C・ロナウドを読む(5):メッシとのライバル関係

世界をにぎわす「1対1」
Goal.comでは数週間にわたり、ルカ・カイオリ氏の新著「Ronaldo: The Obsession for Perfection」の一部をご紹介していきます。貧しかった幼少時代から、スターダムを駆け上がる様子を追っていってください。

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2人のサッカー選手が、おしゃべりしながらソファに座っている。「神様はサッカーの仕方を教えるために、僕を地上に遣わしたんだ」と、クリスティアーノ・ロナウドが言う。「そんなことはないよ、僕は誰も地上に送り込んだ覚えはないからね」。答えたのはリオネル・メッシだ。

これはインターネット上で出回ったジョークだが、いかにファンがこのポルトガル人とアルゼンチン人の関係を見ているかを、完璧に表している。それぞれ27歳と24歳である2人のスーパースターは、キャリアの重ね方と勝利への情熱という点で非常に似通っているが、ピッチ内外のスタイルはこれ以上ないほどに異なっている。

「クリスティアーノ・ロナウドは、ユークリッドの理論に従って説明できる。2カ所の最短距離は、直線によって結ばれる。それ以外の方法を取るならば、ゴールにたどり着くまでにワープのスピードでそのラインを吹き飛ばさなければならない」。賞も受けたことがあるスペイン人ライターのマヌエル・ビセンテ氏は、『エル・パイス』でそう記した。

「レオ・メッシには、アインシュタインの方がいいだろう。斧をよけながら豚を運ぶかのように予測不能のジグザグ走行をするなら、2カ所の唯一にして最短の距離は、常に曲線である。ロナウドは情熱を、メッシは称賛を引き出す」。だからこそ彼ら2人は、現代サッカーの世界で神と呼ばれるのだ。

クリスティアーノが自身と競争することが好きであるというのは、本当のことである。メッシと比較されるようになってから、彼はこう反応している。「ちっとも気になったりしないよ。僕の性格とサッカースタイルは、彼のそれとはまったく違うんだ。僕は自分のサッカーと、レアル・マドリーで勝利することにしか興味がない」。

彼はメッシをねたんだりしないと強調する。だが、レオが彼にとって、スーパーマンが唯一弱点とした鉱物「クリプトナイト」のような存在であることに疑いの余地はない。このアルゼンチン人は、彼の頭を悩ますものの代表であり、アキレス腱である。スペインでもキプロスでも、ボスニアであっても、ライバルチームのファンが「メッシ、メッシ、メッシ!」と彼に向かって歌うのは、決して意味ないことではない。これが彼の神経に障ることを、よく知っているのだ。



レオは何年も、クリスティアーノの比較対象とされてきた。彼が世界最高の選手になるレースにおいての、直接のライバルだとみなされてきた。公の場でメッシに嫉妬しているのではないかとの話を笑い飛ばして、影で少しずつ彼を超えようと努力しているとの話を否定しても、バロンドールの座から引きずり下ろされて以来、クリスティアーノと「リトル・ワン」の間に極度に張り詰めた空気が流れ続けていると、広く考えられている。

レアル・マドリーの内部の人間は、メッシがプレーしている場面をクリスティアーノ・ロナウドがテレビの前で見ているのを目にしたとしたら、それはまたとない貴重な機会だと話す。代理人であるホルヘ・メンデスが一緒に観戦しているときに同氏は、人々はサッカーのことをまったく理解しておらず、バルサの背番号10は世界最高の名にふさわしくはないと言って、彼をなだめようとするという。

ロナウドとメッシの比較は、この2人がそれぞれマンチェスター・ユナイテッドとバルセロナで輝きを放ち始めた頃から始まった。比較はサッカーでのライバル関係から、いつしか生活のあらゆる側面へと発展していった。メディアでの露出の比較と分析にはさまざまな見方がなされ、ブランドに関する戦争まで始まった。クリスティアーノなナイキと、メッシはアディダスと契約している。クリスティアーノがアルマーニを着れば、メッシはドルチェ&ガッバーナ。クリスティアーノがタイム・フォースを腕に巻けば、メッシはオーデマ・ピゲである。さらには車の中身にまで発展し、ポルトガル側がカストロールなら、アルゼンチン側はレプソルといった具合だ。そして最後は、白い巨人の背番号7がサッカーレードを飲めば、ブラウグラナの背番号10はゲータレードを飲む…。

『スポーツ・イラストレイテッド』によれば、金銭面で軍配が上がったのはメッシである。ロナウドの2750万ユーロに対し、1年間に3100万ユーロを稼ぎ出した。だが、ソーシャルメディアではクリスティアーノが先んじる。ツイッターでは300万人以上がフォローし、フェイスブックでは3000万人のファンがいる。世界有数のポップスターであるレディー・ガガに、あとわずかに迫る勢いだ。メッシはつい2011年の春にフェイスブックのページをつくったばかりで、その結果、「わずか」700万人ほど差が開いている
しかし、こうした比較は、常に一つの疑問に集約される。どちらがベストの存在なのか? 新聞やラジオ、テレビやブログで、何度となく繰り返された疑問である。監督から選手、子供からオールドファンに至るまで、この議論に巻き込まれている。誰もが自身の意見を持っているのだ。

ロナウド対メッシという激突は、昔ながらのダービーのごとき扱いである。スポーツは、歴史上の時代の比較同様に、選手やチーム、国の間のライバル関係で燃え上がる。記憶こそがこの競技の基本となるものであり、誰かを誰かに対してけしかけることこそが、世界のメディアの意見を分かつ、皆のお気に入りの楽しみ方だ。

ボクサーのアリとフォアマン、F1ドライバーのプロストとセナ、イタリア人の自転車レーサーであるバルタリとコッピ、テニスのスター選手であるボルグとマッケンロー、バスケットボール選手のマジック・ジョンソンとラリー・バード、バイクレーサーのヴァレンティーノ・ロッシとホルヘ・ロレンソ、陸上競技のカール・ルイスとベン・ジョンソン…。

だがサッカーの世界では、「偉人」とみられる選手が同時期に活躍する誰かの影に隠されることはまれである。ペレやクライフ、マラドーナにディ・ステファノも、誰も全盛期が誰かとかぶることはなかった。だが現在、過去有数の「1対1」となった2大スターの「ダブり」が生じているのである。