。ハーランドも担当している敏腕代理人、ミノ・ライオラだ。

その人脈をもってしても、ハーランド獲得のためにギリギリまで提示金額を高める必要があった。他のクラブであればハーランドはもっと稼げていただろうが、ドルトムントは最終的にこのストライカーに出し惜しみすることなく、推定年俸1000万ユーロで射止めることに成功した。さらに、どうやらクラブはハーランドとの契約にあたって、2013年夏に起こったゲッツェのバイエルン移籍に際して自チームに課したルールを自ら破っていたようだ。その後W杯決勝で得点することになり、ゲッツェが有名になる以前のこと、ヴァツケは2013年の5月に『南ドイツ新聞』のインタビューで「将来、ドルトムントでは契約解除金を設定しないことになるだろう」と語っていた。この内規はハーランドで終わりになったと言われている。『The Athletic』によると、ハーランドが2024年の契約終了以前にドルトムントを去る場合は、イギリスメディアの推定額である5000万ポンド以上の額をドルトムントが受け取ることになるだろうということだ。

そのような未来を想像したいとは誰も思っていない。すでに10試合で12ゴールだ。

「ストライカーに必要とされることなら、彼は全てできるんだ」と最大級の評価を送るのはマヌエル・アカンジ。「ヨーロッパの半分のクラブがアーリングを欲しがった理由がわかるはずだ。彼の働きを見るのは本当に楽しいんだ」とツォルクは喜びを隠せない。ロマン・ビュルキは『Goal』と『DAZN』に次のように語っている。

「若い選手が19歳にしてこれだけ大きく取り沙汰されて世界的に有名になれば、人間的に難しくなってしまうこともある。けれど、彼はクールガイで、自身のあるべき姿を分かっているんだ」

さらに「(ハーランドは)とてもプロフェッショナルなんだ。僕はいつも最初に練習場に顔を出すメンバーの一人だけど、彼は僕たちより早く着いている。休みの日にも練習場に来ているよ。重要なことや、自分にとってよいことが分かっているんだ」と付け加えている。

そして、移籍後もその衝撃は止まらなかった。2月18日、ジグナル・イドゥナ・パルク。ハーランドが愛し憧れ続けたCL決勝トーナメント。1回戦の相手はフランスのメガクラブ、パリ・サンジェルマン(PSG)。大好きな曲、CLアンセムが流れている際に不敵な笑みを浮かべた19歳は、フランス王者を蹂躙した。

そのスピードと強さ、巧みなポジショニングで百戦錬磨のチアゴ・シウバやマルキーニョスをいとも簡単にあしらい、69分にはシュートのこぼれ球にいち早く反応してファーストゴールをゲット。試合後には「読みが当たったかな」と驚きの一言を残している。極めつけは77分だ。同点を許した直後、ボックス外でパスを受けると、ワントラップから左足を一戦。GKにとっては悪夢のような弾道だった。全得点を一人で決め、2-1の勝利を呼び込んでいる。これでCL通算10ゴール。夢に見た舞台の初年度で、大会史上最速の二桁得点を達成した。

それから約3週間。次なる舞台はパルク・デ・プランス。敵地でのセカンドレグだ。ネイマールやムバッペを抱えるPSGにとって、CL優勝は悲願でもあり、叶えなければならないノルマでもある。4季連続でラウンド16敗退となれば死活問題だ。もちろん、死に物狂いで挑んでくるだろう。残念ながら無観客試合となったが、敵地に赴くドルトムントへサポーターはスタジアム外でも強烈な反応を見せることは容易に想像できる。

しかし、そんな重圧も、ハーランドには関係ない。「僕はもっともっとできる」、第1戦後にそう語った19歳が恐れることは何もない。そして、夢の舞台はいつまでも続くと確信している。そう、幼少期の彼を駆り立て、今の彼を形成した、あのアンセムを聞きながら――。

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