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「楽しい」とは正直言えない。ただ、「あの場所に立てる幸せ」はある~香川真司W杯について語る

 日本代表初招集は、2008年5月のことだった。岡田武史監督に抜擢されると19歳でA代表デビューを果たす。初のW杯の“体験”は10年6月の南アフリカ大会、20歳でサポートメンバーとして帯同した。翌年のアジアカップ、続くW杯アジア予選で代表にとって欠かせない存在となると、14年のブラジル大会、18年のロシア大会は背番号10を背負った。3大会連続のW杯出場は叶わなかったが、日本代表として、海外組の先駆者として、多くのファン・サポーターを沸かせる存在であることは間違いない。現在はベルギー・シント=トロイデンに所属しフットボールに向き合い続けている。そんな香川真司に話を聞いた。【取材協力=アディダス ジャパン、取材日=22年4月下旬】

■プレーヤーとして4年をどう過ごすか

――まずは香川選手の原点にあるW杯を教えてください。

 やはり、日本代表が初出場した1998年のW杯フランス大会ですね。それと2002年の日韓大会。日本が2大会連続で本戦出場を決めて。98年当時、僕は小学校4年生ぐらいでしたから、W杯という大会の本当のすごさはよく分かっていなかった。でも、「ものすごい大会があって、その大会に日本が初めて出る。めちゃくちゃすごいことなんだ」と、そんな感覚で見ていたことを鮮明に覚えています。

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 日韓大会は、日本中がすごく盛り上がっていました。僕は当時宮城にいたので一試合だけ、メキシコ対エクアドル戦かな、宮城スタジアムに見に行けました。ただ、毎日練習があったので日本代表の試合はライブで見られず残念でした。でも自分の国でW杯が行われていることは幸せでしたし、そんな大会に出られた選手たちも本当に幸せだと思います。

――香川選手にとってのW杯とはどういった大会でしょう?

 小さな頃から影響を受けて来た大会です。もちろん今もそうで、サッカー選手であるならば常に影響を受ける大会だと思います。「W杯に出ること」は一選手として目指すべき目標で、その場にどうやってたどり着くのか。4年に一度ですから、その4年というスパンの中で選手それぞれにいろんなドラマやストーリーがあります。プレーヤーとしてその4年をどう過ごすか。自分にとっては、この大会に出場することが成長につながったと感じています。

――2010年の南アフリカ大会はサポートメンバーでした。14年ブラジル大会は3試合出場、この大会はグループステージで敗退。18年のロシア大会は3試合出場1得点で日本はベスト16に進みました。改めて振り返ると?

 自分はあまり振り返らないんですが…(笑)。こうやって質問されて初めてそれぞれいろんなドラマがあったなあと思います。

 3大会とも違う監督でした(10年岡田監督、14年アルベルト・ザッケローニ監督、18年西野朗監督)。試合を思い返すと、14年ブラジル大会の(グループステージ第1節)コートジボワール戦が一番記憶に残っていますね(先制するも1-2で逆転負け)。あの時の悔しさは一生忘れられないです。もちろん、コロンビア戦の敗戦や(GS第3節・1-4)、次のロシア大会も印象深いですが、自分にとってはコートジボワールに負けたあの悔しい2014年の経験があったから、選手としての次につながったと感じます。代表として負けることはプロ選手として何の意味もないんですけど…。でも、そういった敗れた経験が自分を大きく成長させたと思います。

――4年というスパンのなかで、積み重ねていくことが次につながったと。

 そこが一番だと思います。その4年間をそれぞれがどう積み上げていくのか、W杯はそういうものが大きく出る大会だと思います。

 優勝した国の代表選手たちは普段どこでプレーしているのかといえば、やはり厳しい環境のビッグクラブで戦い続けています。W杯で勝つことは偶然じゃない。日々タフな戦いにさらされる環境の中で、代表という場を勝ち穫っているから、大舞台での結果につながるんじゃないかなと思います。

