Carlos Roa Argentina

“アルマゲドン”を理由にビッグクラブ移籍を拒否…日本が98年W杯で戦ったGKの苦難とは

1998年のフランス・ワールドカップで、初の本大会出場を果たした日本代表はグループリーグ3連敗で初のW杯を終えた。

この大会で、最初に日本の前に立ちはだかったのは優勝候補の一角と目されたアルゼンチン。そのアルゼンチン代表の正GKを務めたカルロス・ロアは、実はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍話があったものの、“世紀末の黙示録”を信じていたことで、移籍が実現しなかったという。

ロアは、1998年のW杯でアルゼンチンの正GKとして活躍。オランダに敗れてべスト8止まりとなったが、安定したポジショニングとセーブ技術で高い評価を得た。

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そして1998-99シーズン、正GKとしてマジョルカをリーグ3位に押し上げる原動力となり、99年夏にはマンチェスター・Uへの移籍話が合意間近となっていた。しかし当時、ロアは「セブンスデー・アドベンチスト教会」の信者で「世界の終焉がやってくる」という説を信じ、移籍話をすべて拒絶した。結果としてロアは宗教上の理由により、現役引退を表明。その時に所持していた資産をほぼ手放し、コルドバの山村で家族とともに最後の時を待っていたという。

しかし、20世紀末に“アルマゲドン”が訪れなかったことは周知のとおり。ロアは結果的にマジョルカで現役続行を決意したものの、同胞の後輩レオ・フランコに正GKの座を譲り渡すことになっている。

ロアはアルゼンチンメディア『オーレ』の取材で、当時を「サッカー界から離れたかったし、実際にサッカーがない期間は幸せだった」と振り返っている。

「その結果、リラックスしてもう一度サッカーに向き合おうと思ったんだ」

2002年にマジョルカを退団した後はアルバセテに新天地を求めたものの、ロアはここで精巣がんを患っていることが明らかになり、またしても引退を表明。結果的に治療しながら現役を続行し、アルゼンチンのオリンポに移籍した後、2006年に現役を退いた。

その後は指導者となり、2011年からは代表時代の同僚マティアス・アルメイダに誘われる形でリーベル・プレートのコーチとなった。現在はアルメイダとともにメキシコのグアダラハラで指導者を続けている。

1998年、日本代表が挑んだW杯での初試合で、アルゼンチンの守護神として立ちはだかったGKロア。現役時代から食肉を一切口にしないヴィーガン(菜食主義者)としても知られる人物だったが、アルマゲドン、精巣がんにより、何度も引退の危機に陥るキャリアとなった。サッカーに集中できる状況であれば、ビッグクラブでも守護神として成功していたのかもしれない。

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