フランチェスコ・トッティが本を出版した。また1冊、ただ今回は笑わせるためのものではない。ジョークやギャグが詰まっているのではなく、彼の人生にまつわる興味深い話や舞台裏、逸話が盛り込まれている。『Oltre』がそのタイトルで、カイロ・エディトーレから刊行。元ローマ主将のトッティは『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙上で、その一部を明かした。48歳でのセリエA復帰を土壇場で断ったことから、ノエミ・ボッキとの関係まで、彼の私生活を変えた出来事を通じて、新たなトッティの姿が語られている。

再びプレーする? 冗談だったが……
ジラルディーノは42歳、ファブレガスは37歳だった。つまり、指示を出すために報酬を受け取っていた彼らより、私はそれぞれ6歳、11歳年上だった。作り話なんかじゃない。まぎれもない事実だ。信じがたいが、本当だ。とんでもない話だ。
コンディションを維持するため、私は毎週月曜の夜に8人制サッカーをしていた。名前の通り8人でやるサッカーで、もしかすると定年後や仕事終わりの人たちのスポーツでもあるのかもしれないが、私は楽しんでいたし、ゴールも決めていた。少しふっくらはしていたが、コンディションは悪くなかった。うまくやれていたし、ボールの扱い方やFKの蹴り方、アシストの出し方を忘れるものではない。
インタビューでは冗談を言うのが好きだった。あのあたりに来た記者を少しからかうのも、私にしかできないやり方でやっていた。「復帰する準備はできている」。実際のところ、その一言はみんなの耳に入った。そして誰かが、とんでもないアイデアを思いついた。
「フランチェスコ、本当に準備ができているなら、今度は本当に戻ってこい」
ジェノアとコモ
最初に動いたのは、ジェノアの首脳陣だった。私は彼らと直接話をした。 彼らは私にシンプルな質問を投げかけた。「それで、この新しい挑戦をやる気はあるのか?」。本気だった。
答えを出すまでに時間をもらい、その前に私はハードに取り組み始めた。本当にかなりね。 月曜の8人制サッカーは続け、さらに週3回のジムと、理学療法士とのセッションを2回加え、食事も管理した。パンもやめ、甘い物もやめ、全部やめた。甘い物を断つのが本当にきつかった。
マラッシは気に入っていた。いいスタジアムだし、イングランド風で、情熱ある人たちがいて、ピッチに張り付くように試合を見ている。息遣いが首筋にかかるように感じるんだ。それに、ちょうどジェノア戦がローマのユニフォームを着て戦った私の最後の試合でもあった。運命というやつだ。
ジラルディーノは何度かWhatsAppを送ってきた。「それで?」と。彼はビエッラの人間だから、メッセージでもあまり多くは語らなかった。
トレーニングをしてもそこまできつくはなく、体の反応もよかった。もうすぐ50歳になる人間としては普通の軽い不調はあったけれどね。背中が少しこわばっていたが、深刻なものではなかった。引退から7年がたっていたから、ある種のトレーニングはゼロからやり直さなければならなかったが、それでも思っていたよりはやれた。しっかり踏ん張れていた。プロのように追い込んでいたよ。
ローマを裏切ることはできなかった
なあ、俺は何をしてるんだ? そう自分に問いかける日もあれば、もっと楽観的な日もあった。自分の未来に何が待っているのか、正直よく分かっていなかった。いや、もしかしたら分かっていたのかもしれない。でも、気づかないふりをして、その瞬間を楽しんでいた。頭では受け入れられると思っていたのに、心は違った。かと思えば立場は逆転し、思考はブレーキをかけるのに鼓動は速くなる。結局のところ、最後に行き着く結論はいつも同じだった。自分自身に投げかけるひとつの問いだ。ローマではないチームでプレーすることなんて、できるのか?
自分の内側では、その正しい答えが強く響いていた。聞こえないようにしようとしていただけだ。48歳だった。そう、でも年齢はある意味で乗り越えられる。動きは遅くなるかもしれないが、左足は年を取らない。誰もがそう認めていた。あれにはボトックスなんて必要ない。問題はローマだった。問題点という意味ではない。これから先も、決してそうはならない。 スポーツにおける裏切りに年齢は関係ない。18歳でも48歳でも同じだ。
ノエミとの初キスは、オーストラリア戦でのPKのようだった
「これが僕の番号だ」。「じゃあ、これが私の」。彼女はブロンドで、とても美しくて、誰の目にもそう映っていた。優しくて、賢くて、魅力的でもあった。話しながら、それを少しずつ知っていくのが素敵だった。
最初のキスが訪れたのは、ずっとずっと後のことだった。ポポロ広場の近く、車の中で、まるで10代の恋人同士みたいに、薄暗がりの中で。僕は少し怖くて、本当に胸が高鳴っていた。それまでの人生でキスはしてきたけれど、あのキスはものすごく大事なものだと考えていた。2006年ワールドカップのオーストラリア戦でのPKみたいに、失敗するわけにはいかなかった。未来にとって決定的な瞬間であり、歓喜への賛歌だった。
僕は思春期の少年みたいな迷いに襲われ始めた。自分からキスするべきか、それとも彼女がしてくれるのを待つべきか。目は閉じるのか、それとも開けたままにするのか。もし気に入ってもらえなかったら? 舌は入れるべきか、そうじゃないのか? もし誰かに見られたら? どうやら、僕たちは正しい瞬間に、正しいキスを交わしたようだ。背景にはローマがあり、僕たちの中にも、そして僕たちの前にもローマがあった。
父の死
「もしもし?」。受話器の向こう側では、長い長い間、ただ沈黙だけが続いた。それを短く破ったのは、重いというより、むしろ相手を気遣うような、ほとんど押し殺された呼吸だった。「もしもし?」。「残念ながら、フラ……」。その「残念ながら」を聞いた瞬間、私は悟った。世界が崩れ落ちた。
父が亡くなったのだ。そう告げていたのは、父が入院していたローマのスパランツァーニ病院で診てくれていた医師だった。自分の間と、私の恐怖を押し切るように、それでも落ち着いた優しい声で。その人は決して約束を違えず、毎晩19時30分から20時の間に、きっちり近況を伝えてくれていた。
なぜなのかは分からないが、悪い知らせというのはいつもずっと前もって撃ち込まれる銃弾のようなものだ。あの時は、実に7時間も前だった。「残念ながら、フラ、患者が挿管されるということは、そこから戻るのが難しいという意味です」。
父エンツォ、伝説の「保安官」は、まさに生きた時と同じように旅立っていった。言葉を発することなく(本当に必要な時にしかしなかった)、ただ視線で、目で。最期の瞬間、父は呼吸を助ける機械につながれていた。そして新型コロナウイルス感染症が、残っていたわずかな息の蓄えさえ奪い、卑怯にもその仕組み、肺をふさいでしまった。
これが、私の人生を変えてしまった死だ。それは逆説などではない。むき出しの苦悩そのものだ。
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