あの時何があったのか?日本代表監督解任から5年。アギーレが語る真実

2020-03-17-agguire-asian cup 2015©Getty Images

 日本がブラジル・ワールドカップをグループステージで敗退した直後の2014年8月、ハビエル・アギーレ氏は18年のロシア・W杯を目指す日本代表の新監督に就任した。しかし、サラゴサを率いていた当時の八百長疑惑(※)により、15年2月に日本代表監督を解任される。その後、約5年が経った昨年12月9日、スペインの裁判所は「証拠不十分」で無罪という決定を下した。

 アギーレ氏は現在、ラ・リーガのレガネスを率いている。新型コロナウイルスが蔓延する前の2月、Goalは話を聞く機会を得た。マドリード郊外のクラブハウスで笑顔で迎えてくれた元日本代表監督は、ここまでのいきさつ、そして日本への思いを包み隠さず語った。

※11年5月のラ・リーガ最終節サラゴサvsレバンテ。降格圏にあったアギーレ監督率いるサラゴサはレバンテに2-1で勝利を収め残留を決めた。この一戦に関しサラゴサからレバンテに不正な金銭が渡っていたとしてクラブ幹部、監督、選手など42名が告発された。

■裁判の前に裁かれた

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――ラ・リーガの告発が2013年3月、検察の起訴が14年12月。ようやく解決に到りました。報せが届いたとき、どんなことが頭をよぎりましたか?

 たくさんのことが頭をよぎりました。実際に裁判が始まる前に公に裁かれたようなものですからね。どんな人間にもあるはずの推定無罪の権利が与えられなかったんです。私たちを有罪だと考える人、私のことを知らないのに良い振る舞いをしない人、私のキャリアはすでに終わったと言う人もいました。

 もちろん、公平に接してくれる人もいましたよ。そして、どんな時でも私にとっては家族や子どもたちが大きな安らぎでした。両親はもういませんが、騒動が始まったころまだ母は生きていて、大きな安らぎを得ていました。

――この騒動の始まりから解決までの過程で特に苦しんだのは?

 将来を恐れて私との契約を踏みとどまった人が大勢いたことです。重要な仕事のチャンスを失いました。日本との契約ではないですよ。この5年の間にヨーロッパの複数のクラブからコンタクトがあって、あらゆることを尋ねられました。でも結局、私には裁判がある。それで、「ああそうか、ではありがとう」となってしまう。

 最初の法廷が開かれたとき、私が出廷したのは15分。何もないことを証明するのには、私のプロフェッショナル人生の15分だけで十分だったんです。それは日本にも伝えました。それでも結局、ノーと言われてしまったんです。

 2018年夏に、ロシア・ワールドカップがありましたね。あのとき裁判は中断されていましたから、私は監督としてロシアにいることが完璧にできました。その後、裁判の再開に強い関心を持つ人物がいて、実際に意味のない時期(19年9月)に再開されました。対立する人物がいたわけです。それで私たちはまた渦中に置かれました。でも、もういいんです。無罪であること。それだけです。

■呼ばれれば日本に行きますよ

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――結局、潔白だったわけですが、日本サッカー協会にどのような感情を抱いていますか?

 私は執念深い人間ではないし、何も問題はありません。協会は協会としての決断を下したまでです。人生は続くし、今仕事もありますし、家族も友達もいます。18年のW杯のとき、日本代表はロシアのピッチにいて私はいなかった。大会での大きな幸運を祈っていました。

 協会は非常に良くしてくれました。みんな良い人だった。ハラさん(原博実現Jリーグ副理事長/当時JFA専務理事)にはとてもお世話になりました。もちろん(大仁邦彌)会長にも。子どもと妻を夕食に招待してくれたりして、とてもいい関係でした。

――もし、日本サッカー協会からまた声がかかったとしても問題はない?

