インテルのレジェンド、サンドロ・マッツォーラが83歳で死去した。イタリア人の同氏は長い闘病生活の末、金曜から土曜にかけての夜に亡くなった。
マッツォーラは1960年から1977年までの現役生活で、クラブレベルではインテル一筋だった。元ストライカーはクラブ史に残る屈指の名選手へと成長した。
マッツォーラはインテルで通算565試合に出場し、158得点を記録した。1964年と1965年にはネラッズーリの一員としてヨーロピアンカップを制覇。さらにクラブで4度のリーグ優勝も成し遂げた。1965年にはセリエA得点王にも輝いている。
マッツォーラは代表でも大きな成功を収めた。1968年には先発選手として出場し、イタリアは自国開催で欧州王者に輝いた。2年後にはワールドカップ決勝にも進出したが、リベリーノ、カルロス・アルベルト、そして言うまでもなくペレらを擁するブラジルに敗れた。
1971年、マッツォーラはヨハン・クライフに次ぐ世界2位の選手に選ばれた。現役引退後もインテルとの関わりは続き、とりわけテクニカルディレクターなどを務めた。
マッツォーラはジェノアやトリノでも、(とりわけ)テクニカルディレクターとして活動した。トリノとは自身の人生の早い段階から切っても切れない縁があった。1949年、彼が6歳だった時、父ヴァレンティーノ・マッツォーラは他の30人とともにトリノの飛行機事故で命を落とした。
イタリアでは、マッツォーラの訃報は大きな衝撃をもって受け止められている。各クラブはマッツォーラの遺族、そして土曜18時にローマでASローマ戦のキックオフを迎えるインテルに哀悼の意を示している。