■まずは初戦に集中すること

202211120-kagawa-iterviewGOAL

――W杯は選手にとって特別な大会で、感情のコントロールも大変だと思います。

 直近で出た大会は2018年ですが、最初のコロンビア戦は本当に気持ちが昂りました(2-1勝利)。自分の中でコントロールしましたけど、やはり普段の試合とは違いました。緊張やプレッシャーもあって。いったんピッチに入れば意外とプレーに集中できるんですけどね。

 試合前が一番イヤでした。バスに乗ってスタジアムに向かうときにいろんなことを考えてしまうんです。そこを意識的にコントロールする、無に近くなる、あまり考え過ぎずに過ごそうと意識していました。でも、音楽を聴いたり、違うことに意識を向けたりするものの、すぐ(思考が)戻って来てしまう。でもそれはある意味仕方ないですよね、そういう大会ですから。大事なのはピッチに入った時にしっかりといいパフォーマンスをすること。4年に一度の大会ゆえの緊張感、プレッシャー、いろいろあって当然で、でもピッチに入った時にそれらの思いをしっかりと消化して集中できました。

――逆にこんなところが楽しい、ここが醍醐味なんだという部分はありましたか?

「楽しい」とは正直言えないです。ただ、「あの場所に立てる幸せ」を選手であれば誰もが感じると思います。プロサッカー選手を目指す子どもたち含めて、選手は常にあそこを目標としてチャレンジしてほしいと思います。

――カタール大会で日本は、ドイツ、コスタリカ、スペインという厳しいグループに入りました。香川選手はドイツでもスペインでもプレー経験がありますが、どう臨めばよいでしょうか?

 まずは初戦。ドイツ戦に集中することだと思います。すべてがそこだと思います。(自身が経験した大会も)1試合目に一番プレッシャーがかかりました。むしろ1試合目で大方決まると思います。スペインが3戦目ですから、2戦目のコスタリカ戦も含めて…というか僕なら、2、3戦目は考えないですね。とにかくドイツ戦に向けて集中します。

 もちろん方針を出して決断するのは監督です。その決断に対してチームとして個人として選手はどう戦っていくのか。個人としてはそこに向けていい準備をする、自分のベストを尽くせるように持っていく。そこしかないです。

 ドイツは僕にとっても馴染みのある国です。今の日本代表にもブンデスリーガでプレーしている選手がいます。(日本が)絶対勝てないということはない。ドイツはドイツでプレッシャーを感じていると思います。4年前はグループステージを突破できませんでした。だからこそより緻密にドイツっぽく徹底してくるとは思うんですが、日本にもそれに対応できるメンタリティはあると思います。いい準備をして粘り強く戦えれば、可能性はそれだけ上がってくるはず。選手たちはとにかくそこに集中して、悔いなくやってほしいと思います。

Profile
香川真司(かがわ・しんじ)
1989年3月17日生まれ、33歳。兵庫県神戸市出身。175cm/63kg。FCみやぎバルセロナJrユース→FCみやぎバルセロナユースを経て2006年セレッソ大阪に加入。10年ドルトムント(ドイツ)、12年マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)を経て、13年ドルトムントに復帰。19年ベシクタシュ(トルコ)に期限付き移籍、19年8月サラゴサ(スペイン)に完全移籍。 21年1月PAOKテッサロニキ(ギリシャ)を経て22年1月からシントトロイデン(ベルギー)でプレーする。日本代表Aマッチ97試合出場31得点。

【カタール大会公式球「アル・リフラAL RIHLA」】

adidas Al Rihlaadidas

取材は、カタール・ワールドカップ公式球であるアディダス「アル・リフラ」のアクティベーション時に行われた。アラビア語で「旅」を意味するアル・リフラを香川は「華やかなボール」と表現した。その多彩なカラーは、多様性に富んだ国や人のアイデンティティを表しているという。カタール大会ではぜひボールにも注目してほしい。

取材は、カタール・ワールドカップ公式球であるアディダス「アル・リフラ」のアクティベーション時に行われた。アラビア語で「旅」を意味するアル・リフラを香川は「華やかなボール」と表現した。その多彩なカラーは、多様性に富んだ国や人のアイデンティティを表しているという。カタール大会ではぜひボールにも注目してほしい。

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