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トーレスが鳥栖にもたらしたもの。数値化できない劇的な変化と自身が描く具体的な未来

 現役ラストマッチのニュースは世界中で報道され、SNSには多くのファンが、錚々たるスターたちが、言葉を寄せた。彼が重ねてきた実績と世界に発信する力はやはり別格だった――。引退から3日目の今、トーレスがサガン鳥栖を選んだ理由を振り返りつつ、クラブやJリーグにもたらした価値とこれからについてあらためて掘り下げる。(取材・文=藤江直人/ノンフィクションライター)

■日本にも偉大な家族がいる

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 家族をこよなく愛する男は右手でまだ幼い次女を抱きかかえ、左手で長女の背中を押し、右側には長男を従えながら、現役最後のピッチにキャプテンとして入場してきた。

「今日は特別な日だと、家族には話していた。まだ小さい子どもたちには理解できなかったかもしれないけど、妻とはキャリアの最初からいいときも、そして悪いときも常に一緒に歩んできた。これからは家族とともに、新しい歴史をスタートさせたい」

以下に続く

 サガン鳥栖のホーム、駅前不動産スタジアムにおける2019年8月23日の映像をいつか子どもたちが見たときに、自分が日本の地に刻んだ足跡を理解してほしい――フェルナンド・トーレスは穏やかな笑顔を浮かべて、日付が変わる直前まで行われた記者会見を締めくくった。

 キックオフ直前に豪雨に見舞われ、いざ始まった試合では盟友アンドレス・イニエスタに差配されるヴィッセル神戸の猛攻にさらされ、大量6失点を喫して敗れた明治安田生命J1リーグ第24節。引き続き開催された引退セレモニーで、トーレスは短い言葉に思いの丈を凝縮させた。

「私にとって最も大切なものは家族です。そして、この日本という国にもいま、偉大な家族がいると誇りをもって言いたい」

 日本にいる家族とは、最後の所属クラブとなった鳥栖に関わるすべての人々を指す。約18年間におよんだプロ人生のキャリアで、鳥栖でプレーした期間は1年あまり。それでもトーレスは「これからも常にクラブとつながりをもっていきたい」と、今生の別れではないと力を込めた。

■強い絆の原点、鳥栖を選んだ理由

2019_08_23_torres©J.LEAGUE

 トーレスと鳥栖とを結びつける太く、強い絆の原点をさかのぼっていくと一人の日本人に行き着く。鳥栖を運営する株式会社サガンドリームスの竹原稔代表取締役社長(写真中列左から2人目)を、トーレスは親しみ、尊敬の念、そして全幅の信頼を込めて「私の友人」と呼んでいる。

 下部組織時代を含めて通算で15年半在籍したアトレティコ・マドリーを、2017/18シーズンをもって退団するとトーレスが表明したのが昨年4月9日。ヨーロッパでプレーする選択肢も排除した上で、新たな挑戦を始めたいと考えていたトーレスへ、真っ先にオファーを出したのが竹原社長だった。

「お金の面ではアメリカや中国、オーストラリアのクラブの方がはるかに上だったと思う。それでも、僕たちがマネーゲーム的な話をせず、フットボールに対する考え方や鳥栖の未来、これからの彼の人生についてずっと話し合ってきたことがよかったのかもしれない」

 アメリカのシカゴ・ファイアー、中国の北京人和、オーストラリアのシドニーFCとの争奪戦を制し、7月に入って契約を結んだ舞台裏を、竹原社長はこう明かしたことがある。

 ヨーロッパから見て極東に位置する日本の、それも地方都市となる佐賀県鳥栖市でプレーすることにトーレスは強い興味を示した。ただひとつ、鳥栖がJ2への降格圏となる17位で、ワールドカップ・ロシア大会の開催に伴う中断期間を迎えていた状況だけがトーレスを困惑させた。

 アトレティコを皮切りにリヴァプール、チェルシー、ACミラン、そして2度目のアトレティコと、トーレスは名門あるいは強豪と呼ばれるクラブでプレーしてきた。毎シーズンのように優勝を期待されても、トップカテゴリーのリーグで残留を目指す戦いへ身を投じた経験は一度もなかった。

 しかし、何度もマドリードへ足を運び、鳥栖の未来へ一緒に歩みたいと訴えた竹原社長の情熱がトーレスの心を動かした。未知の戦いを乗り越え、鳥栖をひとつ上のステージへ導くことができれば、自分自身にとっても新たな成長を遂げられるのではないかと思えるようになった。

「僕は攻撃型の経営者なんです。なので、守りに転じる時代には向いていないけど、いまは乱世ですからね。ただ、子どものような心をもち続け、いつまでも夢を追いかける経営者でもあり続けたい」

 自身をこう分析したことがある58歳の竹原社長は兵庫県伊丹市で生まれ育ち、大阪府の強豪・北陽高校ではインターハイを制した経験をもつ。24歳で佐賀県へ移り住み、36歳のときに株式会社ナチュラルライフを設立。いまでは九州だけでなく北陸、関西、関東で「らいふ薬局」を展開している。