 まったくありません。明日にでも行きますよ! 私たちは(15年1月)オーストラリアで開催されたアジアカップを戦いました。素晴らしいフットボールでした。周りの人や選手に聞いてもらってもいいです。(準々決勝で)UAEには勝てませんでしたが、10回戦って10回勝てる試合でした。でもあの日は本田圭佑と香川真司がPKを失敗してしまった。

 でもフットボールとはそういうもの。オーストラリアが優勝しましたが、日本は前年の11月にオーストラリアに2-1で勝利していたんです。素晴らしいフットボールでね(14年11月18日キリンチャレンジカップ/ヤンマ―スタジアム長居、)。試合のあと、会長に「アギーレ、あなたはW杯までチームを率いることになる。私たちも満足している」と言われました。

 アジアカップの後、私は1カ月フランスのボルドーにバケーションに出かけたんです。すると電話がかかってきて、「ノー」(解任)を伝えられました。「スペインで記事になるから」という理由でした。そこで私は「大丈夫、裁判沙汰にはならないし問題はない。15分だけ時間をください」と伝えました。

 何も報じられなければ日本は問題視しないということを聞き、スペインの弁護士と話してもらうために、日本の弁護士を送りました。私も説明に出向きましたが、すでに転がる雪玉のように話題がどんどん大きくなっていって、説得する術がありませんでした。

 日本代表では、(国際親善試合で)ウルグアイとブラジルに敗れましたが、その後は(アジア杯の)UAE戦まで一度も負けていません。スポーツ的な理由で解任されるような成績ではなかったと思います。でも、もういいんです。決定は下され、ハリルホジッチという非常に素晴らしい監督が招聘されました。そういうことです。

 心配はしないでくださいね。私はもう乗り越えたし、日本という国にはとても満足していましたから。だから、もしまた呼ばれれば、明日にでもクラブや代表のために日本に行きますよ。

 日本のサポーターは素晴らしかったし、日本では妻と子どもと幸せに生活できました。そうそう、妻は(旅行で)日本に行ったばかりなんです。私はあれからまだ行っていませんが、妻は8人の女友達と一緒に1カ月くらい滞在してきたんです。

■協会が疑念を持つのも理解できる

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――あらためて八百長疑惑についてお聞かせください。42人が告発されましたが、最終的に仕事を失ったのは、あなたお一人です。

 41人の個人にサラゴサ(という法人)が告発されました。そのうち2名(当時のサラゴサの会長と役員)が有罪になりました。

 たしかに私は仕事を失った唯一の人物ですね。最初の出廷のとき、証人も弁護士もいる場で裁判官に言われました。「あなたはこのせいで仕事を4年契約を失ったのですか? 信じられない!」とね。

 一緒に訴えられた選手たち、アンデル・エレーラはサラゴサの後に、ビルバオ、そしてマンチェスター・ユナイテッドでプレーし、今はPSGにいます。ガビもアトレティコ・マドリーでプレーを続けました。レバンテの選手であったビセンテ・イボーラは、セビージャ、レスターと移籍してビジャレアルにいます。クリスティアン・ストゥアーニはエスパニョールからミドルスブラに行ったあと、スペインに戻りジローナでプレーしています。ストゥアーニはロシアW杯にも出場しましたね。私と同じ様な立場にいたのに、ウルグアイ代表としてプレーしました。

――先ほど話していた、あなたとコンタクトのあったクラブとは?

 ギリシャ、トルコ、チャンピオンシップのチーム、それにマルタ、キプロス、ポルトガル、アメリカのMLSからもコンタクトがありました。でもね、「ああ、ありがとうミスター」で終わってしまいました。

――そんななかでも信頼してくれたクラブがありましたね。

 UAEのアル・ワフダです。私の目を見ただけで、特に何も言われませんでした。(15年に就任し)2年で二つのタイトルを獲って、とても幸せな時間でした。その後、1年間はパリで休暇を過ごし、翌年(18年)にエジプト代表監督になったんです。エジプトでもまったく問題はありませんでした。でも去年の7月、アフリカ・ネーションズカップで結果を残せなくて1年で離れてしまいました。

 その直後の11月にレガネスが声を掛けてくれたんです。まだゴタゴタは解決されていなかったけど、何も聞かずにコンタクトから3日で契約してくれました。神は存在したんです(笑)。

 ここであらためてハッキリさせておきたいのは、日本サッカー協会へのわだかまりは本当に何もないということです。

(JFAが)疑いを持つのも分かります。4年契約を結んでいましたが、裁判を控えていて、世間からは有罪のように言われている。私が弁護士に向かってどんなに否定したところで、どうしても頭に残ってしまうでしょう。正当化はしませんが、理解はできます。ウルグアイ協会がストゥアーニにしたように、「もう少し忍耐を持ってくれていたら…」とは思いましたけどね。

