浦和レッズは19日にアウェイで行われたAFCチャンピオンズリーグ決勝・第1戦で1-1の結果を手にしていた。アウェイゴールを決めての引き分けは勝利に近い収穫だった。だが、浦和がサウジアラビアの地から持ち帰ったものはそれだけではなかった。
ホーム&アウェイのトーナメント戦は「180分の試合」に例えられることがよくある。第1戦を「前半」、第2戦を「後半」に見立てているわけだ。ただ、試合は前半と後半だけで成立していない。その間には「ハーフタイム」がある。
サッカーではその時間を活用し、後半に向けた態勢を整える。その際、戦術を変更することもあるが、それは当然、前半の内容を分析した結果として行うものだ。浦和が敵地から持ち帰ったもの、それは苦しんだ「前半」の反省点であり、その分析が的確だったからこそ5日間の「ハーフタイム」を利用して「後半」に大きな戦術的な修正を施せたのだ。
その大きな変更点というのは、堀孝史監督が基本形としている4-1-4-1から4-4-2へのフォーメーションチェンジである。第1戦では立ち上がりからアル・ヒラルの猛攻を受け、前半だけで3、4失点していてもおかしくなかったが、その大きな要因は相手に思うようにビルドアップを許していたからだった。
4-1-2-3を採用するアル・ヒラルはCB2人とアンカーがビルドアップを担い、そこにインサイドハーフの2人が落ちてきたり、相手ディフェンスラインと中盤のゾーン間でボールを受けたりすることで崩しの仕掛けに移行していくパターンを得意としていた。
浦和は第1戦を通常通りの4-1-4-1で戦ったが、そうなると噛み合わせ的にアル・ヒラルのCB2人とアンカーのパス回しを1トップの興梠慎三が見ながら、インサイドハーフの長澤和輝、柏木陽介の2人も流動的な対応しなければならなくなる。アル・ヒラルは一人ひとりの技術が非常に高いため、追いかけるのが少し遅れるだけでも自由にパスを回されてしまい、浦和はそのために苦境に陥った。
また、アル・ヒラルのインサイドハーフの動き出しに関してもマークがはっきりしないので誰も捕まえきれず、その結果としてアンカーの青木拓矢が手を焼くことになり、そこから玉突き事故のようにディフェンスラインの対応も混乱をきたしていった。
第2戦で4-4-2が採用されたのはそういった背景があった。遠藤航が「監督はギリギリまでどっち(4-1-4-1か4-4-2)でいくか迷っていたみたいですけど、ホームだし、プレッシャーをかけたいというところで、2センターに対して2トップでいくことになりました」と明かしたように、まずはビルドアップの起点になる相手のCB2枚に対し、興梠と長澤の2枚で制限をかけてアル・ヒラルのアンカー(アブドゥラー・オタイフ)に良い形でボールを渡さないようにするのが戦術的なキーポイントだった。
そしてその上で、インサイドハーフのニコラス・ミレシ、サルマン・アルファラジのマークを柏木、青木とはっきりさせ、中盤の組み立てを阻止した。インサイドハーフがディフェンスラインに落ちる動きをすれば、それを追いかけていくほど人を見る形が意識されていた。
浦和がマークのズレの生じにくい形でプレッシャーをかけたことにより、アル・ヒラルは第1戦のようにはチャンスを作れなかった。アル・ヒラルが極端なまでにボールをつなぎ、ロングボールでディフェンスラインを背後を狙うことをしないというのも、浦和のプレスが機能した要因の1つに挙げられる。
「プレッシャーをかけた方が相手は嫌がっていました。つないできてくれるので何回かボールを奪うチャンスはあるという予測の元にプレッシャーをかけていたし、それがうまくはまったと思います。アウェイとホームの戦い方ではそこに違いがありました」とは遠藤の弁。これも第1戦の反省を生かしたものだった。
また、第1戦では浦和から見て左サイド、特に宇賀神友弥のところで守備を崩されて危機を迎えるシーンが多く、宇賀神が槍玉に挙げられることになった。たしかに宇賀神の対応にも問題はあったが、劣勢の原因はそれだけではなかった。ボールの出どころであるアル・ヒラルの中盤3枚をまったく抑えられていなかったから、宇賀神が苦しい体勢で一対一、あるいは一対二の状況を作られていたという側面もあった。
アウェイ戦後、堀監督が左サイドでの劣勢について「その局面を見ればそういう風に見えることがあるかもしれませんけど、全体の問題かなと思います」と話していたのは、そういった状況を理解していたからだ。
実際、第2戦では相手の中盤をしっかりと封じ込めることができていたので、第1戦にあれだけ苦しめられたサイドチェンジのボールが出てくることがほとんどなく、その結果として宇賀神が苦しむ場面も激減した。
遠藤がさらに説明する。「あのサイドチェンジは警戒していたし、(中盤の噛み合わせは)意図的にやっていました。中盤の選手が相手の中盤の選手によくプレッシャーをかけてくれていたと思います」。
浦和は第1戦で浮き彫りになった問題点を第2戦で生かした。実は2トップでの守備というのは第1戦の後半から使った形でもあり、そこである程度機能していたという背景もあった。一方、アル・ヒラルは初戦と同じようなスタンスで第2戦に臨み、勝ち点2を失ったホームでの経験を生かしていたようには見えなかった。その差が両者の明暗を分けたと言える。
もっとも、そういった戦術面の修正は、勝利という結果につながった側面の1つにすぎない。それは守備の噛み合わせを良くしたに過ぎず、もし選手たちが球際でのバトルで負けていたとしたら、結局は何の意味も成さないものだった。
個人技の高さでは優位だったアル・ヒラルの選手たちに怯えることなく、一人ひとりが勇敢に立ち向かい、誰かが抜かれたとしても他の誰かがすぐにカバーに入り、そして抜かれた選手もまた守備に回る。浦和の選手全員がまるで格闘技のような肉弾戦にも怯まず、インテンシティの高い球際の攻防を最後まで続けた。勝利への強い執念をハードワークという形に昇華できたからこそ、システム変更が効力を発揮し、アル・ヒラルのハイレベルな攻撃サッカーを封じ込めることにつながったのだ。
2014年、浦和はあと一歩のところでリーグ優勝を逃し、名古屋グランパスの選手として古巣に立ちはだかった田中マルクス闘莉王から「男がいない」と厳しい言葉を投げられた。
2015年、浦和は水原三星(韓国)に所属していた鄭大世に「球際に強くいけば何もできないと監督から言われていた」と明かされて悔しい思いをしたが、実際にその通りだった。
2017年、ACLの舞台に立った浦和の選手たちは球際で互角以上に渡り合った。そうでなければ、パワフルな攻撃でゴールをこじ開けにかかった上海上港(中国)をはねのけ、圧巻の個人技とパスワークで試合を支配したアル・ヒラルを封じることなどできなかった。アジアチャンピオンに輝いた浦和は紛れもなく“戦う男たち”の集団だった。
文=神谷正明


