
ロドリゴ:レジェンドの影を追うのはもう終わり
トム・マストン
フットボール界では、若くして突出した才能を持つ選手が現れるたび、これまでに大成したスター選手の「新バージョン」だとレッテルを貼るのが慣例になっている。そうして選手自身の才能に賛辞を送ることはしないのである。
すると若き才能は、「偉大な先人に肩を並べた」という外野の評価に応えなければならないと思い込み、プレッシャーに押しつぶされてしまう。
サンパウロで育ったロドリゴにとっても無関係の話ではなかった。
12歳の頃、「ネイマール二世」とブラジルメディアに呼ばれるようになったのは、その1年前にナイキと契約した最も若いアスリートになったことがきっかけだった。こうした背景から「比較対象となった偉大な才能を超えることができるか」という話題にも触れられた。
世界で優れた若手フットボーラーを表彰する「NxGn」で見事1位を受賞したロドリゴだが、受賞に際して行われた独占インタビューではこう答えている。
「そういう考えをプラスに捉えるのは難しいと思うよ。僕はいつでも彼の背中を追う立場になるだろうから」
「だって、ネイマールだろう? 彼の成し遂げたこと全てが称えられるべきもの。一方、僕はキャリアをスタートさせたばかりだ。ネイマールと比較されるなんて、ちょっと大変だね。けれど、それ自体はいいことだよ。僕がサッカー界で何かを示せている証拠だろうから。でも、そんなすごい人と比較されるのはいつだって大変だね」
「そういうふうに比較されたくなくて常に主張してきた。そのような比較は結局、自分へのプレッシャーになるんだ。(他の誰とも)比較されたくない、とプレーで主張することができてよかったよ。おかげでそういう話はほとんど聞かないね。ときには耳にするけれど、外野が言っているだけ。だからピッチ上ではあまり影響はないんだ」
世界最高額プレーヤーと同じ高みに上り詰めることができるかどうかについては重視していないようだが、レアル・マドリーでウィンガーを務めるこの男が、自らの実力でスーパースターへの道を歩み始めていることは間違いない。
17歳時、4500万ユーロ(約54億円)でサントスから移籍し、若きブラジル人は2019-20シーズン初めにスペインの首都へと降り立った。当時は、シーズンのほとんどをカスティージャ(スペイン3部)で過ごすことになるだろうと予想されていた。
しかし、高額の移籍金で加入したエデン・アザールとルカ・ヨヴィッチがそれぞれチームへの適応とコンディション調整に苦しむ中、ロドリゴは9月末にジネディーヌ・ジダン率いるトップチームに滑り込んだ。
オサスナ戦で交代出場してデビューを飾ると、その93秒後にはネットを揺らした。ひしめくディフェンダーをかいくぐり右足で放ったカーブショットをゴール下隅に沈めてみせたのだ。ゴールセレブレーションは、なんとサンティアゴ・ベルナベウの各コーナーへのお辞儀だった。マドリディスタが崇拝するニューヒーロー誕生の瞬間である。


2001年1月に生まれ、オザスコ(サンパウロ州の都市)の中流階級が住む地域に育ったロドリゴには、サッカークラブに入る以外の選択肢はほとんどなかった。父エリックはブラジルの地域リーグを転々とするキャリアを楽しんでいた。セリエB(2部相当)を頂点にすべてのカテゴリーを経験し、9つのクラブに在籍した。
ロドリゴの生誕時にはまだ16歳だったという。そのときには、自分の息子に後を継がせ、プロ選手にさせることをはっきり決めていた。転々と移籍を繰り返すキャリアの中、父親として実際に接することが常にはできなかったにも関わらずだ。
ロドリゴは幼少時を振り返って語る。
「父自身もプレーヤーだったから、クラブに帯同する必要があった。遠征で行ったり来たりを頻繁に繰り返していて、まさにサッカー選手にありがちな人生を送っていたんだ。僕にとってそれが一番難しいことだったんだけどね」
