GOAL「クラブ以上の存在」の象徴はバルセロナではない:カネにまみれた現代サッカーにおけるアトレティックという“生き方”
バルセロナは今なお、自らを「クラブ以上の存在(més que un club)」と主張している。しかし残念ながら、それはもうしばらく前から真実ではない。かつては汚れなき純白だったユニフォームの空きスペースから、スタジアムの名称そのものに至るまで、今のバルサではあらゆるものが売りに出されている。競争力を維持しようと必死になるあまり、カタルーニャのクラブは実質的に、自らの魂を最高額を提示した相手に売り渡した。一部のサポーターは、それでも払う価値のある代償だったと主張するかもしれない。
ジョゼップ・マリア・バルトメウによって破産寸前に追い込まれた後、本来であれば、前任者が長年の放漫経営に対して慎重に対処していれば、バルサは数シーズンにわたって無冠を耐え忍ぶことを余儀なくされていた可能性が高い。だが、“レバー”を引くジョアン・ラポルタ現会長がクラブの未来を現在の成功に賭けたおかげで、2年連続ラ・リーガ優勝を成し遂げたのも事実である。
しかし、バルサはタイトルと引き換えに、その誇りを失った。ブラウグラナはもはや他とは違う存在ではない。もはや特別でもない。もはや唯一無二でもない。だが、アトレティック・クルブは、真の意味で「クラブ以上の存在」であり続けているのだ。
アイデンティティ
AFPエルネスト・バルベルデは、2024年にアトレティックをコパ・デル・レイ優勝へ導いた際、それを自身のサッカー人生で「最も意義のある成功」と表現した。バルベルデは選手としてバルセロナで2つのタイトルを獲得し、監督としても4つのタイトルを手にしていたが、「これに比べられるものは何もない」と断言したのだ。それはなぜなのだろうか?
アトレティックが約40年もの間主要タイトルから遠ざかっており、そして6度も決勝戦で涙をのんできたことも理由の1つだろう。だが、バルベルデやアトレティックに関わる全ての人々にとって、理由はこれだけではない。
コパ・デル・レイの優勝は、単にバスク勢の重圧を取り除いただけではなく、クラブ全体の哲学を正当化するものでもあったのだ。カネがものを言う現代サッカーにおいても、自らの哲学を曲げることなく、やり方を変えずに成功を収めることが可能だということを確かに証明したのである。
「このトロフィーは他のどれとも違う。なぜなら、これは我々が何者であるかに関わるからだ」バルベルデは語る。そして「アトレティックが何者であるか」は、現代サッカーにおいて傑出しているのだ。
“生き様”
AFPアトレティック・クルブは、まさにビルバオの誇りである。サッカーを追っていない地元の人々でさえこのチームを応援しており、1世紀以上にわたってバスクの人々とその文化を象徴する不屈の存在であり続けてきた。取締役会メンバーのイゴール・サン・ロマンは語る。
「アトレティック・クルブを理解するには、我々の価値観を理解しなければならない。このクラブは世界でも唯一無二のモデルを掲げてきた。127年の歴史の中で我々が発信し続けてきた価値観と原則、すなわちクラブへの忠誠、クラブカラーへの忠誠、そして何よりクラブが代表するコミュニティーへの忠誠である」
「ひとつ変わらないメッセージがある。それは『忠誠心は死んでいない』ということだ。我々は選手たちにそのメッセージを体現してほしいと望んでいる」
これだけ開かれた欧州サッカーにおいて、アトレティックは未だに彼らのアイデンティティを捨てていない。バスクにルーツを持つ、もしくはバスクで育成を受けた選手だけを起用するという誇り高き哲学を一度も放棄していない。だからこそ、その歴史と伝統、アイデンティティは今も受け継がれているのだ。
もちろん、これはかなり制約の大きい方針である。バスク地方はスペイン北部からフランス南部にまたがる7つの県で構成されているが、総人口は300万人強にすぎない。サッカーという世界最大のスポーツにおいて、ラ・リーガはトップレベルであることは紛れもない事実だ。この世界的なリーグで、この方針を変えないで戦うなど容易ではない。
