【特別企画:弱者の奇跡】
第1回: レスター・シティ編
第2回: ギリシャ編
第3回: モンペリエ編
第4回: ウィガン編
第5回: ナポリ編
第6回: アバディーン編
世界で最も政治的に不安定な国のひとつが、どうしてメジャー大会で優勝を収めることができたのだろうか。
過去40年間、イラクは戦争によって荒廃し、何百万人もの人々が命を落としてきた。サッカーはおろか、スポーツそのものをこの国から連想する人はいないだろう。
そのため、2007年のアジアカップ制覇は、サッカー界における偉大な奇跡のひとつとして語り継がれている。
元々、イラク代表は弱かったわけではない。1982年のアジア大会で金メダルを獲得し、1986年のメキシコ・ワールドカップでは初出場を果たし、80年代においてはサッカーの国として成功を収めていた。
だが、1984年からサダム・フセインが息子ウダイをイラクオリンピック委員会(NOC)とイラクサッカー協会(IFA)の会長に任命したことで運命は暗転し始める。以来、20年近くは殺人鬼によってイラクサッカー界は運営されることとなり、選手たちはパフォーマンスが不十分と判断されれば、日常的に脅迫され、拷問を受ける立場に陥ったのだ。
2003年、ウダイが米軍によって殺害されると、1年後には選手を閉じ込めていた拷問室が公開された。展示されていたのは、鋼鉄の棒が取り付けられた鎖鞭や、強制的に入ることを強要された金属製のトゲのついた棺桶など、中世の拷問器具だった。それ以外にも、選手に対して殴打や睡眠剥奪などの拷問が行われていたことがNOCのタリブ・ムータン氏によって明かされている。さらに、ムータン氏はこうも話す。
「ウダイは結果を求め、勝者を求めていた。彼は2位が好きではなかった。選手が一番になれなければ、罰せられた。選手の周りの人々や監督、コーチも同様だった」
■恐ろしい支配とその終わり

恐れやプレッシャーという背景もあり、イラク代表の成績はみるみる下降線をたどり始める。
例えば、1999年に行われたパンアラブ競技大会決勝でのヨルダン戦。試合は4-4となり、PK戦へともつれ込むが、誰もキッカーに名乗りを上げなかった。失敗すれば、罰を受けるとわかっていたからだ。
「多くの選手はボールに触れることさえ拒否していた。だが、誰も受け入れなければ、全員が罰せられることに気づいた」
キッカーとなった3人のうちの一人のアッバス・ラヒームはそう明かす。不幸にもラヒームのキックはポストに嫌われ、チームも敗れることに。その結果、2日後には目隠しをされて3週間収容所へと置いていかれた。ラヒームは「終わりだ」と悟ったという。
湾岸戦争の影響で、イラクはほとんどの大会から締め出され、パフォーマンスも低下。政治的にフセイン政権への圧力も強まったことで、ウダイは選手に対してますます冷酷になっていった。
だが、アメリカと連合軍により、政権は打ち倒され、ウダイからスポーツが取り上げられたことで、イラク代表は再び繁栄の道を歩み始めるのだった。
■2007年アジアカップ

1976年から96年まではアジアカップに参加できず、ミレニアムまでの10年間を無冠で過ごしたイラクだが、2002年に西アジアサッカー選手権で優勝。3年後の西アジア競技大会では金メダルを獲得した。両タイトルに貢献したストライカー、ユニス・マフムードは2006年にはキャプテンとなり、その後10年間活躍を続けることとなる。
2007年のアジアカップでは機運が高まっていたが、開幕1か月前にアクラム・サルマン監督を解任し、不安定な状態で大会に臨むことに。さらに大会前、大会中に紛争の悲劇に見舞われた者も何人かいた。GKのノール・サブリは義理の弟を殺され、MFのナシャト・アクラムは親戚を殺害され、準々決勝の2日前にはハワル・ムラ・モハメドの継母も殺されていた。
だが、難しい状況下の中でイラクは躍進を遂げる。グループステージを1勝1分け1敗で通過すると、準々決勝ではベトナムを2-0と撃破。準決勝ではクアラルンプールで韓国と対戦することとなる。
120分間に渡って優勝候補・韓国に圧倒されることとなるが、スコアレスで耐え抜き、PK戦へ。4-3で決勝進出を決めると、何千人ものファンがバグダッドの街頭に集まり、勝利を祝った。しかし、その歓喜は唐突に途絶える。自爆テロ犯によってサポーター30人が殺害される悲劇に見舞われたのだ。
悲劇はイラクの選手たちの耳にも伝わった。サウジアラビアとの決勝戦前のミーティング、マフムードはこのように語ったという。
「ある母親は試合前に子供が犠牲になったと言っていた。僕らは彼女や他の多くの人々のために勝たなければならないと、わかっていた」
サウジアラビアとの決勝は、マフムードのヘディング弾で決した。1-0と下し、イラクのおとぎ話は優勝という最高の結果で幕を下ろすのだった。マフムードは大会MVPと得点王に輝き、サブリは最優秀GK、アクラムは大会のベストイレブンに選出されている。
イラク代表が見せた一体感は、ウダイの支配下では決して見られなかったものだ。国は当時、まだ紛争に苦しんでいたが、イラク代表の面々が見せた団結力、勝ち取った栄冠は、人々にとって忘れることのできない光となったのであった。
【特別企画:弱者の奇跡】
第1回: レスター・シティ編
第2回: ギリシャ編
第3回: モンペリエ編
第4回: ウィガン編
第5回: ナポリ編
第6回: アバディーン編
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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です
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