リーガコラム:モウリーニョ&マドリー、最低の離婚

醜態晒しながらサイクルの終焉へ
「最も美しく、美しく、美しいのはレアル・マドリーでプレーすることか、指揮を執ることではない。最も美しく、美しく、美しいのは、マドリーとともに勝利を収めることだ」。ジョゼ・モウリーニョが、満面の笑みも見せたマドリー入団会見で口にした言葉だ。それから3年の月日が経ち、ポルトガル人が監督を務めるマドリーは、醜態を晒しながらサイクルを終えようとしている。欧州サッカー史の中でも類を見ない常勝指揮官は、スペインの首都で失敗を味わったのだ。

■ 勝負の3シーズン目でつまずく

インテルでセリエA、コッパ・イタリア、そしてチャンピオンズリーグ(CL)の3冠を達成した後に、フロレンティーノ・ペレス会長によってマドリーに招へいされたモウリーニョ。彼に課せられた使命は、バルセロナからリーガ盟主の座を奪回すること、そしてクラブ10度目のチャンピオンズリーグ制覇“デシマ”の達成だった。今季まで、その足取りは順調だったように映る。就任1シーズン目には決勝でバルセロナを下して18年ぶりにコパ・デル・レイを制覇し、次シーズンには4年ぶりとなるリーガエスパニョーラ優勝を実現。CLでも2シーズン連続で準決勝にまで到達するなど、今季が勝負の年となる機運は高まっていた。

しかし、いざ蓋を開けてみれば、結果は散々なものだった。スペイン・スーパーカップでバルセロナを下し、最高のスタートを切ったように見えたモウ・マドリー。だがリーガでは序盤からつまずき、バルセロナに大差をつけられてタイトルを奪い返された。CLでもドルトムントに敗れ、3シーズン連続で準決勝敗退。コパ・デル・レイ決勝では、アトレティコ・マドリーに14年ぶりとなるダービー勝利を許した。まるで悲しいポエムのような、シーズンの終了である。

■ トップ監督対トップクラブ

なぜモウリーニョは、マドリーで成功を収められなかったのか。それは、クラブの体質を変えられなかったからにほかならない。例えば、メディアを仮想敵に仕立て上げ、チームをまとめ上げる術が、ここでは機能しなかった。モウリーニョはバルセロナのアシスタントコーチ時代に「マドリッドのメディアは100%チームを支えている。しかしバルセロナのメディアは我々の味方ではない」と話したのを皮切りに、どのクラブでもメディアを敵対視してきた。比較的にメディアと良好な関係にあったとされるチェルシー時代にも「このクラブの失墜を狙う報道がある」とし、インテル時代には「私とイタリア人記者との関係は良くない」と話している。だがスペインで、その術を貫く通すことは容易ではなかった。モウリーニョがクラブから切り離そうとしたマドリッド系メディアの『マルカ』や『アス』からは批判を受け、情報の漏洩も一向に絶えず。最終的にはクラブ内部のインターネットにおいて、スペインメディアを遮断しようと試みるほど、その存在を嫌ったという。

そして第一次銀河系軍団の生き残りであり、メディアへの密告者とも噂されるチームの象徴イケル・カシージャスとの衝突も避けては通れなかった。彼との最初の対立が報じられたのは2010年9月。カシージャスがチームメートの子供の送り迎えを考慮して練習を1時間遅らせることを提案し、「君に子供はいるのか? いないならば心配するな」と突っぱねたとされる。そして今季のリーガ序盤でチームがつまずき、「私には率いるチームが存在しない」など、調子の上がらない選手たちを批判したことが決定打に。カシージャスから「公の場での批判は止めてもらいたい」との進言を受けたことをきっかけとして、彼をベンチに置く日々がスタートした。ペペの「監督はカシージャスに敬意を払うべき」との発言も飛び出し、チーム内不和までもが白日の下に晒されることに。現在、コーチ陣に味方をしているのは、ディエゴ・ロペス、エッシェン、ルカ・モドリッチの3選手だけとされる。