それでもアトレティックは、育成年代に多額の投資を行うことで、手元にある才能を最大限に生かしている。また、ビルバオとの間にすでに存在する深い絆も丁寧に育んでいる。DFダニ・ビビアンは『ガーディアン』でこう語った。
「アトレティックのファンになるかどうかは、自分で選ぶようなものじゃないよ。生まれた時からそうなんだ。僕たちにとって大切なことは、最近の歴史だけでも、スポーツだけでもない。クラブがこの街の人々にどう接し、どう寄り添うかということなんだ。そうしたあり方は本当に特別で、そんなものを生み出せるクラブはほとんどないと思うよ」
その結果、クラブの基盤となる地域は比較的小さいにもかかわらず、最終的には同じ価値観、誇り、情熱を持つ選手たちで構成されたスカッドが出来上がる。そしてアトレティックは、伝説的MFフレン・ゲレーロが表現したように、クラブと自らの人々を代表する幸運に恵まれたすべての選手にとっての“生き方”になるのだ。
「それは非常に深く根づいている。アカデミーとの取り組み方にも、僕らの理念にも表れているよ」ビビアンは説明する。「ロッカールームではみんなが共有する一体感がある。それが間違いなく、僕たちが戦う助けになっている」と。
希望の象徴
AFP必然的に、今の時代にタイトルを争うことは、かつてよりも難しくなっている。近年のチャンピオンズリーグ創設以降、「持てる者」と「持たざる者」の格差は劇的に広がった(おわかりの通り、カネの話だ)。しかし、それこそがアトレティックのコパ制覇をより甘美なものにしている。
ウナイ・シモンが「ビルバオで主要タイトル獲得を祝うために、ずっと待ち続けてきたんだ」と語ったのは、大げさでも何でもない。アトレティックが最後にトロフィーを掲げたのは1984年、その時に生まれていた選手は今のスカッドに1人もいない。当時はハビエル・クレメンテ率いるチームが2冠を達成し、100万人を超える人々が見守る中、ビルバオ河口を水上パレード“ラ・ガバラ”で進んで祝ったのだった。
その壮観な光景は、マジョルカをPK戦で下して40年の苦しみに終止符を打った後、シモンらによって再現された。「ずっと僕らの夢だった。祖父母や両親がずっとこの話をしてくれていたんだよ。最高だね!」と船上からその興奮を口にしている。そしてバルベルデも、「ここは地球上で最も魅力的なクラブだ。そして何かを祝うことに関して言えば、世界最高の場所なんだよ」と40年ぶりの戴冠を噛み締めていた。あの光景はまさに、彼らがどんな存在で、何を体現しているのか、そのものだった。
CDグアダラハラもメキシコ出身の選手しか起用しないかもしれないが、アトレティックはクラブフットボールの最高峰において真の異端である。なぜならプレーする選手を1つの地域に限定しているからだ。そしてバルセロナでさえも、以前に公式サイトで認めている。「“フットボールのグローバル化”に直面しながらもアトレティックがこれほど競争力を保ってきたのは、その地域のフットボールの質の高さを示す証しだ」と。
カネが飛び交う現代サッカーにおいてその頂点に立ち、クラブ規模が巨大になるにつれて、バルセロナが同じような哲学を放棄してしまったのは仕方がない部分もある。しかし、アトレティックのような抵抗を見せてこなかったことには、一抹の寂しさを覚えるのも事実だ。
そしてアトレティックは、自分たちのアイデンティティを未だに守り続けている。だからこそ、彼らが愛されているのはビルバオに限ったことではない。バルベルデが言うように、アトレティックは世界中で尊敬され、崇敬されている。なぜなら、フットボールが進んできた方向に強い幻滅を覚えた人々に安心感を与えているからだ。
「人々は我々の哲学、そして我々の戦い方に共感してくれているだろう。心の奥底ではフットボールと和解したがっているのかもしれないしね」
「クラブ以上の存在」を体現するのは、今やアトレティックの方だ。彼らは資本主義に飲み込まれたサッカーにおいて、真に希望の象徴なのである。
