関西弁を操る“三重国籍”の21歳ハイチ代表MF…直接対決で日本代表入りアピールなるか

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ハイチ人の父と日本人の母を持つハイチ代表MFザクリー・エリボ。夢は「日本代表でプレーすること」を挙げる21歳の若武者が、日本代表との戦いに思いを馳せる。

ザクリー・エリボというサッカー選手をご存知だろうか。ハイチ人の父・ペドロさんと日本人の母・美樹さんの間に次男として生まれ、3歳からアメリカ・ボストンで育った“三重国籍”のサッカー選手だ。

将来の日本代表入りを夢見てきた青年は現在、アメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)のニューイングランド・レボリューションで元日本代表MF小林大悟とともにプレー。そして今回、一つの決意を胸に秘めながら、10月10日に日産スタジアムで日本代表と対戦するハイチ代表のメンバーとして来日した。

「ずっと日本でプレーする日を夢に見て、ずっと試合も見てきた。こうしてハイチ代表として日本へ行くことになるなんて思ってもいなかったので、ちょっと変な気持ち(笑)。もしも試合に出られたなら、それは……」

■夢は日本代表でプレーすること

エリボは1996年2月1日に大阪府吹田市に生まれた。ボストンの大学で知り合った両親はそのまま同地で結婚したが、母・美樹さんは長男の出産のために帰国。「その流れのまま、日本にいたんですわ。だから次男のザクリーも大阪で生まれることになった」と美樹さんは笑う。その後、長男が小学校に入学する年齢になったため、教育面を考慮してボストンへ戻ることとなった。

3歳で渡米してから少しずつ頭角を現したエリボは、アメリカでU-15代表候補に選ばれ、ハイチでも各年代で代表入り。高校を卒業した2014年6月にMLSのニューイングランド・レボリューションとプロ契約を結び、トップチームデビューも果たした。そんな彼にハイチのフル代表から招集の声が掛かる。

最初に呼ばれたのは北中米カリブ海地区の大陸王者を決めるゴールドカップに向けた合宿だった。だが、ザクリ―はこの招集に断りを入れた。

「公式戦に出ると、日本代表になれなくなるから」

理由はシンプルだった。

現行のFIFAルールでは多重国籍の選手の場合、年代別代表での出場であればその後に代表チームを変えることができる。A代表についても国際親善試合であれば、一度だけ変更可能だ。ただし、A代表の公式戦、つまりFIFAの国際大会や大陸選手権の本大会および予選に出てしまった選手は、代表チームを変えることは原則としてできなくなる。逆に言えば、親善試合であれば、たとえ出場したとしても、他国の代表になるチャンスは残るわけだ。

今回、横浜に向かうハイチ代表メンバーの一人となることをザクリーが承知したのは、そうした背景がある。また、ハイチ代表を率いるマルク・コラ監督が年代別代表時代に彼を指導しており、旧知の仲であることも大きかった。

「ザグの夢は、日本代表としてプレーすること。でも、チャンスがなかった。逆に今回のこと、こんなチャンスまたいつあるか分からない。いいショーケースになる」

今回の日本遠征が特別な旅になるのは間違いない。もちろん、「お父さんはハイチ代表になって、すごく喜んでくれた」ことは分かっているし、「ハイチ代表としてやる以上は、ハイチのために全部を出し切る」という覚悟もある。

ただ、それは胸に秘めている夢を捨てるという意味ではない。

「いつも小さい時からウチの家は『日本』だった」とザクリーは言う。母・美樹さんが日本流を貫いたからだ。「お母さんがいつも日本語で話してくれたから。だから日本語も、まだまあまあのレベルにあると思うよ」と笑う。そんな環境だから、ザクリーが幼少期から漠然と「お母さんの国、日本でサッカーをやってみたい」と思っていたのも自然な流れだった。

