アトレティコ・デ・マドリーへの溢れる思い…“私”がクラブをどう愛したか?【連載:リーガは愛憎譚に満ちて】

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スペインのみならず世界中を熱狂の渦に包み込むラ・リーガ。無論、日本もその例外ではない。『Goal』では、愛情深くクラブに心血を注ぐ現地記者に執筆を依頼し、活字でその熱量を余すことなくお伝えする。第3回の主人公は、今季より本拠地を移し、それでも情熱的な声援を一身に受け続けるアトレティコ・デ・マドリーだ

人生とは自ら何かを選び取っていくものなのだろうが、私は自分の体の中にすでにあったものを仕事にしていたように思う。つまりは、アトレティコ・デ・マドリーとスポーツジャーナリズムである。幸運にも、その二つはイコールで結ばれていた。2001年からスペインのスポーツ紙『マルカ』に勤め始め、2006年にアトレティコセクションに配属されたことによって。私は記者として、愛するクラブを追い続けたのだった。

「追い続けた」と記したのは、私が『マルカ』を辞めたためである。今後はアスリートのマネジメント事業などを扱う会社に勤め、違う形でフットボール、ひいてはスポーツを盛り上げていくことになる。ただ新たな冒険を始める前に、アトレティコと過ごした日々を振り返っておきたい。そう思って、この文章を綴っている。

アトレティコに寄り添ったこの10年間……、おそらく私が抱えていた気持ちは、このクラブを愛するどんなファンとも変わらないものだった。異なるのは、自分の職業、チームとの距離だけ。これまでに私がいたのは、現場と呼ばれる場所だった。そこには、ほかのどのような場所とも同じように、良い人間と悪い人間がいる。私たちメディアの仕事をより簡単にしてくれる人もいれば、私たちとの付き合いを意味のないものとみなす人も……。

だが、ここで嫌な思い出について振り返ろうとは思わない。振り返りたいのは、微笑ましい、かけがえのない思い出だ。例えばアトレティコの下部組織出身、サウール・ニゲス。私はトップチームでの練習に参加し始めた彼を学校まで送ったことがある。当時、まだ免許を持っていなかったサウールは、トップチームの練習後に試験を受けなければならず、車で学校まで送ってほしいと私に頼んだのだった。そんな彼も、今やアトレティコ、スペインを代表する選手に……、じつに感慨深いことだ。アトレティコとの契約を2026年まで延長した際、彼は溢れる涙を止める術を持たなかったが、それは私にとっても同じことだった。

また、フェルナンド・トーレスの振る舞いも忘れ難い。私たちのエル・ニーニョ(F・トーレスの愛称、子供、少年の意)は、練習場の入り口で待つファンとの触れ合いを決して怠らない。ファンが殺到したある日には1時間をかけてサインや写真撮影に応じ、その後、私たちメディアに向けてこう語ったのだった。

「彼らは僕たち選手に会えることを楽しみにしている。それを無下にするという選択肢はないだろう」

トーレスは2部にも落ちたアトレティコとの成長の歩幅が合わず、仕方なくリヴァプールへと移籍していった。それからチャンピオンズリーグ、ワールドカップ、EUROをはじめとして、あらゆるタイトルを勝ち取っていったが、今なお謙虚な姿勢を貫き続けていることには驚かされる。エル・ニーニョからは選手の模範像だけでなく、人間としての在り方も学ばせてもらったように思う。

Fernando Torres

アトレティコ番記者という仕事は、それ以外にも多くの思い出を私にもたらしている。ラダメル・ファルカオの母国コロンビアへの凱旋に付き添ったこと、上海でチームバスに同乗させてもらったこと、マルセイユ戦で取材許可が下りず、彼らのウルトラスが陣取るスタンドから試合を観戦したこと……。そうしたすべての経験が、新たな冒険へのガソリンになるはずだ。