 2010年にサガンドリームスの非常勤役員に就任したことで鳥栖との縁が生まれ、翌年5月には現職に就任。入れ替わりの激しい薬局業界を生き抜いてきた手腕をフル稼働させながら、存続危機に直面したことのある鳥栖の経営状態を右肩上がりに転じさせ、クラブの未来へ向けた夢をも描き始めた。

 トーレスの加入は、夢を具現化させるための大きな一歩だった。ヨーロッパの舞台で、そしてスペイン代表で積み重ねてきた実績に対して期待をかけただけではない。育成組織の整備・強化にも注力してきた竹原社長は、トーレスの存在そのものが最高の教材になると声を弾ませたこともある。

「プレーヤーとしてだけでなく、人間的にも素晴らしい選手が目の前にいる。トップチームの若手や育成組織の子どもたちがトーレスを目標にして、例えるならスポンジのようにいろいろなものを吸収してくれれば。田舎にいながらJ1で戦う難しさを、財源的にも人材的にも考えさせられるなかで挑戦し続けていくクラブであるために、彼へ期待することは多岐にわたっていく」

 かつてジーコは住友金属工業蹴球団から鹿島アントラーズへ変わるクラブの強化だけでなく、ホームタウンの町おこしにも大きなやりがいを覚え、現役復帰して世界を驚かせた。トーレスもまた同じような思いを抱いて鳥栖入りを決断したことは、入団会見で発した言葉からも伝わってくる。

「若い世代にできるだけのことを伝えたい。子どもたちに常に言ってきたのは、サッカーで大切なのは情熱と夢ということ。情熱や夢を教えることはできない。自分で見つけて、前へ進んでいってほしい」

■ピッチ面でもがき苦しむ日々もあった

2019_08_23_torres©J.LEAGUE

 もっとも、肝心のピッチ内ではもがき、苦しんだ。それでも、最終ラインの裏へ抜け出してもパスが来ない状況にもどかしさを募らせても、次の瞬間には「新しいチームに来たばかりなので」と努めて前を向いた。残留争いが佳境を迎えた昨シーズンの終盤には、攻撃だけでなく守備でも体を張り続けた。

 例えば、引き分け以上で残留が決まった鹿島との最終節。スピードを武器にする全盛時のイメージをインプットしていたDF昌子源(現トゥールーズFC)は、ポストプレーを介して味方のために時間とスペースを作ろうとするトーレスの「強さ」に、ちょっとしたカルチャーショックを受けている。

「最初のプレーでアプローチしたときに、これはヤバい、いままで対峙したフォワードの選手たちとは違う、と感じずにはいられなかった」

 何とかスコアレスドローにもち込み、最終的には14位で残留を果たした鹿島戦後のひとコマ。移籍を報じるニュースが飛び交っていたなかでトーレスは鳥栖への残留を表明するとともに、出場17試合でわずか3ゴールにとどまったリーグ戦での結果に対してこう言及している。

「残留争いという厳しい状況でプレーしたことがなく、非常にストレスフルな時期もあったが、新しい経験を積むことができた。日本へ来る前よりも進化できたんじゃないか、と思っている」

 身も心もすり減らしたはずの日々を、ポジティブにとらえながら「進化できた」と総括する。ストライカーならば誰でも胸中に秘めるエゴイストな一面を、謙虚で誠実な人柄で覆い隠しながら昨日よりも今日、今日よりも明日を信じて必死に戦ってきた跡がひしひしと伝わってくる。

■鳥栖を引退の地に決めた理由

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 迎えた今シーズン。右太ももを負傷した影響もあってゴールをあげるどころか、先発もままならない状況で迎えた6月21日にトーレスは大きな決断を下す。自身の公式ツイッター(@Torres)と鳥栖の公式ホームページ上で、シーズン途中での現役引退が表明された。

「常に高いレベルを求めてプレーしてきたなかで、思い描くベストのパフォーマンスに到達するのは難しいのではないか、という疑問を抱いていた。自分の体は自分が一番よく知っている。体に問いかけてきたなかで、そこへ到達できないのであれば、いま現在の姿でサッカー人生を終えたいと考えた」

 決断を誰よりも先に伝えられた竹原社長は、その場で男泣きしながら「ウチがもう少しゴールを奪えるチームならば、引退の時期も延びたのでは」と頭を下げた。トーレスは「それは言わないでほしい」と逆に竹原社長を感謝し、笑顔を浮かべながら「むしろ幸せな決断なんだ」と前を見すえた。

 スペイン代表で苦楽を共有してきたイニエスタ、ストライカーとして切磋琢磨してきたダビド・ビジャが在籍する神戸との一戦を、最初で最後のわがままという形でラストマッチに選んだ。試合後の引退セレモニーで2人に抱きしめられ、労をねぎらわれたトーレスは再び「幸せ」という言葉を口にした。

