サディオ·マネは恥ずかしさを隠し切れずにいた。彼が打ち立てたプレミアリーグにおける最速のハットトリック記録の動画を見ながら照れを隠せない。
「ただただラッキーだった。時間がどれほど経っていたかは気にしてなかった。ただ、チームのために挙げたゴールだ」
そう彼は語った。だが実際はそれ以上であり、歴史的な記録だ。今日まで未だ破れられていない。しかし、彼の人間性がその栄誉を受け入れるのを躊躇っている。代わりに、ただ佇み堅い笑顔を崩さなかった。誇り高くとも、ただ謙虚に。
間違いなくこの謙虚な姿勢こそ、マネが一流の舞台で輝く一因となっている。セネガル代表としてロシア·ワールドカップ(W杯)の出場権を勝ち取ったとき、アフリカ勢で最も期待できるチームと言われていた。あらゆるメディアが、この魔法をかけられる偉大な男に注目していた。W杯前はリヴァプールのチャンピオンズリーグ(CL)決勝進出と、リーグでも2018-19シーズンのCL出場権獲得に貢献した。だからこそ、マネにかかる重圧は日をおうごとに増えていた。自身だけでなく、いつしか国を背負うようになっていたのだ。
だが重要なことは、責任を引きずることなく受け止めることだ。ただその受け止め方が非常に難しい。しかし、マネ以上にそれを上手にこなす人はいない。笑顔が絶えない選手であり、クラブ、都市、国にとって欠かせない存在となったことに感謝の念を忘れない。だからこそ、重圧を受け入れられる。
しかし、“謙虚なフットボーラー”とは中々に想像しがたい存在だ。仮にマネが才能に物を言うスーパースターなら、その才能に控えめな姿勢は伴わないだろう。だが、彼はパーティや夜遊びを避け、穏やかな生活を送っている。2018年の4月に新聞の紙面を飾った、彼が故郷のバンバリという村に20万ポンドを投資して学校を作ったことも、彼なら世間に知られないほうが好むだろう。生まれ持った寛大さがそうさせるのではなく、それが彼の使命なのだ。これから来る次世代の“卵”たちを奮い立たせるのが彼の目的だ。
事実、マネは自分がどれだけ素晴らしい人間か分かっていない節がある。だが監督は理解している。
「彼はとてつもない選手だ。それ以上の言葉はない。リヴァプールに入団した頃は自信に欠けていたけど、素晴らしいスタートを切っていた。彼自身も少し驚いていたと思う。自分がワールドクラスの選手だという事実に慣れる必要があった」
ユルゲン·クロップ監督はそう語る。
セネガル代表で3年以上、時間を共にしているアリュー・シッセ監督も同意する。
「マネがいずれ世界最高の選手の一人になるとは言わない。なぜなら、既にその内の一人だからだ。目を凝らして見るといい」
マネの謙遜さは過去の経験に起因する。彼のキャリアはいつ崩壊してもおかしくなかった。
子供のころ故郷のバンバリの道端でボールを蹴っていただけても、彼に特別な才能が宿っているのは明らかだった。しかし、家族は彼に先生になってもらいたかった。さらに、バンバリから一線級で活躍する選手は出たことも無かった。前例が無かった分、マネの夢はお伽話のようになっていった。
しかし、事実は驚くべき展開だった。家族からの支援を受けられないとわかるや否や、マネは荷物をまとめ、家を出た。そして、トライアルを受けるためにセネガルの首都ダカールに向かった。彼は破れたスパイクでプレーし、コーチからはよそ者扱いされていた。しかし、隠し切れないマネの才能が、コーチ陣の目に留まった。そして、障壁を打ち破るその才能こそ彼のキャリアの原点となった。
そして、ダカールにあるジェネレーション・フットというアカデミーに入団した。さらにマネは、一流になるためのチャンスを逃さないために、生まれた国を出る必要があると理解していた。そして、フランス・リーグ・ドゥのメスというクラブが興味を示していると知ったとき、彼の未来はここにあるとすぐわかった。家族には言わず、また自分自身で次のステップの決断をした。
それは大きな決断だったが、マネをトップレベルの選手に押し上げた要因でもあった。セネガルの故郷の村は首都ダカールから約500km離れていて、栄華を極めるプレミアリーグからは途方もなく離れている。そんな小さな村から全てを置き去りにして、一人夢のために飛び立とうと決意する少年が他にいようか? 先駆者になりたいなら、壁を打ち破らないといけない。壁を打ち破るために、覚悟を決めなければならない。
「僕はフットボーラーになると分かっていたけど、ただその成り方が分からなかった。だから、唯一僕が知っている方法をやり続けた。練習、練習、そして練習に次ぐ練習だ」
マネは8月、『スカイ・スポーツ』でそう語った。
マネのキャリアは彼の信条によって支えられている。この偉大な才能が持ち合わせる素晴らしいドリブルスキル、類まれな決定力、驚異的なスピード、それら全ては妥協しない向上心とコーチの言葉に耳を傾ける素直さがあってこそだ。27歳になった今もなお進化を止めず、頂きを目指している。その姿勢にクロップは賛辞を惜しまない。
アンフィールドへは紆余曲折を経て辿り着いた。魅力的なオファーを受け取り、当時所属していたレッドブル・ザルツブルクからサウサンプトンではなく、スパルタク・モスクワに行こうとしていたときもあった。しかし、当時クロップが率いていたボルシア・ドルトムントがマネに興味を示したことは、彼を奮い立たせた。そして、正しいタイミングで移籍を決断することこそ彼のキャリアを輝かせる、そう自分を納得させた。
だが、クラブのスタイルは真逆ながらも、2015年当時ルイス・ファン・ハール率いるマンチェスター・ユナイテッドに加入間近だった。しかし、サウサンプトンが要求する額が高すぎて移籍は成立しなかった。そこに、リヴァプールの監督に就任したクロップが現れ、マネもこのタイミングこそ正しいと感じた。
運命を幸運というのは容易いが、時に一瞬で崩れることもある。もしマネが欲に走っていたなら、一流を駆け上がることはなかっただろう。自らを極限まで高める彼の意志に大きく反する。
アンフィールドに来て、クロップの一員として馴染んでから、マネはトップレベルの階段を駆け上がった。リヴァプール初年度でクラブの年間最優秀選手賞を受賞し、プレミアリーグのベスト11にも選ばれた。その次の年は、3トップで91ゴールを挙げた一翼として活躍し、欧州CLでも9ゴールを挙げた。ヨーロッパのコンペティションでリオネル・メッシを上回る記録を出せば、その記録に酔い浸ってもいいだろう。
だが、それはマネのスタイルではない。故郷バンバリから始まった栄華を極めるプレミアリーグへの旅は驚くべきものだ。それでも、歩みを止めず慢心しない。
全ての練習、試合、シーズンを通してマネは手を抜かず、進化を止めない。その姿勢が彼をここまで連れてきたのだ。
サディオ・マネは、ニューバランス・フューロン4.0プロの新カラー、ブライト・チェリー&ブラックのスパイクを着用。ニューバランスのスパイクのラインナップはこちらで。https://shop.newbalance.jp/shop/e/eEfootball
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