不定期連載『スペイン通信』:ベルナベウで生き続ける、もう一つの「背番号7」(下)

マドリーでの日々、突然の別れ、そして現在…
マドリディスタの間で語り継がれるフアン・ゴメス・ゴンサレス、通称フアニートの物語。今回はフアニートのマドリーでの日々、現役引退後すぐに訪れた悲劇、伝説の背番号7としてマドリディスタに崇められる現在を伝える。

マドリー加入後、すぐに才能を示す

「マドリーでプレーすることを何度も夢見てきた。ベルナベウにたどり着くことは、天空に触れたのと同じだ」。フアニートは入団時に高らかにこう宣言し、マドリーでの日々をスタートさせた。

デビュー戦となったのは1977年5月27日、メキシコで行われたアトラス・グアラダハラ戦(2-2)で、その2日後に行われたUNAMプーマス戦(3-2)では初ゴールを奪った。ベルナベウでのデビュー戦は、8月24日に行われたマヌエル・ベラスケスの引退試合のフランクフルト戦(3-1)で、この一戦でも1ゴールを記録。フアニートは、その才能が本物であることをすぐに示した。

だが、その気質が徐々に露わになると、マドリディスタは彼の選手としての実力とクラブ愛を評価する者、マドリディスモを傷つける存在と忌み嫌う者に分かれた。

「ベルナベウの90分はとても長い」

その大胆不敵な性格は、幾度もチームにポジティブな影響を与えた。相手選手に対して果敢にドリブルを仕掛けて原動力となり、チームの士気を上げることにも一躍買った。フアニートを擁したマドリーはリーガを5度、コパ・デル・レイを2度、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を2度制覇。その影響力を語る上で、1985-86シーズンのUEFAカップ準決勝、インテルとの対戦は欠かせない。ジュゼッペ・メアッツァでのファーストレグを1-3の敗戦で終えた後、フアニートはイタリア語で「ベルナベウの90分はとても長い」と発言。この一言でチームとマドリディスタを鼓舞し、ベルナベウでインテルに地獄のような時間を強いた。結果、マドリーは5-1での逆転突破を果たし、決勝ではケルンを合計スコア5-3で破って優勝を果たした。

マテウスへの愚行でマドリーに別れ

一方で癇癪(かんしゃく)を引き起こすと誰も手がつけられず、キャリアに影を落とす深刻な事件を引き起こした。1978-79シーズンのチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)のベスト16、スイスのグラスホッパーとのセカンドレグ(合計スコア3-3、アウェーゴール差で敗戦)では、試合後にアドルフ・プロコップ主審に襲い掛かり、UEFAからマドリー、スペイン代表での2年間の国際大会出場禁止を言い渡された。そして1986-87シーズのローター・マテウスへの愚行が、マドリー退団の扉を開いた。

それはUEFAカップ準決勝バイエルン・ミュンヘン戦(合計スコア4-2で敗戦)、オリンピア・シュタディオンで行われたファーストレグでの出来事だった。バイエルンの圧倒的パフォーマンス、そしてボブ・バレンタイン主審の判定への怒りをためこんでいたフアニートは、味方選手がマテウスに倒された際にそれを爆発させた。

バレンタイン主審の眼前で、まずマテウスの背中を踏みつけ、もだえるドイツ代表MFの顔面にもスパイクによる一撃を見舞った。フアニートは試合後に「あの反応を見せたのはもう一人の自分だった。そのような悪い自分が僕の中にはいる。本当に反省している」と自分の愚行を悔いた。

しかし謝罪もむなしく、UEFAは5年間の国際大会出場停止を宣告。マドリーの背番号7は284試合85ゴールという記録を残し、10シーズンを過ごしたクラブを後にした。「マドリーに監督として戻れると確信している。自分にはそうなれる資質がある」との言葉を残して…。

マドリー退団後には、故郷のクラブであるマラガで、穏やかな現役最後の1シーズンを過ごした。ラ・ロサレダのピッチに立っても、浴びせられる喝采はベルナベウものと同様だった。そしてスパイクを脱いだ後には、公言していた通りに指導者としての道を歩み始め、1991-92シーズンに当時2部に所属していたメリダの監督として指揮官デビューを果たした。

突然の別れ

だが指揮官としてのキャリアをスタートしてから1年も経たずに、突然の別れが訪れた。1992年4月1日、フアニートは元チームメート、また友人でもあるマルティン・バスケスのベルナベウ帰還試合となったUEFAカップ準決勝ファーストレグ、マドリー対トリノ(2-1)を観戦。ロッカールームに降りて選手たちとあいさつを交わした後に、愛車プジョー405に乗ってメリダへの帰路についた。深夜2時にさしかかった頃、フアニートはトラックから丸太が転がり落ちているのを確認し、右にハンドルを切った。だが、そこにはもう一つのトラックが止まっており、プジョー405はそのトラックの車体後部に衝突。鉄のスクラップとなった車の運転席で、37歳のフアン・ゴメス・ゴンサレスは眠っていた。こうして彼は、マドリーの伝説の背番号7となったのだった。

今も生き続けるスピリット

流れ続ける時間の中で、マドリーの背番号7は輝き続けた。エミリオ・ブトラゲーニョ、ラウール・ゴンサレス、現在はクリスティアーノ・ロナウドが背負う。それでも、ベルナベウの毎試合7分に巻き起こるコールが、「イジャ・イジャ・イジャ! フアニート・マラビージャ(美しきフアニート)!」であることに変わりはない。

このコールの渦の中心となるのは、ベルナベウの南スタンドのゴール裏に陣取るウルトラス、ウルトラ・スルだ。彼らはそのコールを「理屈じゃなく、彼のスピリットを感じるためのもの」と語る。そのスピリットは現在でも、強く求められ続けている。大逆転した、あのUEFAカップのインテル戦のような場面で、だ。今季もそのような場面はあり、チャンピオンズリーグ準決勝バイエルン・ミュンヘン戦で、フアニートの存在がとりわけ強調された。

アリアンツ・アレナでのファーストレグを1-2の敗戦で終えた後、マドリー寄りとして知られるスペインのスポーツ新聞『マルカ』は、ドイツ語でこう見出しを飾った。

「ベルナベウの90分はとても長い」

マテウスの件をよく知るバイエルン指揮官ユップ・ハインケスを「ユニークな見出し」と苦笑いさせた。そしてベルナベウのマドリディスタは、フアニートの姿をモザイクで用意してインテル戦の再現を願った。最終的には敗退したが、PK戦までもつれこむなど、バイエルンに地獄を味わわせている。

火花のように散らした人生だからこそ、フアニートは祈りを捧げる対象、戦いに挑む意思の象徴に成り得たのだろう。死後に与えられた愛称は“オンラード(スペイン語で栄光、名誉、栄誉といった意)”。彼はすでに、マドリディスモの一部となっている。

文/江間 慎一郎