「ユルゲン・クロップがいなければ、ディオマンデはライプツィヒに来ていなかった。これは言わなければならないことだ」とミンツラフは語り、続けて新たなドイツ代表監督が、飲料メーカーでフットボール部門のトップを務めていた役割からDFBへ移ることについてこう説明した。「彼は、それぞれのスポーツ部門の責任者たちに対し、大胆な決断を下すよう後押ししてくれる人物だった。だからこそ、我々にとっては痛手だ。ただ一方で、今の代表チームが監督として間違いなく取り得る最善の選択肢を手にしたことも喜んでいる」
ミンツラフによれば、クロップはRBでの1年半の間に「多くの足跡を残した」といい、その退団は「当然ながら痛かった」という。それでも、夏の失敗に終わったW杯後に届いたDFBからの打診を、レッドブルが断ることはできなかったのは明らかだった。ユリアン・ナーゲルスマンの後任になりたいというクロップ本人の思いが、あまりにも強かったからだ。「彼は私にこう言った。ほかのどんな監督の仕事、つまりリーグの仕事にも心は動かなかっただろうし、その場合は我々のもとで今の職務を続けたかったと。でも代表チームは――その時点であっても――彼にとっては別物で、感情を揺さぶる存在だった。だから我々は決断した。ならば彼を行かせようと」
クロップは本来、レッドブルと長期契約(2029年まで)を結んでおり、契約解除条項もなかった。ミンツラフは、DFBおよびリヴァプールの長年の指揮官との話し合いの中で、代表監督となった後もレッドブルを代表し続けることが論点だったといううわさを一蹴した。「いろいろ書かれていた。ユルゲン・クロップがレッドブルのキャップをかぶったままベンチに座る、なんて話まであった。でも、そんな議論は一度もしていない」。「移籍金が問題になったことも一度もなかった」とも明言した。
その代わりにDFBは、レッドブル財団『Wings for Life』に高額の寄付を行う。さらに2030年までに、ライプツィヒで代表戦3試合が開催される。ミンツラフにとっては「素晴らしいジェスチャー」だ。クロップは協会と同じく2030年までの契約を結び、今月、アムステルダムで行われるオランダ戦で代表監督としての任期をスタートさせる。
ヤン・ディオマンデはスペイン2部からRBライプツィヒへ加入した
ミンツラフはまた、クロップがいなければ成立しなかったディオマンデ獲得についても、さらに詳しく語った。明らかにクロップの助言を受け、ライプツィヒは当時18歳だったこの選手を、スペイン2部のCDレガネスから実に2000万ユーロで獲得した。当時はクラブ内部でも少なからず驚きをもって受け止められた取引だった。
実際、主将のダビド・ラウムは昨年こう明かしている。「夏に彼の市場価値を見て、そのあとで自分たちがいくら払ったのかを確認した。その後すぐに、オファーの金額を打ち間違えたのか、それとも何か問題があったのかと聞いたよ」 もっとも、ラウムの懐疑はすぐに消え去った。「最初のトレーニングの後、私はマルセル・シェーファー(ライプツィヒのスポーツディレクター=編集部注)のところに行って、この移籍を祝福した」
Getty Images実際のところ、クロップとシェーファーはディオマンデに関して確かな見る目を示した。このコートジボワール人はブンデスリーガで大ブレイクを果たし、1億2500万ユーロでレアル・マドリーへ移籍。クラブ史上最高額の新戦力となった。しかも、RBLの監査役会に名を連ねるミンツラフは、数週間前には彼を非売品だとまで語っていた。「これで分かるでしょう。私は監査役として、ライプツィヒでは実際には何も決められないんです。だって私は、彼を手放さないと言っていたのだから」 それでも、取引の規模や関与した当事者たちを考えれば、最終的に合意に至ったのは理解できることだったという。「あれは最終的には、私の考えでは十分に納得できる決断だった」