「そういう状況で、僕はいつも泣いていた。違う街を転々としていたからね。僕にとって大変なことだったけど、同時にその環境のおかげでたくさん成長することができた」
「母は…僕の半生を話すときにはあまり多く登場しないけれど、それでも母は僕の人生に不可欠な存在だ。もしかすると父以上に必要な存在かもしれない。二人の影響に優劣はつけられないね」
「父は僕と同じ世界の人、つまりサッカー選手だったから、サッカーのことについていつだってよくわかっていた。でも、もちろん母もよく理解してくれている。母は毎日のように僕にたくさん話しかけてくれた」
「家族は僕の全てで、僕の根幹をなすものだ。何があってもサポートしてくれるし、どこへだって僕と走り抜けてくれる。僕にとっての全てなんだ」
ロドリゴは、自身の少年時代を回想する。
「一日中外にいたんだ。早く学校に行って、午後はずっと学校にいたよ。午後に授業があるときは、学校が始まるまでサッカーができるように早く起きていた」
「学校から返ってきたら、夜にもう少しサッカーをやっていた。ずっとサッカーをやっていたんだよ。もちろんかくれんぼとか、他の外遊びもだけどね」

スケートボードやサーフィンにも熱心だったが(今でもマドリーでの練習がオフのときはサーフィンの大会を観戦している)、ロドリゴ少年が最も情熱を向けたのは間違いなくサッカーだった。
10歳の時にはサントスのアカデミーに参加。父が足跡をたどってほしいと思っていたロビーニョと同じように、まずフットサルチームでプレーした。
2010年代初頭、ロビーニョはまだ世界のサッカー界で最も知られる存在の一人であった。一大ニュースになったマンチェスター・シティへの移籍は、彼にとってもシティにとっても望んだような結末にはならなかったが、それでも当時を代表する選手には変わりなかった。
そんなロビーニョも、サントスでキャリアを始めた。21歳でヨーロッパに羽ばたくまで、このビッグクラブのもと、ブラジル・セリエAで100試合以上に出場した。10年後、ネイマールもほとんど同じ道のりを辿った。21歳でバルセロナに移籍するまでの間、サントスで100試合以上の経験を積んだのだ。
ウィングを主戦場とするこの二人は、最近のサントスが誇る2大巨頭だ。ペイェ(「魚」を意味するサントスの愛称)で大きなインパクトを残してスペインの2大ビッグクラブに移籍、そして自国代表として100キャップ以上を記録した偉大な選手たちだ。
しかし、この二人も、ヴィラベルミロ(サントスのホームスタジアム)の王、ペレには敵わないだろう。


引退までにサントスで650試合以上に出場したペレは、1975年にニューヨーク・コスモスに移籍するまでの間、得点率1試合1ゴールに届かんばかりの勢いでゴールを量産した。サントスに加入する子どもたちにとって、ペレは崇拝の対象だ。そしてこれから加入する子どもたちにとってもそうあり続けるだろう。
近年を代表する二人のプレイヤーと比較されているロドリゴだが、ブラジルで最も偉大な選手の足跡を辿ることも決して不可能ではないのだ。
「彼ら(ペレ、ネイマール、ロビーニョ)を大いにお手本にしていたよ。その中でもネイマールを一番追い続けていたけれど、3人全員に会う機会があった」
「マドリーに来る前にペレの家にお邪魔して、ブラジルを去る前に"ご加護"を受けたんだ。ペレが言ったことを覚えている。『何事にも恐れてはいけない』。ここ(※マドリー)でも、ブラジル代表でも、どこにいようとその言葉を胸に刻んでいるんだ」
「『何事にも恐れるな、自分のプレーをしろ、自分のフットボールをしろ、そして、人生で起こる何事も恐れてはいけない』と言ってくれた。これは僕の考え方の基本になっている。特にレアル・マドリーでの生活を始めるにあたってね」
