Dimitri Payet Streets Won't Forget GFXGOAL

忘れ得ぬ名選手:ボーリン・グラウンドで成功しバロンドール候補となったディミトリ・パイェ

ディミトリ・パイェは、ウェストハムを成功に導いた、最もテクニックに優れた最高の選手のひとりとして歴史に名を残している。針に糸を通すような繊細な技術を持ち、明るく快活な司令塔であり、ピッチの中央で相手選手を見事なショルダーチャージで倒すことでも知られ、スラベン・ビリッチ監督時代のウェストハムの成功に中心的な役割を果たしたのみならず、ヨーロッパ全土で名声を博した。

イースト・ロンドンのクラブに在籍中は、ウェストハムで最高の選手だったのみならず、最終的にはバロンドール候補ともなった。インド洋に浮かぶレユニオン島から始まった彼の人生の絶頂期であった。

パイェのキャリアが挫折から始まったことは、あまり知られていない。レユニオン島のサン=ピエロワーズというクラブと密接な関係を持っていたル・アーヴルに加入したパイェは、ユースの選手として4年間在籍したが、やる気やプロ意識の欠如を指摘され、結局レユニオン島に戻り、エクセルシオールでプレーすることになった。

パイェの態度や行動が問題視されたのは、その時が最後ではなかった。天賦の才能に恵まれながら、複数のチームで芽が出ないままだったと言ってもいいだろう。おそらくは苦悩する天才だったのだろうが、全盛期のこの攻撃的ミッドフィルダーは甘やかされても仕方がないだけではなく、彼を中心にチームを構築する価値のある選手だった。

以下に続く