元川悦子の一蹴入魂:内田篤人の代表キャリアの新たな一歩

どんな事情があろうと一度ピッチに立てば…
9月のウルグアイ戦(札幌)で本格始動して以来、不完全燃焼感の強いゲームを繰り返していたアギーレジャパン。10月もジャマイカ戦(新潟)で勝つには勝ったが、オウンゴールによる1点のみ。いかにしてゴールを奪うかという課題が重くのしかかっていた。

けれども2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)に出場したベテラン勢を数多く呼び戻した14日のホンジュラス戦(豊田)では、相手のコンディションやモチベーションに問題があったとはいえ、開始早々の吉田麻也(サウサンプトン)の先制弾を皮切りに大量6点のゴールラッシュ。本田圭佑(ミラン)の2点目、遠藤保仁(G大阪)の3点目が入ったところで試合が決まったことも追い風となり、日本は攻撃面では非常に前向きな手ごたえをつかむことができた。

そんな中、コロンビア戦(クイアバ)直後に「代表をいったん引くかどうか考える」と日本代表継続を悩んでいた内田篤人(シャルケ)も4カ月半ぶりに日本代表のユニフォームに袖を通した。今回の合宿初日だった10日には「W杯が終わってから代表のことは話してなかったのに、最近の新聞ではだいぶ話したかのように書いてあって、なんか怖いなと。もう僕が話さなくてもみなさん記事書けるし、話さなくてもいいのかな…」とメディアの報道姿勢に不快感を示すとともに、慢性化している右ひざのケガに不安を抱えていることを吐露した。その後も「ムリしたら試合に出られる? まあ、どうですかね…」と歯切れが悪く、本人も最後までホンジュラス戦に出場できる確信が心身両面でつかみきれなかったようだった。

複雑な状況を抱えていても、内田というのはピッチに立てば、その影響を絶対に感じさせない選手である。どんな時も黙々と勇敢に戦い抜く。その姿勢は右太ももの負傷の影響でコンディションが万全でなかったブラジル大会でもそうだった。ホンジュラス戦で90分フル出場した彼は、最終ラインを確実に落ち着かせ、右サイドの前にいる本田が攻撃に専念できるように、背後で献身的なサポートをしてみせた。そして要所要所で本田を追い越して攻撃に出て行った。直接的にゴールをお膳立てしたシーンこそなかったが、後半24分に豊田陽平(鳥栖)が代表初得点を挙げた場面も、内田のインターセプトから本田、香川真司(ドルトムント)とボールがつながって得点が生まれた。

「篤人がしっかり連携を取ってくれたし、攻撃的に行かせてくれた。前に言ってもいいと言ってくれたので、攻撃に専念できた。篤人が3回くらい前を走ってくれていたけど、使わなかった(苦笑)。後でフォローしておきます」と1得点2アシストの本田も冗談交じりに内田の援護射撃を感謝した。2人のタテ関係がスムーズに機能したのを見ても、いかに内田の存在が大きいかを再認識させるいい機会になったのではないだろうか。

「今日は相手の出足を封じて、点も早く取れましたし、良いリズムでできた部分もあります。監督も楽しいサッカーをやるというのは言ってましたし、勝つためにも楽しむのは大事だなと。今日は勝てましたけど、これから先、勝てない時期もあるだろうし、うまくいかなかったときにどうするかが重要だと思います」と本人はチームが前向きな方向に進んだことを素直に喜んだが、一方でこの先、直面するであろう苦境にどう対処するかの重要性も改めて強調した。

岡田武史監督、アルベルト・ザッケローニ監督時代の日本代表で何度ももがきが苦しんできた内田には、これからの道のりが簡単ではないことがよく分かっているのだろう。だからこそ、楽観視はしていない。自身3大会目となる2018年ロシアW杯に向けても「今まで通りコツコツとやっていきたい」と地道な努力を積み重ねていくことが肝要なのだと今一度、気を引き締めた。

それでも、多くの選手、スタッフ、サポーターが代表復帰を待ち望んでいた右サイドのスペシャリストが新たな代表キャリアの一歩を踏み出したのは間違いない。日本サッカー界にとっても確かな前進と言っていいだろう。

「僕が代表に入ったのは19のときだったと思いますけど、代表のユニフォームをずっと着させてもらって、嫌なことも良いこともいろいろあった。でもピッチに立っている以上、仕事をしないといけない。そういう意味でも身が引き締まる思いです」

国際Aマッチ72試合目を戦い、代表で戦うことの重みを噛みしめた内田。彼の今後のさらなる飛躍に期待を寄せたい。


文/元川悦子
1967年長野県松本市生まれ。94年からサッカー取材に携わる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は練習にせっせと通い、アウェー戦も全て現地取材している。近著に「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由」(カンゼン刊)がある。