統計上、プレミアリーグは地球上で最も視聴されているリーグである。スタジアムの雰囲気も素晴らしい。だがピッチに目を向けると、もはや特別「華やかな」プレーを見ることはできなくなっている。
近年のフットボールはよりアスリート能力を重視する傾向がさらに加速しており、今や技術よりもフィジカルに大きく比重が置かれている。そして、その最前線がプレミアリーグだ。だからこそ、アーセナルは22年ぶりにプレミアリーグ王者に輝くことができている。ミケル・アルテタ監督と選手たちはプレミアリーグの基本的価値観を体現している。強さ、スピード、パワー、そして保守性といった面で。
彼らはフットボールという「美しいゲーム」を「何が何でも勝つゲーム」に変えていった。勝利に徹底してこだわった結果、喉から手が出るほど欲しかったトロフィーを22年ぶりに手にした。その努力は咎められるべきではないし、称賛すべきだ。そして彼らの台頭により、試合自体が大きく見直されることになる。以前よりもさらに「効率的に勝つ」ことが求められ、リードを守り切ることとセットプレーがより重要視されることになった。その影響により、オープンプレーからの得点は大幅に減少している。
そしてこの傾向が強まるほど、アタッカーが輝くのは難しくなっていく。現状、このリーグで圧倒的な輝きを放つアタッカーは、アーリング・ハーランド1人のみ。世界のフットボールにおける“顔”と言えるのは彼くらいだろう。そんな彼も、今季を最後に見られなくなるかもしれないが……。もしマンチェスター・Cが本当に降格や除名処分を受けるとすれば、ハーランドの退団は確実だ。そして彼も、レアル・マドリーかバルセロナへと旅立っていくのだろう。またしてもプレミアリーグは、“顔”と言える存在をスペイン二強に奪われることになるかもしれない。
繰り返しになるが、決してプレミアリーグにタレントが不足しているわけではない。アレクサンダル・イサクは本領発揮すれば素晴らしいストライカーであり、“異端児”ラヤン・シェルキはワクワクするプレーを見せてくれる。マックス・ダウマンやリオ・エングモアといった才能は、イングランドの育成年代の成功を表している。
しかし、「効率的に勝つ」ことが求められるゆえに加速していったフィジカル重視の傾向は、テレビ視聴者にとっては魅力的かもしれないが、選手たちに過酷な負荷を強いることで苦しみにつながっている可能性がある。
あまりに実利的な戦いの流行と過剰なまでの競争によって、試合を美しくしていた選手たちが輝くスペース・時間が失われすぎている。昨季のチャンピオンズリーグ決勝を見れば、アーセナルとパリ・サンジェルマンは対照的だった。それはアルテタ監督自身が「我々は2つの異なる世界を比較している」と認めている。
パリ・サンジェルマン、バイエルン、バルセロナ、レアル・マドリーは、国内での支配的な強さゆえに重要な選手たちをローテーションする機会がプレミアリーグ勢よりも圧倒的に多い。特に昨季、ルイス・エンリケ監督はウスマン・デンベレやフヴィチャ・クヴァラツヘリアの疲労のコントロールを最優先とし、リーグ・アンでは起用しないことも多かった。もしアーセナルがブカヨ・サカのコンディションをもっとうまく管理できていれば……彼はこの夏のワールドカップでもっと輝いていたはずだ。
だがしかし、プレミアリーグの現在の傾向が弱まる気配はない。今夏の移籍市場が改めて示したように、イングランドのビッグクラブはこれまで以上に直接取引を行っている。そう、“プレミアリーグで実証済み”の才能を買うことに取りつかれているからだ。その結果、マーケットは完全に狂ってしまった(サビオ、リアム・デラップ、マテウス・フェルナンデス、エリオット・アンダーソンの移籍金は異常だ)。そしてそれは、プレミアリーグ全体のクオリティを改善するうえで、当然ながら何の助けにもならないだろう。
この見通しは非常に悲観的かもしれないが、今やプレミアリーグは巨大なビジネスだ。そして当然、「ショー」であり続けなければならない。フットボールの本質は「勝利」だけでなく、見るものを「魅了する」ことである。もしこのまま実利だけを取る戦いが続き、ワールドクラスのアタッカーが次々といなくなってしまえば、このリーグの支配的な立ち位置は揺らいでしまうだろう。