三笘という選手のプレークオリティーについて、議論する余地はもうほとんど残されていない。ただブライトンのイタリア人指揮官ロベルト・デ・ゼルビは、「たとえ人生最高の試合でなくても彼はゴールを決めてしまう」と、この日本人にはプレークオリティー以外の、選ばれし者の才能があることを強調していた。そう、三笘には様々な状況で強烈なインパクトを残すための先見性が備わっている。彼がいれば、どんなことだって起こり得るのだ。その証左は、直近の7試合で直接的に7得点に絡んだこと。もちろん数字がすべてではないが、私たちがこの目で見たことの確認にはなる。
三笘はフットボールそのものと言うべきか、フォーメーションという概念に無理に当てはめる必要のない選手だ。彼はどんな戦術にも適応する……もしくは、どんな戦術も彼に適応する。デ・ゼルビの基本フォーメーション1-4-2-3-1にはまっているばかりか、この前の試合(ボーンマス戦)のように偽ウィングバックとしての役割でも手応えを感じさせた。利き足とは逆の左サイドで、三笘はチームに多種多様な可能性をもたらすことができる。
ペルビス・エストゥピニャンとの相互関係は強みだ。エクアドル人DFがオーバーラップすれば、三苫と使用するスペースが重なる可能性もあるのだが、彼らはお互いを見事に補完している。エストゥピニャンは基本的に三笘にスペースを与え、日本人が内に絞ってプレーするときにのみ自ら縦に進んでいく。そうした約束事から鑑みるに、デ・ゼルビが駆使するシステムは三苫にやりづらさを感じさせないよう仕組まれているわけだ。三笘は対戦相手が攻めようが守ろうが、文脈に関係なくそのフットボールをごく自然に、流れるように表現できている。リヴァプール戦のように走るスペースがあればトランジションで威力を発揮し、相手が引いて守るチームならばポジショナルな攻撃において最たる違いを生み出す選手となる。
三笘が速攻でも遅攻でも輝くのは、第一にそのドリブル能力によって。現在のフットボールシーンにおいて、彼ほど突破力がある選手は数えるほどしかいない。頭は常に上がっていて、それでいてボールは足にくっつき、左右どちらからでも突破が可能……相手にしてみれば対応しづらいことこの上ない。引きつけて、1000分の1秒の緩急で前へ踏み出すと、もう止めることは不可能だ。
加えて、三笘はプレーを読むのがうまく、攻撃においては選択を間違えることがほぼない。モイセス・カイセド、パスカル・グロス、アダム・ララーナがDF陣を引きつければ、内に絞って生じたスペースにボールを持ち運び、ワン・ツー、シュート、サイドチェンジなどの選択肢から最適解を選び出す。その際、エストゥピニャンが縦を突くことで三笘の確保するパスコースは増えているわけだが、もし三笘とほかのチームメートとの距離が離れていれば、エストゥピニャンは日本人のそばに寄ってマークを分散させる。フェイントを仕掛け続ける三笘は、内に切れ込むだけでなく外からクロスを送ることもあり、外を選択するときには自分側のセンターバックのカバーを強要。センターバックを引きつけながらゴールライン近くまで突き進んでくと、そこから手薄となった中央に左足でボールを折り返す。リヴァプール戦では、トレント・アレクサンダー=アーノルドが彼に付いていくべきかどうかで四苦八苦していた。