ニール・ジョーンズ


そのシーンはまさに純粋な喜びを映し出していた。リヴァプールファンがスタンドで祝っていたように、選手たちはワンダ・メトロポリターノでパーティーを開始した。ユルゲン・クロップは勝者となった選手一人ひとりを抱きしめる。アレキサンダー・アーノルドはゴール裏で一人踊り、ジョーダン・ヘンダーソンは感動的な瞬間を父と共有していた。そしてロベルト・フィルミーノは理由はわからないが、前転をしていた。そんなカオスの中、首からメダルをぶら下げたサディオ・マネはただ笑顔を浮かべていた。

まさに勝者だ。フットボール史上最大の栄誉である。

6月のマドリーでの成功により、マネら選手たちはスーパースターとしての地位を確立した。もはやっ彼がした”約束”について話す者はいない。別のレベルに行ったのだ。

マネの物語はそんなスペイン首都から遠く離れた場所で始まった。カサマンス川とギニアビサウとの国境に近いバンバリの村だ。そこではしっかりと教育を受けたわけではなかったが、フットボールは常に近くにあったと、マネは話す。「いつもボールを持っていたことを覚えている。それが僕が歩みだした道だった」

彼の才能は明らかであり、15歳の頃にはトライアルのためにダカールへと向かう。シューズは古く破れ、サッカーパンツすらなかったが、衝撃を与えた。ジェネレーション・フット・アカデミーのベテランスカウトは15分以内に彼の獲得を決めたのだ。

ジェネレーション・フットアカデミーはディアフラ・サコやパピス・シセを育て上げ、フランス移籍前のマネを形成していくこととなる。その後、メスへと加入し、19歳となった2012年1月にプロデビューを果たす。

その夏、マネはセネガル代表としてロンドン五輪に参加。準々決勝進出にまで導いた。8月の終わりには400万ユーロでザルツブルクへと移籍することとなる。

ここから彼のキャリアが始まる。1シーズン目で19得点、2シーズン目で23得点。ザルツブルクはリーグとカップの2冠を達成していた。マネは負傷で決勝には欠場したが、準決勝ではハットトリックを記録している。

彼のオーストリアでのプレーぶりは欧州中からの興味を引いた。ドルトムント時代のクロップは獲得を望み、スパルタク・モスクワは高額なオファーを出したという。しかし選んだのはサウサンプトンだった。移籍金はわずか1200万ポンド以下だった。

デビュー戦はアーセナルとのリーグカップであり、見事勝利した。ロナルド・クーマンのチームにすぐに馴染むと、32試合で10ゴールをマークしたのだった

彼のスタッツの中にはプレミア史上最速のハットトリックを記録したアストン・ヴィラ戦もある。わずか2分56秒で3ゴールを挙げ、1994年以来リバプールの伝説であるロビー・ファウラーが保持していた記録を破ったのだった。

翌年、マネはマンチェスター・シティからハットトリックを決めるなど、43試合で15ゴールを挙げ、さらに評価を高めた。そしてクロップ率いるリヴァプールからも得点した(そして退場した)。シーズン後半での一戦でも2ゴールを挙げている。

その夏、彼はアンフィールドへ活躍の場を移した。リヴァプールは3000万ポンドを支払っている。サウサンプトンの時のように、エミレーツでのアーセナル戦でデビュー。最高の独力弾で照らし、レッズを4-3の勝利に導いた。

マージーサイドでの最初のシーズンは、4月のエヴァートン戦での負傷によって短くなったが、リヴァプール年間最優秀選手と言っても良いだろう。アーセナル戦での一撃だけでなく、12月のグディソン・パークで後半ロスタイムに奪ったダービーでの決勝点もハイライトとなる。29試合出場で13得点を挙げた。

2017年にモハメド・サラーが到着すると、ポジションは右から左へと移った。

だが、彼のフォームは崩れることはなかった。リヴァプールがCLファイナルへ進んだ中で、すべてのラウンドでゴールを決めたのだ。

これにはローマとの準決勝での3ゴールが含まれる。また準々決勝マンチェスター・シティ戦での重要な得点、ラウンド16ポルト戦でのハットトリックもそうだ。 

レアル・マドリーとの決勝では、前半にサラーが負傷交代して苦しんだリヴァプールに1ゴールをもたらしたが、キエフでは1-3と敗れた。記憶に残るシーズンは悲惨な結末を迎えたが、マネは全大会で20ゴールを奪い、サラーやフィルミーノとともに最高の3トップを形成た。

彼はその夏、セネガル代表として日本代表戦(2-2)でゴールを挙げた。しかし、物議を醸すフェアプレー・ルールによって敗退。ラウンド16には日本が勝ち進んだ。

その夜、夜明け前に漆黒が包んだ。2018-19シーズンはマネにとって最高のものだった。リヴァプールの開幕戦で2ゴールを挙げたが、それで終わりではない。22ゴールを奪ってアフリカのスター、モハメド・サラー、ピエール=エメリク・オーバメヤンとともに得点王に輝いた。リヴァプールに記録的な勝ち点97をもたらしたのだ。だが、最終節でマンチェスター・シティに優勝を奪われた。

だが、彼らの慰めの報酬は悪くなかった。再びクロップのチームは決勝に進んだのだ。マネはまたも重要な瞬間をもたらした。バイエルンとのラウンド16のゴールは、欧州シーズンを通じて最高のゴールの1つだった。そしてポルトとの準々決勝でも得点し、バルセロナとの準決勝では0-3から二度と起こらないような逆転劇を演じた。

トッテナムとの決勝では、彼のランとクロスがリヴァプールの最初のゴールをもたらした。ムサ・シソコのハンドにより、PKでサラーがゴールを決めた。ディボック・オリギが途中出場で勝利を締めくくり、マネはメダルを手にした。

破れたスパイクを履いていたバンバリの少年にとって、悪くないだろう?


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