■大阪桐蔭高校での貴重な体験

一つの転機は高校に上がる段階で訪れた。日本の大阪桐蔭高校に練習参加できることになったのだ。美樹さんの友人が、大阪桐蔭を率いる永野悦次郎監督の教え子だったことから実現した特別なチャンス。とはいえ、突然の話だっただけに、不安が先行していた。

「最初、行きたくなかった。めっちゃ緊張したし、初めて日本でサッカーするから、どんなサッカーをするのかも全然分からなかった」と言う。それは受け入れる側の大阪桐蔭サイドも同じだった。永野監督は当時をこう振り返る。

「話を聞いた時は正直、『大丈夫なのかな』という感覚もありました。まるで違う文化で育ってきた選手だし、練習に出る以上は特別扱いはできないので、部のルールも守ってもらわないといけない。合宿に行くことになった時は、『すぐ逃げ出すんちゃうかな』とも思ってました」

大阪桐蔭は礼儀や挨拶をしっかり指導するスタイルで、永野監督は温かくも厳しいタイプである。ザクリーのことを内心で心配しつつも、厳しく指導した。

一方、意外にもザクリ―の感想は「いやあ、面白かった! 本当に楽しかったんです」というもの。「練習を見たら、みんな、めっちゃ上手でビックリした(笑)。京都の合宿に一緒に連れて行ってもらって、そこをきっかけに楽しくなった」と笑顔で当時を思い出しつつ、「めっちゃいい経験やった」と笑う。

日本の部活スタイルには少し戸惑った。掃除もしっかりやらされつつ(永野監督はここが心配だったらしいが)、本人が一番驚いたのは食事である。「ご飯を全部きれいに食べないとダメと言われて、いつもザグが最後になったけれど、全部食べた」と笑う。これを嫌な思い出ではなく、「めっちゃ楽しい」思い出として語っていたのは何とも印象深い。

「もう、大阪桐蔭から戻って来たら、ずっと『日本、日本』と言い出すようになったんですよ」と美樹さんが笑うように、貴重な体験であり、一つ大きなモチベーションとなったわけだ。

ザクリーが「ホンマに感謝です」とリスペクトする永野監督も「ザグはホンマに頑張ってくれていたし、あの後にそうやって頑張って、今度はハイチのA代表にまでなってくれたなんてうれしい」と笑顔を浮かべつつ、さっそく当時の話を部員たちに向けて開陳。大阪桐蔭のカルチャーに触発された青年が大きな飛躍を始めている意味を伝えた。

ここで確固たるものになった「いつか日本でやりたい。日本に住んで、日本でサッカーをしてみたい」という夢。ニューイングランド・レボリューションの同僚であり、「めっちゃ仲良いし、めっちゃいい人。もう家族みたい」と言う僚友の小林とも、自身の未来についてよく話すという。彼の存在は、ザクリーの日本語力キープにも一役買っているようだ。

ザクリーのポジションはボランチ。186センチの身長と長い手足を生かしたボール奪取に加えて、ポゼッションプレーを好むスタイルだ。大阪桐蔭でも「ボールを大事にするスタイルが気に入った」と日本のパスサッカーに感銘を受けた模様だった。もっとも、ハイチ代表はサイドアタッカーのスピードを生かしたカウンターが真骨頂だから、ザクリーに求められるものもそういったプレーになるだろう。ボール奪取力、そして奪ってからの展開力がポイントとなる。

そして今回、日本代表との試合に出場することになったら、マッチアップする相手は憧れの選手かもしれない。

「香川真司!いつもチャンピオンズリーグとか見ていた。めっちゃいい選手。試合になったら、もうどうなるかな(笑)」

少年のように瞳を輝かせながら、日本代表との戦いに思いを馳せる。胸に秘める未来の夢はJクラブでのプレー、そして日本代表入りだ。ハイチと日本にルーツを持ち、アメリカで生活を送る21歳にとって、「本当に夢のような試合」が今、横浜の地で始まろうとしている。

文=川端暁彦

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