そして、ディエゴ・シメオネである。チームのコスタリカ遠征を取材した際、ホテルのロビーで彼と20分にわたって意見を交わし合ったことは、私にとって大切な思い出だ。シメオネという人間は、内向きと外向きの顔がほぼ変わらない。いつもエネルギッシュかつ前向きで、自身の率先した行動によって周囲の人間を動かしていく。彼がアトレティコに監督として帰還し、そこから描いていった軌跡・奇跡を間近で見届けられたことは、幸運としか言いようがない。

シメオネ帰還前のアトレティコは、リーガでは降格圏に近く、コパ・デル・レイでは2部Bのアルバセテ相手に敗退するなど失望の最中にいた。前本拠地ビセンテ・カルデロンで、チームがアルバセテに敗戦した後、私は車中でため息とともに涙を流していた。そこにやって来たのが、シメオネその人だった。

「ファンには落ち着いてほしい。言葉よりも行動だ」

マドリーのバラハス空港に降り立った際にそう話した彼は、創立100周年イムノにもある通り「雲の上と下を行ったり来たり」していたアトレティコに堅実な強さを与えた。

2018-02-04-simeone

このクラブのファンは、シメオネが帰還する前にも「信じることを決して止めない」人たちだった。だがチームはお得意とも称せる乱調を繰り返し、希望の代償としてより深い失望を、屈辱を味わってきたのだった。だが、彼は新たに「パルティード・ア・パルティード(一試合ずつ、試合から試合へ)」という一戦必勝の哲学をチームに植え付けた。そうして手にしたのがヨーロッパリーグ、コパ、リーガ、スペイン・スーペルコパ、UEFAスーパーカップのタイトルであり、2度にわたるチャンピオンズリーグ決勝進出である。私がアトレティコの祝賀会場ネプトゥーノ広場を取材した回数は、過去にこのクラブを追っていた偉大なる先輩記者たちを一気に上回った。

シメオネ率いるアトレティコは、負けない。勝つことを止めない。プレーが良くても悪くても、勝つことが、負けないことが当たり前となった。今、私たちは幸せだ。しかしそれだけでなく、今の私たちは敗れたときにすら幸せを感じられる。チームがつまずいても胸を張れるのだ。それが体現されたのは、昨季のチャンピオンズリーグ準決勝レアル・マドリー戦のことだった。

Atletico Madrid chuva Real Madrid Calderon Champions League 10 05 2017

敵地サンティアゴ・ベルナベウでのファーストレグを0−3で落としていたアトレティコ。カルデロンでのセカンドレグでは12分にサウール、16分にグリエズマンがゴールを決めて希望の火を灯したが、その後イスコにアウェーゴールを決められて希望は潰えた。だがしかし、観客は試合終了後もチームに喝采を、掛け声を送り続けた。あの日はカルデロンの屋根から雨水が漏れ出すほどの豪雨だったが、屋根のないスタンドもなし。すると、一度はロッカールームに戻った選手たちも再びピッチに現れ、観客に対して深い感謝の意を示した。

豪雨は、海の神ネプトゥーノによる恵みの雨のようにも思えた。それはピッチとスタンドで、己のすべてを捧げた者たちによる祝宴だったのだ。私はそこに、アトレティコのアイデンティティーの最たる形を見ていた。

これから私は、一ファンとしてアトレティコを応援することになる。新たな本拠地ワンダ・メトロポリターノのスタンドで、父、妹とともにロヒブランコ(赤白)のマフラーを示しながら、毎秒にわたり声を張り上げながら。現場にいられないことには若干の寂しさも感じるが、よく言い聞かされていた客観的な視点というものに、もうおべっかを使う必要はなくなった。鳥肌を立てながら、どんな記事にしようかと考えを巡らせていたあの祝宴に、今度は違う形で参加できたらと思っている。

文/ルイス・アスナール(Luis Aznar、元『マルカ』アトレティコ番)

企画・翻訳・構成/江間慎一郎

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