 W杯を指揮できていたら…行きたかったですね。メキシコのテレビ番組の仕事で大会には行ったんですよ。日本とベルギーの偉大な試合も見ました。でも、ピッチにいたかった。私たちは1年ちょっとしか一緒にいなかったけれど、選手たちは私を求めてくれていると感じていました。でもすべては過ぎ去った出来事。物事は進んでいきますから。

■本田はレガネスに加入直前だった

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――監督を離れた後も日本代表を追いかけていたのでしょうか?

 もちろんです。スタッフだったGKコーチのリカルド・ロペスはハリルホジッチ体制でもチームに残りましたから、彼と話をしていましたよ。日本代表の成長を見るのは大きな喜びでした。

 少し前に本田(圭佑)と話をしたんです。(本田が17~18年に所属していた)メキシコのパチューカは私がかつて指導したクラブでもあります。実は、本田はレガネスに加入直前までいったんです。来てくれたら良かったんですが、ブラジル(ボタフォゴ)に行きましたね。

 今でも多くの選手と素晴らしい関係を維持しています。ニューカッスルの武藤嘉紀も(レガネスに)連れて来たいと話をしたんです。

――本田選手はあなたが希望を出したのですか?

 もちろんです。武藤は(クラブが)先にオファーを出していて、私はOKと言いました。私とプレーした柴崎岳はデポルティボにいるし、久保建英のことは知りませんが、バルセロナの下部組織にいて今はマジョルカにいますね。素晴らしい才能です。南野拓実もリバプールに移籍しました。あのころ南野はまだとても若かったね。日本には素晴らしい若い才能がいっぱい控えています。

――日本のサッカーについてもう少しお聞かせください。日本代表とJリーグのレベルをどう捉えていらっしゃいますか?

 Jリーグはとても組織的ですし、良いリーグだと思います。でも、世界での序列は、日本代表のほうがJリーグよりも高い。この意味が分かりますか?

 日本代表は世界で25〜30位の位置にいます(FIFAランク28位/2月20日)。素晴らしい施設があるし、スタッフや監督を招聘したり、質の高い遠征を組める予算もある。そして、海外組のおかげで高いクオリティを持てています。

 一方、Jのクラブチームはヨーロッパのチームと対戦する機会はあまりありません。(アジアチャンピオンリーグはあるが)タイ、ベトナム、カンボジア、中国、韓国といった地域のクラブが相手になりますが、それは成長の助けにはなりづらい環境だとも言えます。

――では、日本のサッカーに足りないことは?

 日本は五輪代表もいいチームで、メキシコと同じような立場にあると思います。あとは、最後の一歩ですね。つまり、イタリアやドイツに勝つことが必要なんです。メキシコはイタリアやドイツ、ブラジルに勝ったことがあります。ロシアW杯でベルギーに勝てていたら、突破口になっていたでしょう。それが日本に不足していることだと思います。

――一方で、日本の強みは何でしょうか?

 驚くほどの規律正しさ。これとこれと言えば、完璧にこなすことができます。ヨーロッパでプレーする選手はその強みに競争力を身に着けて代表に戻って来ますね。ただ、国内にとどまる選手に足りないのはそういう部分だと思います。

 Jリーグではフェアプレーでボールを外に蹴り出してしまいます。体を痛めたらすぐにドクターがピッチに入って来る。ヨーロッパは違います。ここでは常に競争、競争、競争。Jリーグはそこがほんの少し足りないと思います。

 日本は規律正しく、とてもプロフェッショナル。だから、日本のフットボールに足りないのはヨーロッパ…いや、ブラジル、メキシコ、ドイツでもオーストラリアでもいい、選手は海外で競争して、代表チームに経験をもたらすことが必要です。

――ありがとうございました。最後にメッセージをお願いします。

 日本のファンの皆さんに言葉を送りたい。私が皆さんとともに過ごした1年弱の間、とても良くしてくれてありがとう。素晴らしいファンの皆さんの幸運を祈っています。またいつの日かお会いできることを願っています。ありがとう。

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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です
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