「彼らと話していて涙をこらえきれない瞬間もあったが、今日は悲しくない。誇らしい気持ちだ。偉大なサッカーの歴史のなかで、こういう終わり方ができた。大好きなサッカーがもうできないのかと悲しむ瞬間が訪れるかもしれないが、いまは幸せな気持ちだ。後悔はまったくない」

 駅前不動産スタジアムには今シーズンで最多となる23,055人のファン・サポーターが駆けつけ、先発フル出場したトーレスの一挙手一投足を記憶に焼きつけた。大差をつけられた試合展開で幾度となくトーレスのチャントが響きわたり、惜別ゴールを期待する雰囲気にも支配された。

 それでもトーレスは自己中心的なプレーに走らない。最前線で神戸のボールホルダーに献身的にプレッシャーをかけ続け、攻撃に転じたときには起点となり、味方へパスをはたきながら相手ゴール前へ侵入していった。現役生活で積み重ねてきた「らしさ」を、試合終了まで貫き通した。

「自分はいいときも悪いときも常にあきらめずにプレーしてきた。ハードワークこそが私が知る唯一の成功方法だからだ。物事は必ずよくなると信じながら毎日のように積み重ねてきた、努力を惜しまない姿勢を何ら変えることなく、最後まで100%のプレーをできたことは幸せだと思っている」

■すでに描かれている具体策

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 未来ある子どもたちへのメッセージにも映るパフォーマンスを置き土産にしながら、最後まで声援を送り続けてくれたサポーターへ、感謝の言葉を届けることも忘れなかった。そこにはチケットやグッズの販売増など、数値化することのできない劇的な変化が反映されている。

「私は鳥栖が世界へつながる窓を開ける役割を果たした。そして、鳥栖には素晴らしいサポーターがいることを世界へ示せた。彼らはいいときも悪いときも常に喜びとポジティブな気持ちを与えてくれた。残留が決まった瞬間に泣いて喜んでくれた昨年のように、パッションを含めて多くのことを教わった。

 私が鳥栖に来る決め手になったのは、小さなクラブでありながら、野心を語ることを恐れないところに無限の魅力を感じたからだ。困難な物事に立ち向かう人々と、ともに戦うことが私は大好きなんだ。このクラブには、偉大なポテンシャルがあると思っている」

 今後は選手としてではなく、実質的なアドバイザーとして鳥栖に関わっていく。近日中にスペインへ帰国するものの定期的に来日し、あるいは竹原社長もマドリードを訪れながら鳥栖の、そして日本のサッカーを世界へ広げていく。トーレス自身、すでに具体的なビジョンを思い描いている。

「クラブを強くするためには、まずはユースの選手たちが感謝の気持ちやクラブへの愛を抱いてプレーしていかなければいけない。ヨーロッパの若手は自信と誇りをもってプレーしている。日本の若手が見習うべき点であり、実際にはできるのに、自信がないことで力を出し切れていない面がある。そこを伸ばせるような環境を作っていけば、クラブもさらに強くなっていく」

 例えば鳥栖市内にトーレスの名前を冠したグラウンドと大会を創設する。仮に「トーレスフィールド」と「トーレスカップ」と命名された舞台で秀でたプレーを見せた子どもたちをスペインへ派遣し、トーレスが母国で見出した子どもたちも大会に参戦させることもあると竹原社長は目を細める。

 サッカースクールなどの開催を含めて、夢はどんどん膨らんでいく。同時にトーレス自身はトップチームの組織改革にも意欲を見せていて、神戸戦後の会見ではこんな言葉も残している。

「まず必要なのは全員が同じ方向を見るオーガナイズ。どのようなスタイルでプレーしたいのかというクラブの方向性を決めて、下部組織でそのスタイルを身につけられるよう育成する。そして、何よりもチームの周囲をポジティブな雰囲気にすること。シンプルだけど簡単なことではないと思っている」

 トーレスの加入時に、竹原社長は「クラブとしてトーレスに恋をした」と名言を残した。マドリードやロンドン、ミラノという大都市で暮らしてきたトーレスもまた、愛する家族と町中を自由に散歩できる機会と時間を与えてくれた、鳥栖市を含めた日本の閑静な環境を心の底から愛している。

「リスペクトという、重要な価値観を私は日本で学ぶことができた。日本の人々は私たち家族のプライバシーを守ってくれた。私の子どもたちも、人として重要なことを学んだと思う」

 相思相愛だからこそ、日本を現役引退の地に選んだ。未来へと紡がれていく第2章がいかにスペインをうらやましがらせているのかは、引退発表後に竹原社長のもとへ届いた、古巣アトレティコ幹部からのメールが物語っている。そこには「できればウチで引退させたかったよ」と綴られていた。

取材・文=藤江直人

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です

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