伝統の「8番」への思い、主将としての覚悟…柿谷曜一朗が大一番で“背負っていたもの”とは

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伝統の「8番」を背負い、クラブ初タイトル獲得に貢献した柿谷曜一朗。彼が“背負ったもの”と、主将としての覚悟とは。

誰よりクラブを愛していると自負してきた。幼稚園児が集うスクール時代からピンクを身にまとってきたからこそ、初タイトルへの思いは人一倍強かった。その気持ちとキャプテンという立場の間で、柿谷曜一朗は大きく揺れていた。

川崎フロンターレに1-0とリードして悲願のクラブ初タイトルに近づいていた84分。山村和也との交代でピッチを後にした直後に、胸に抱いていた忸怩たる思いが行動になって溢れ出してしまう。

■“いろいろなことを背負った”一戦で

キャプテンマークを山口蛍に託した柿谷は、通常であればベンチ前で尹晶煥監督と握手を交わしてベンチへ下がるところを、そのままロッカールームへ直行してしまう。約10分後。セレッソ大阪のJリーグYBCルヴァンカップ初優勝を告げるホイッスルが埼玉スタジアム2002に鳴り響いた。

ウインドブレーカー姿でベンチに戻り、表彰台の真ん中でカップを掲げ、仲間たちと喜びを分かちあった柿谷は取材エリアで交代直後の偽らざる心境を明かしている。

「最後までみんなと(一緒に)戦いたかったから。それができなくて、個人的には優勝どうこうより、自分への不甲斐なさがものすごく残る試合でした」

もちろん指揮官の采配に異を唱えているわけではない。直後には「注目を集めた試合で結果を残せて、チームとしてすごく良かったと思う」とも語っている。ならば、一瞬でも個人的な感情を露わにしてしまったのはなぜなのか。ふと漏らしたこの言葉に、答えは凝縮されている。

「今日の試合に関しては正直、他の選手よりもいろいろなことを背負っていたつもりやったから」

柿谷は「20番」のユニフォームを、自身の「8番」の下に着込んでプレーしていた。2003シーズンから在籍するチーム最古参の酒本憲幸に「一緒に戦いたいから」と頼み込み、決戦へ向けて借りてきたものだ。

33歳の酒本は、今シーズンのリーグ戦で一度もベンチ入りしていない。それでも決して腐ることなく、リザーブ組に出場機会が与えられたルヴァンカップで計5試合に先発フル出場。決勝進出を決めたチームを支え、柿谷らの主力組にバトンを託した。

「ルヴァンカップは予選から頑張ったみんなが、もっと称賛されるべきだと思いながら僕自身はプレーしていた。名前を挙げるのはあれですけど、このチームに関わってくれるいろいろな人の思いがある中で、絶対にシャケさん(酒本)と一緒に優勝したかったし、最後までピッチに立ってユニフォームをシャケさんに見せたかった。こういうチャンスって、あまりないじゃないですか。それをモノにできなかった悔しさがすごく残っていて…」

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■伝統の「8番」への思い、主将としての覚悟

酒本だけではない。今シーズンからフットボールオペレーショングループ部長を務める初代“ミスター・セレッソ”の森島寛晃氏も、歓喜の瞬間を見届けようとピッチに降りてきていた。

森島氏が背負った「8番」はクラブの象徴として、香川真司(ボルシア・ドルトムント)、清武弘嗣から柿谷に受け継がれていた。清武のニュルンベルク移籍に伴い、一時的に空き番となっていた2012シーズンのオフ。海外移籍を視野に入れていた柿谷は森島氏の自宅に招かれ、「8番」を継承してほしいと要請されて残留を即決した。

「僕が着けていい番号かどうか、何度も悩みました。森島さんから『着けてくれ』と言われた時には、泣きそうになるくらい感動しました」

背番号への愛着をこう語ったことのある柿谷がさらに心を奮い立たせたのは昨年1月。強化部から届いた熱いラブコールに覚悟を決めて、契約を2年半残したバーゼルからJ2を戦う古巣へ復帰した彼を待っていたのは、伝統の「8番」とキャプテンの大役だった。

「このタイミングで帰っていいのかという思いは曜一朗の胸にあったようですが、話し合いを重ねる中で『自分がJ1へ上げてやる』という彼の気概も私は感じました」

当時の心中を慮る玉田稔代表取締役社長の目には、誓いどおりにJ1復帰を果たした今シーズン、尹晶煥新監督から命じられた中盤の左サイドで攻守両面で黒子に徹する「8番」の背中が「かなり我慢している」と映っていた。

「それでも監督がやろうとしていることをメンバー全員がよく理解していた。サッカーとは個人ではなく組織で、チームで戦わなければいけないので」

柿谷をベンチへ下げた選手交代は、高さのある山村を最終ラインに投入し、5バックで守備を固めるための采配だった。「ああいうサッカーを多く取り入れている面でも、チーム全体がすごく粘り強くなった」と笑顔を見せた柿谷の思いは、生え抜きからキャプテンのそれに戻ろうとしていた。

「一つ優勝したから何かが変わるわけでもないし、今日のような試合を続けていかないと。これでまた来年に『あれっ、去年は何だったんや』となってしまうと意味がないけど、クラブとしては一歩前へ進んだと思う。一つ目のタイトルを取れた時に自分がこのチームにいられて、本当に幸せでした」

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今回のルヴァンカップ制覇の前に最もタイトルに近づいた、2005年12月3日のJ1最終節。後半終了間際の失点で首位から5位に転落したFC東京戦で森島氏は先発し、プロ3年目の酒本は長居スタジアムのスタンドで声をからしていた。そして翌年からのトップチーム昇格が決まっていた柿谷も、スタジアムで見た“悲劇”を記憶に焼きつけたという。

あれから12年。さまざまな思いが交錯する中で歴史が塗り替えられ、表彰式後のロッカールームでは森島氏や酒本を含めた全員で喜びを分かち合った。

「みんなで抱き合いました。何か気持ちが悪かったです(笑)」

ようやく浮かべた柿谷らしい天真爛漫な表情。彼の目はすでに来シーズンのAFCチャンピオンズリーグ出場権が懸かるJ1残り3試合、そして同じ埼玉スタジアム2002で決勝が行われる天皇杯制覇へと向けられていた。

文=藤江直人

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