
アッスルは1964年に自身の地元クラブであるノッツ・カウンティから2万5千ポンドで加入。10シーズンで361試合に出場して174ゴールを記録し、アルビオンの歴史の中で歴代4位のゴール数を誇っている。典型的なセンターフォワードであった彼は、ルームメートであり親友でもあったインサイドFWのトニー・ブラウンと破壊的なコンビを形成。1981年までホーソーンズでプレーを続けたブラウンはクラブ歴代最多の279ゴールを記録している。2人がキャリアを共にした時期に、バギーズは4年間で主要大会の決勝に4度進出。1966年リーグカップ決勝ではファーストレグでアッスルがゴールを記録し、ウェスト・ハム・ユナイテッドを下して優勝を飾った。
だが最大のハイライトが訪れたのは1968年、ウェンブリーでのエヴァートンとのFAカップ決勝だった。ヘディングの強さで知られたアッスルだが、この試合では右足のシュートを相手キャプテンのブライアン・ラボーンにブロックされた後、こぼれ球を苦手な左足で打ち込む。延長3分のこの1点が試合の唯一のゴールとなった。ウェスト・ブロムにとっては現在に至るまで最後のメジャータイトルであり、アッスルは1シーズンのFAカップの全ラウンドでゴールを記録した数少ない選手たちの一人となった。
その1年後、アッスルはホーム・チャンピオンシップのウェールズ戦でイングランド代表に招集される。だがデビュー戦での初ゴールとなるはずだったヘディングシュートは、無情にも相手DFの手によってゴールライン上で止められてしまう。アッスルはこぼれ球を押し込んだが、主審はその前のハンドによりPKスポットを指した。1969-70シーズンに大活躍を見せ、25ゴールで1部リーグ得点王となったアッスルは、ジュール・リメ杯防衛を狙うアルフ・ラムジーのチームの一員としてメキシコ・ワールドカップ(W杯)へと向かう飛行機に乗ることになった。グループステージ初戦のルーマニア戦は欠場したアッスルだが、その5日後に大きなチャンスが訪れる。伝説となったブラジルとの一戦で、後半にジャイルジーニョに先制点を許した直後、ボビー・チャールトンとの交代でピッチに送り出されたのだ。
アッスルの交代出場から3分も経たないうちに、左サイドバックのテリー・クーパーが深い位置からクロスを上げる。ブラジルの左SBエヴェラウドはクリアを試みて酷いミスキックを犯してしまい、ボールはペナルティースポット付近のアッスルの足元へとこぼれる。だが動けないGKフェリックスを破るだけという場面で、彼の左足は今回は期待を裏切り、ボールを大きくゴール横へ外してしまう。結局イングランドはこの試合に敗戦。それでも次のチェコスロバキア戦で先発に起用されたアッスルだが、またもゴールを決められず。西ドイツに敗れた準々決勝ではチームから外され、その後二度と国を代表してプレーすることはなかった。
ブラジル戦でのミスは、アッスルにとって自虐的ジョークとして持ちネタになった。ユーモア豊かな彼は現役引退後に各地で講演を行いつつ、CKからのゴールを得意としたことと窓を隅々まで磨くことを掛けた「ジェフ・アッスルはコーナーを逃さない」というスローガンでウインドウクリーニングのビジネスも手がけていった。このギャグセンスと、自分自身を笑い飛ばす姿勢で、彼はテレビのスポット出演に起用される元プロ選手として理想的な存在となった。90年台半ばにはコメディアンのデイビッド・バディール、フランク・スキナー(彼は子供の頃からアッスルに憧れたウェスト・ブロムファンだった)とチームを組んでサッカーコメディー番組『ファンタジー・フットボール・リーグ』に出演。後にEURO96のアンセムに用いられた『Three Lions』はこの番組から生まれた曲だった。
こうしてアッスルは、彼のプレーを見るには若すぎた世代の間でも人気を獲得。毎回のショーの最後には、調子外れのカラオケを歌うのが彼の常だった。カルロス・アウベルト・トーレスをゲストに迎えたショーの際にも彼はジョークの的となった。1970年大会のブラジルのスター選手たちのピッチ上でのミスをからかった司会者たちに対し、カルロス・アウベルトは「あの」後半の決定機に言及しつつ、「あのときのW杯はよく覚えてるよ。”クソ”と呼ぶのに本当にふさわしいのは一人だけだった。ジェフ・アッスルこそがそうだったよ!」と抗議。その後自ら姿を表したアッスルは、自身の歌手としてのパフォーマンスに言及しつつブラジルの伝説的右サイドバックの誤りを訂正した。「おい、”だった”じゃないだろう…」
59歳の若さで彼がこの世を去ると、『ファンタジー・フットボール・リーグ』では番組の最後の歌に代えて1分間の黙祷が捧げられた。彼の死がイングランドサッカー界にとって特に衝撃的だったのは、検死により「労働災害により死去」したと結論づけられたことだ。神経病理学の権威であるキース・ロブソン博士によれば、アッスルは脳に致命的なダメージを受けており、現在より重く耐水性のないボールが使われた時代に空中戦を得意としていた事実がその遠因であることは「合理的疑いを超えていた」とのことだった。未亡人となったラレイン夫人は先月、『メール・オン・サンデー』に次のように話している。「ジェフの脳をどこで切断してみても、そこには外傷がありました。サッカーボールをヘディングした直接的な結果として、ボクサーの脳と同じようになっていました」。若年性認知症により、アッスルは晩年には自身のサッカー界での業績も、自身がプレーしたクラブさえも思い出せなくなっていた。
イングランドサッカー協会(FA)とイングランドプロサッカー選手協会は当時、ヘディングと脳損傷の関連に関して10年間の調査を行うと発表した。だが困ったことに、12年が経過した今でもそのような研究の結果が伝えられたことはない。研究対象に選ばれた選手たちがプロになれなかったためプロジェクトが放棄されたらしいという話もある。だが両協会とは独立したところで、学界での統計調査により、サッカー界で広く疑われていたことが事実として確認されつつある。例えば『ガーディアン』が報じたトリノ大学での研究によれば、1970年から2001年にかけて7千人の元選手たちの医療記録を調べた結果、運動ニューロン疾患のリスクは一般人の6倍に上ることが示されたとのことだ。
アッスルの遺族にようやくFAから連絡が入ったのは先週のことだ。「ジェフに正義を」キャンペーンにメディアからの注目が集まった結果として、グレッグ・ダイク会長は遺族に長い謝罪の手紙を書いた。今シーズンはすでに、頭部を負傷したロメル・ルカクやウーゴ・ロリスらの選手たちがすぐにプレーを認められたことがドクターたちを驚かせたという事態も発生している。新体制のFAは真剣かつ早急に対応する必要に迫られている。影の福祉改革大臣であるクリス・ブライアント議員は、『デイリー・メール』に次のように語った。
「今週、ニューヨーク・ジェッツで仕事をしている著名な神経病理学者と話をしました。彼女は、この分野において英国はアメリカに15年の後れを取っていると驚いていました。一部のスポーツは危険から目を背けているのではないかという恐れがあります。これは刑事過失にもなり得ることです。彼らはヘディングが人間にどう影響するかを知らないというのが実情です」
「ジェフに正義を」というのは決して賠償を求める動きではなく、啓発を求めるものだ。サッカーファンがかつての英雄たちに抱き続ける愛情が、現在と未来のアッスルに続く者たちの命をより安全なものとするための適切な行動へとつながることが願われている。
文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季も毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley