コラム:グティ、“天使と悪魔”

嫌われ、愛される天才MF
彼はこれまでのキャリアのすべてを白いユニフォームを着て過ごしてきた。しかし、常に天使として振る舞ってきたわけではなかった。ホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス、通称“グティ”は、天才という言葉の意味をレアル・マドリーでの15シーズンで体現してきた。彼はスペインのフットボール史に残る、ジキルとハイドのような男だろう。偉大でありながら、影もある。

マドリッドのトレホン・デ・アルドスで生まれたグティは、中途半端な男ではない。死ぬほど嫌われるか、最後まで崇拝され続けるか、両極端に振れる選手なのだ。マドリーのカンテラーノは、本物の芸術的プレーによって主役を演じることがある。そういったときは、最近のマドリーの最もスペクタクルな瞬間だった。それと同時に、マドリディスモを苦しめるような気質も持ち合わせた。その輝きは、断続的だった。


グティがマドリーの歴史において、最も白いユニフォームを愛した一人であることは誰も否定できない。9歳でマドリーに入団すると、下部組織のすべての年代でプレーした。

初のトップチームデビューは19歳で迎えた。当時の監督はホルヘ・バルダーノだった。グティの退団会見にも同席したのは、奇縁としか言いようがない。現マドリーGD(ゼネラルディレクター)は、95年12月2日のセビージャ戦でグティに出場機会を与えた。マドリーは4−0でセビージャに勝利し、グティもバルダーノの期待を裏切ることはなかった。だがそのシーズン、グティは9試合出場で1ゴールと、あまり多くの出場機会を得ることができなかった。

完全にトップチームの選手となったのは、99−00シーズンのことだった。このシーズンからマドリーを率いたビセンテ・デル・ボスケ(現スペイン代表監督)が、グティに信頼を置いたことがきっかけだ。マドリーのカンテラの総責任者であったデル・ボスケは、グティをチームの軸に据え、中盤でチームの攻撃をコントロールさせた。


それ以来、グティはチームに不可欠な選手となった。マドリー退団までに残した足跡は、542試合72ゴールというものだった。

最高のシーズンは07−08シーズンだろう。チームはリーガエスパニョーラ優勝を果たし、グティはアシストランキングのトップに立った。そのシーズン、魔法のようなパス、ドリブル、クロスを見せて、本当の才能の持ち主であることを示した。

グティは芸術的なプレーを幾度も披露した。その中でも、網膜に焼きつくような最高のプレーが2つある。05−06シーズンのセビージャ戦で見せた信じがたいクロス。そして09−10シーズンのデポルティボ戦で見せた魔法のヒールパスだ。

「グティは世界中の誰もができないようなプレーをやってのける」(ジネディーヌ・ジダン)。「本当に並外れている。彼とともにプレーできることを誇りに思う」(ロナウド)。グティとともにプレーした偉大な選手たちも、彼が本当の才能の持ち主であると証言している。

しかし、グティのマドリーでの軌跡には影となる部分もある。彼はその性格により、論争を引き起こすネガティブな主役をも演じたのだ。

その例として、00−01シーズンに行われたエル・マドリガルでのビジャレアル戦が挙げられる。ビジャレアルのファンに「田舎者」と言い、中指を突き立てたのだ。この行為は国内のすべての新聞で報じられた。

グティはそのトラブルから何も学びはしなかった。その証拠に09−10シーズン、0−4で敗戦した“あの”コパ・デル・レイでのアルコルコン戦でも、相手ファンに対して同じように中指を突き立てた。グティはその試合から4カ月間、ピッチに立つことはなかった。戻って来た際には「俺を信じないヤツは、ポピーでも摘んでろよ」と言い放った。


頻繁に夜遊びを繰り返すことも、選手としてのネガティブなイメージを植えつけた。夜遊びがスキャンダルとして報じられた直後、グティは記者会見で自身を「昼も夜も止まらない男なんだ」と話した。「友達と夜を楽しむことが好きなんだ。ある程度は慎まないとね。60歳になったら、朝6時までディスコにいることはない。だけど今はそうしていたい」。

グティは誰にも何かしらの感情を起こさせる。それは尊敬でもあり、憎悪でもある。今、マドリーの一つの歴史が終わった。彼は新たな冒険へと旅立つ。マドリー以外のユニフォームで、天使と悪魔のどちらの姿を見せるのだろうか…。

翻訳/江間慎一郎