「ロビーニョとは何回か会ったけれど、僕にとてもよくしてくれるし、とてもいい人なんだ。テレビで見たまんまの人だけど、ピッチの外ではそれよりもずっといい人だね。ネイマールとは今でも友達だよ。彼らは僕にとって重要な存在だ。僕のアイドルなんだ」
「ペレのプレーは少しだけ(映像で)見たことがある。言われている通り、彼は歴史に残る偉大なプレーヤー。だから彼も僕のアイドルなんだ。その中でもネイマールが僕にとって一番尊敬する存在だね。サントスやレアル・マドリーで偉業を成し遂げたロビーニョも同じくらい尊敬しているよ」
ロドリゴは16歳300日にして自身のアイドルたちの足跡を追うようにサントスでデビュー。試合終盤に交代でベンチから飛び出し、アトレチコ・ミネイロ相手に3-1で勝利した。17歳の誕生日を迎えたちょうど2週間後には、ポンチ・プレッタ戦の終了間際に決勝点を挙げ、シニア初ゴールを記録した。サントスは新たなスターに魅了されていた。
ロドリゴは少年時代から在籍したクラブについて「サントスは僕の人生だ」と語る。
「10歳の時に僕を迎え入れてくれたクラブで、18歳まで僕に全てを与えてくれた。サントスには感謝しかないよ。クラブのことはずっと心の中にある。それは僕がクラブのファンだというだけではなくて、これまでクラブが僕や家族にしてくれたこと、僕にしてくれたサポートすべてに感謝しているからだ」
「ヴィラベルミロは僕にとって大きな存在だ。そこでプレーすることをずっと夢見ていたし、あのスタジアムの中に入れることをずっと夢見ていたんだから。ヴィラベルミロでプロデビューを果たし、まさに夢が実現した気分だった。人生で最高に幸せな時だったね。ヴィラベルミロは夢を見させてくれたし、そこでたくさんプレーすることができてよかった」
以前にサントスに在籍したスーパースターたちよりも長くクラブにいたわけではなかったが、彼がもたらしたインパクトは未だにクラブに残っている。
マドリーへの移籍までに出場したリーグ出場数は41試合と多くはない。だが、クラブの最年少出場選手として、そしてブラジルの最年少得点者としてコパ・リベルタドーレス杯での記録を樹立した。ネイマールにあやかって11番を背負い、サントスでの時を終えた。
運と名声に導かれ旅立っていったヒーローたちのことを、クラブを愛する少年たちはずっと忘れないものだ。


ドラマチックなマドリー・デビューに続いて秋の終わり頃、ロドリゴはさらに多くの紙面を飾ることになる。初めてのラ・リーガ先発を果たしたロドリゴは、その試合でマドリーでの2得点目を記録。そして11月初旬の水曜の夜、サッカー界の注目はにわかにロドリゴに集まることになった。
ガラタサライを相手にチャンピオンズリーグ(CL)で2度目の先発を果たすと、キックオフから375秒で2度もゴールを獲得してみせたのだ。さらにブランコス(レアル・マドリーの愛称)は14分にPKを獲得。CL史上最も速いハットトリックを記録するチャンスがやってきた。しかしそうは問屋がおろさない。セルヒオ・ラモスが特権を活かし、このPKを沈めた。
おとぎ話の主人公のようにはならなかったが、この「ニアミス」によって彼の名が歴史に名を残せなくなるとは思っていなかった。マドリーが5-0でリードして迎えたロスタイム、ロドリゴはゴールから37m離れた左サイドでボールを確保。そこから中央へ侵入していった。ボールをカリム・ベンゼマに預けるとロドリゴは走り続け、リターンパスを受ける。そのボールをそのまま突き、ハットトリック達成となるゴールを獲得。完璧な試合に仕立ててみせた。
ロドリゴはこの得点によって、ヨーロッパの最上位クラブが参加するコンペティションにおいて初めてハットトリックを達成した21世紀生まれの選手となった。同時にハットトリックを達成した二番目に若い選手としても記録された。
レジェンドの足跡をたどってきた若きロドリゴだったが、そのパフォーマンスによって証明されたのは、ジダンが指揮する、世界で最も崇拝されるプレーヤー達の中でも全く問題なくプレーできるということだった。