ホルヘ・バルダーノをGD職から追いやるなど、会長のフロレンティーノ・ペレスに大きな権力を授けられたモウリーニョ。だがマドリーは20世紀最高のクラブという成功を裏付けに、良くも悪くも独自の伝統が息づく場所である。監督界のトップに立つモウリーニョと、彼がこれまで率いた中で、最も格式高いマドリーというトップクラブとの相性は悪かった。モウリーニョはそれこそ“スペシャル・ワン”な存在であり、自身のやり方に忠実だ。それは一時期とはいえチームをまとめ上げる強烈なカンフル剤となり、また本拠地サンチャゴ・ベルナベウのゴール裏に陣取る“ウルトラス・スル”をはじめとした急進派のファンの支持にもつながった。しかしメディアをはじめ、チームにもファンにも、かつての成功に裏付けされたフィロソフィーを信じる保守派が存在する。それらの前で、モウリーニョは愚直とならざるを得なかったのである。

■ 最低の離婚

モウリーニョ節は、最後まで変わらない。「マドリーは21年で18人の監督が指揮し、わずか5回しかCL準決勝に到達できなかった。悪いと言われるモウリーニョは3年で3回だ。私はマドリーを再びエリート街道に引き戻した」。この論拠を盾にして、彼はマドリーでの日々を成功と総括している。だがレオ・ベーンハッカーは3年でリーガ3連覇と一度のコパ優勝を果たし、CL準決勝にも進出。ユップ・ハインケスはCL優勝を達成し、ビセンテ・デル・ボスケはCL&リーガを2度ずつ制している。付け加えれば、欧州カップ戦発足以降、3シーズン以上マドリーを指揮した監督で、メジャータイトル獲得がリーガとコパの2つだけにとどまったのはモウリーニョだけなのである。勝ち点100、121得点、アウェー最多勝利など数々の記録を築いた昨季のリーガ優勝も、財政格差から2極化が進む現状では、並外れた成果ではない(前指揮官マヌエル・ペジェグリーニも96もの勝ち点を稼いだ)。サイクル終了の感があるバルセロナとの盟主争いの結末は不透明であり、何より“デシマ”達成はならなかった。

モウリーニョは、何を残したのか。衝突した選手たちの団結? いや、マドリーは今夏、ゴンサロ・イグアイン、カカー、アンヘル・ディ・マリア、アントニオ・アダン、ファビオ・コエントラン、ペペの売却収入で1億ユーロを見込み、そのほかにも1億ユーロの獲得資金を用意するなど、大規模なチーム改革に取り組む予定だ。デビューさせた18人のカンテラーノ? ほとんどがトップチームで主力として扱われず。またBチーム指揮官のアルベルト・トリルとは確執状態にあり、カンテラとトップチームのコネクションは決壊している。

ペレスの第二次政権は“デシマ”達成を大前提としてスタートした。だからこそ、モウリーニョがスポーツ部門の権力を掌握し、同部門の全体的機能とプロジェクトが失われようと、また彼の発言が賛否両論を巻き起こそうとも、目を瞑る覚悟を貫いたのだ。しかし勝負の3シーズン目は、マドリディスタの失望を買うものとなってしまった。モウリーニョから結果以外の部分で成功を求めるのは酷であり、彼に懸けたペレスはマドリディスモに傷をつけるリスクだけを負った。モウリーニョとマドリーの物語は、最低の離婚という形で幕を下ろすことになる。

取材・文/江間 慎一郎
1983年生まれ。東京出身。携帯サッカーサイトに勤務した後、リーガエスパニョーラを直に体感するために 2008年に渡西。マドリッドでプロサッカークラブや現地メディアとのつながりを深めながら、日本に生きた情報を提供している。寄稿する媒体は 「Goal.com」「スポニチ」「TheWORLD」など。WOWOWの現地通信員も務める。Twitterアカウントは @ema1108madrid