2017-09-03-japan-Vahid Halilhodzic

『孫子』と『ハリル』の共通点…約2500年の時を超えてつながる勝利のメソッド

紀元前に中国で生まれた名言が世紀を飛び超えて、フランスの文化を宿したボスニア・ヘルツェゴビナ出身の稀代の戦略家によって、日本の地で鮮やかに具現化された。

『敵を知り己を知れば百戦して殆うからず』

紀元前500年頃に中国で成立したとされる兵法書『孫子』の中でも広く知られている言葉は、「戦において敵と味方のことを熟知していれば負ける心配はない」と説いている。

以下に続く

この言葉がそのまま、6大会連続6度目のワールドカップ出場を決めた日本代表のオーストラリア代表戦に当てはまる。もっと正確に言えば、アジア最終予選で収めた快勝が、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の準備を含めた采配を通して証明された。

■完璧に把握していた敵の特徴

まずは『敵を知り』の部分。日本中が注目する大一番を前日に控えた公式会見で、ハリルホジッチ監督はこんな言葉を残している。

「私はオーストラリアのことを、まるで自分のチームであるかのように把握している」

オーストラリアがアジア王者として出場した、6月のコンフェデレーションズカップを開催国のロシアに足を運んで視察。得られたデータをフランスの自宅に持ち帰り、8月上旬に再来日するまで文字どおり微に入り細でチェックし続けた。

1カ月を軽く超える時間が費やされた末に弾き出された、オーストラリアに対するグランドデザインは、キャプテンの長谷部誠が発した言葉に集約されている。

「ポゼッションサッカーをとことん突き詰めるという部分で、オーストラリアはどのような状況になろうとパスをつないでくるというスカウティングがありました」

今年に入り、オーストラリアは4バックから3バックへスイッチ。中盤の人数を厚くした上で、恵まれた体格を生かした、従来のロングボール戦法からの転換を標榜していた。ドイツ代表に2-3と惜敗し、カメルーンとチリに1-1で引き分けたコンフェデレーションズカップは、オーストラリアの“現在地”を弾き出す上でのまたとない材料となった。

緻密な分析の末に、ハリルホジッチ監督はポゼッションサッカーへのチャレンジが時限的なものではないと確信。あえて相手にボールを持たせて、その上でボールを奪う狙いどころを高い位置に設定し、そこからショートカウンターを繰り出す戦法がベストとする結論を導き出した。

本大会出場決定から一夜明けた9月1日夕方に、さいたま市内のホテルで急きょ行われた記者会見。ハリルホジッチ監督は敵地メルボルンで1-1で引き分けた、昨年10月のアジア最終予選第4戦を引き合いに出しながらこう語っている。

「アウェイとホームで全く異なる戦術的なチョイスをした。戦術が好きな人にとっては面白いかもしれない。アウェイでは深い位置にブロックを形成したが、昨日の試合では90分間を通じて高い位置でボールを奪いにいった。引いて守ってしまうと、190センチを超える選手にどんどんペナルティエリア内へ入られるからだ」

アウェイ戦の時は、オーストラリアがパスサッカーに転換途上の状態だった。ゆえに左サイドバックには身長のある槙野智章を起用して高さを補い、原口元気を左サイドで何度も上下動させることで5バック気味の布陣を敷いた。さらに限られた時間の中で守り方を徹底すると、奪ったボールを1トップで起用した本田圭佑に預け、そのキープ力を生かした鮮やかなカウンターから原口が先制点を挙げた。

オーストラリアが頑なまでにポゼッションを志向する現在は、相手が選手を入れ替えてきても即座に対応できる。大一番の先発メンバーには、当初想定していた189センチのFWトミ・ユリッチ、横浜F・マリノスでプレーする187センチのミロシュ・デゲネクが名前を連ねていなかった。これを受けてハリルホジッチ監督は振り返る。

「1トップもMF的な特徴を持った選手が入った。その背後にMFが4人。試合直前に選手たちから説明を求められ、中盤でどのような戦術を採り、どのように前からプレッシャーを掛け、逆サイドをどのように見るのかを話し合った。セットプレーも予測していた、身長の高い選手が入っていなかったので、マークの仕方を変えた。細かい指示を数多く出したが、選手たちがその全てを実行してくれた」