CL3連覇を達成したジダンだが、今度は当時の成功を追体験できるチームを築き上げる使命を託されている。ただ、当時の選手たちは2歳年を取った。さらに、タイトルに最も貢献したあの男は、1500km離れたトリノにいる。


ロドリゴはまだ、ジダンの作る「新世代銀河系軍団」の一員となるべく最近ベルナベウに加入した若手の一人、という位置づけだ。
しかし、年明け以来交代出場を続けている現状とは裏腹に、これはチームの歯車が噛み合っている証拠だという。
「監督とはとてもいい関係でやれている。僕を手厚く歓迎してくれて、受け入れてくれているんだ。そして僕に準備させ、投入するタイミングもわかっているんだ」
「監督には色々と助けてもらっている。僕を気にかけてくれるし、話しかけてくれる。成長するには何が必要か教えてくれるし、よくやっていると褒めてくれるんだ。彼ととてもよい時間を過ごせている」
この19歳がマドリーに加入したのは、同国出身のヴィニシウス・ジュニオールが加入してから12ヶ月後のことだった。この2人に次いで、同じブラジル人のレイニエルが1月に加入。ジダンが率いる未来のアタッカー陣にサンバの香りが漂い始めた。
この3選手を獲得するのにマドリーが費やした資金は、総計1億2600万ユーロ(約151億円)。成長のための時間が与えられれば、3人はこのヨーロッパ最高峰のクラブを牽引する立場になることだろう。
「僕たちにはここレアル・マドリーで歴史を作る夢があるんだ」とロドリゴは言う。
「僕たち(ロドリゴとヴィニシウス)はとてもよいパートナーシップを築けているよ。ブラジルで知り合ったけれど、彼はリオ出身で僕はサンパウロ出身と、距離が離れていたんだ。だからインターネットや『WhatsApp』で話していたよ。今はいつでも一緒だから、前よりもずっと仲良くなった。いろんな共通項があるし、実現したい夢もある」
レイニエルの加入により、ブラジル人で彩る攻撃陣にも期待がかかる。
「トリオを結成してほしいと思っているんでしょ? それか前線のブラジル人カルテットかな? どうなるかはそのうち分かるよ。今はまだ僕にはわからない」
レアル・マドリーの前線を引っ張る同世代のブラジル人プレーヤー3人が交わした約束は、ブラジルに戻っても忘れられていない。
「2022年は、セレソンが最後にW杯のトロフィーを掲げてから20年になる年なんだ。最近4回のトーナメントでは準決勝で敗退している。その前には3回連続で決勝まで行っているのにね」
ガラタサライ戦で大活躍を果たしたのち、すぐにブラジル代表デビューも果たすことができた。11月に行われた親善試合では最後の20分に交代出場し、1-0でアルゼンチンを下した。シーズン序盤のコンディションに戻すことができれば代表チームにおいても、定位置は確実だろう。
「このユニフォームを着ることは、ブラジルの子供なら誰でも夢見ることだよ。夢が現実になった瞬間だった。もっとこのユニフォームを着たいね」
「代表にもっと頻繁に戻ってこれるよう、クラブで自分のやるべきことを続けていくよ。プロ選手としての一番の夢がまさに実現したんだ。いつかあのユニフォームを着たいとどんな子供でも夢見るものだし、その夢を僕は叶えることができた」
「そこに大きな責任があることもわかっている。だからこそ、たくさんのことをやらなくてはいけない。それも正しい方向へと。僕を手本にしてくれる人がたくさん出てくることも分かっているから、とても大きな責任があるんだ」
ロドリゴの責任感は確かに正しい。ヒーローが若いフットボーラーのキャリアに大きな影響を及ぼすことを、彼は誰よりもよく分かっているのだ。
そしてその発言は、自身が目指したアイドル達の影を追うのをやめ、自分自身がサッカー界のアイコンになる心の準備ができたことの表れでもある。
写真:バルデスカ・サンペール