■自国代表も色分けで徹底評価

ここで『己を知れば』となる。ハイプレスと高いインテンシティーが最も有効となる戦い方を具現化するために、「4-1-4-1」システムを選択。長谷部をアンカーに据え、その前方に運動量が豊富とボール奪取にも長けた山口蛍と井手口陽介をインサイドハーフとして並べた。さらに2列目の「4」には左に変幻自在なドリブルが武器の乾貴士、右に縦への突破力に最も長けた浅野拓磨を起用。ショートカウンターを仕掛けるためのキーマンに指名した。そして浅野には「裏のスペースを狙い続けろ」と指示し、目論見どおりの先制ゴールに導いている。

代表選手に関して、ハリルホジッチ監督は50人前後からなるラージリストを持っている。原則として毎週月曜日にスタッフミーティングを開催し、直前に視察してきた試合で得た情報をもとにリストを更新していく。海外組に関しては、試合の映像を徹底的にチェックしていく。このリスト更新に関して、ハリルホジッチ監督はこう説明してくれたことがある。

「5段階で色分けして選手を評価している。一番上からブルー、グリーン、イエロー、オレンジ、レッド。評価の基準は戦術、テクニック、フィジカル、メンタルの4点」

実績がありながら故障明けだった本田や香川真司、移籍問題のこじれで出場機会を激減させていた原口は、メンバー発表の読み上げ順からも評価を下げていたことが予想される。

もっとも、ある意味で意表を突かれた先発メンバーはすっきり決まったわけではなかった。

「チームの8割はでき上がっていたが、中盤と前はまだ決まり切っておらず、いろいろと考えた。例えば20歳そこそこの選手を2人起用することに、スタッフ全員が納得していたわけではない。こうしたプレッシャーに彼らが応えられるのかという懸念もあった」

最終的な決断を下したのは、前日30日の練習を経てからだったという。膨大な時間を割いた視察の末に指名された浅野と井手口には、昨夏のリオデジャネイロ・オリンピックをともに戦い、気心の知れた手倉森誠コーチらを介して、キックオフまでにチーム総出でケアを施した。

「スタッフが細かいところまで詰めてくれたからこそ、全てを実践できた。コーチングスタッフ、特に日本人のコーチングスタッフにお願いして、若い選手とたくさん話してもらった。ドクターやトレーナーにも彼らに声を掛けてほしいとお願いした。(山口)蛍や井手口は、代表でこのような形でプレーするのはほとんど初めてだったが、私は誇りを感じている」

オーストラリアを丸裸にして、日本の選手が持つ特徴を完全に把握したことで、『百戦して殆うからず』となった。過去のワールドカップ予選で5分け2敗と1回も勝てていなかった難敵から、青写真どおりの戦い方で痛快な白星をもぎ取るに至った全ては、まさに『孫子の兵法』をダブらせる。

■発揮され始めたハリルの真骨頂

“第1章”と位置づけた2次予選でシンガポールと引き分け、”第2章”はUAE(アラブ首長国連邦)に苦杯をなめた。波瀾万丈に富んだ軌跡はアジアを戦う上での難しさを物語ってもいる。だが、ハリルホジッチ監督も『敵』、すなわちアジアを知るようになっている。UAEにリベンジを果たした3月の一戦を含めて、今年に入ってからの戦いは、世界を知る“稀代の戦略家”が真骨頂がいよいよ発揮され始めたと言っていい。

世界行きの切符を手にして大きく膨らみ始めたハリルジャパンへの期待。指揮官には今年12月に行われる本大会組み合わせ発表から、綿密な分析で『敵を知る』ことによって世界との差を鮮やかに縮められるという絶対的な自信があるはずだ。実際、2014年のブラジル大会で彼が率いたアルジェリア代表は、グループステージから決勝トーナメント1回戦までの4試合全てで全く違う戦い方を選択しており、日本代表が世界のピッチで見せるサッカーも一つではないと考えるのが妥当。ここで再び『敵を知り己を知れば百戦して殆うからず』という言葉が出てくる。

世界を知る指揮官だからこそ、強豪国相手にその戦略が光るはず。ハリルホジッチ監督が“第3段階”と位置づけた来年のワールドカップ本大会。果たして日本代表は最終章に向かっていかなる準備を積み上げていくのだろうか。

文=藤江直人

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