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FC東京、ガンバでプレーしたルーカス…日本での思い出を語る/インタビュー

かつてFC東京やガンバ大阪で活躍し「ルーコン」の愛称で親しまれたルーカス。日本では計8年プレーし、その間にアジア・チャンピオンズリーグ王者を含む4つのタイトルを獲得した。一度はブラジルに戻り引退を表明したものの、古巣のFC東京からの誘いを快諾し現役を続行し、2013年11月に日本で引退した。思い出深い日本での生活について、ルーカスが『Goalブラジル』に対し語ってくれた。

――どうやって日本に順応したのですか?

日本は独特な国だけど、その前にフランスにいたことがあったから、その経験が役に立ったよ。とてもユニークな国だけど、素晴らしい文化に出会えて楽しかった。もちろん最初は苦労したけど、最初の数年で人間として成長できたと自信をもって言えるね。

――ブラジルではアトレチコ・パラナエンセがあなたにとって特別なクラブですが、日本ではFC東京とガンバ大阪どちらでしょうか?

話をややこしくしたいの?(笑) ガンバでは3年間で4つのタイトルを獲得した。プロとしてはより強かったし、ガンバにはすごく愛着がある。だけど、僕のキャリアを救ってくれたのはFC東京だ。FC東京は僕を信じてくれ、フランスで結果の出せなかった僕を呼んでくれた。

ガンバには感謝しているし、みんなが僕をいつも暖かく受け入れてくれて、いろんなイベントにも参加した。だけど、FC東京とは特別な愛情関係が築かれている。とても感謝しているから、引退を先延ばしにして、FC東京に戻ってプレーしたんだ。

――FC東京からガンバ大阪へ移籍した経緯は?

FC東京ではタイトルを取れなかったからね。2004年にはスペイン遠征でトロフィーを獲得したし、ナビスコカップも優勝した。だけど、リーグ戦ではいつも真ん中くらいの順位か、降格すれすれだったから、すごく大変だった。

年俸はよかったし、素晴らしい街で、ファンとの関係も最高だった。チームの主力だったけれど、小さくまとまりすぎていた。ガンバ大阪は日本屈指のビックチームで、オファーが来たとき、新しい挑戦をする時が来たのだと思ったんだ。


(Foto: Junko Kimura/Getty Images)

――AFCチャンピオンズリーグで優勝したこともありますね?

ガンバ大阪からのオファーが来たとき、ガンバはAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得していた。何もかもが完璧だった。当時の日本代表の核となる選手が大勢いたし、リーグ制覇も果たした。自分で考えていた以上にチームに完璧にフィットできて、決勝では2ゴールを挙げた。


(Foto: TORU YAMANAKA/AFP/Getty Images)

――日本での思い出は?

日本は、人間として大きく成長できた国だった。リーグ運営はきちんとしているし、日本人はみんな優しくて、礼儀を重んじる人たちだ。思い出はいっぱいあるよ。もちろん、サッカーのタイトルもたくさん獲ったけど、いちばん印象的だったのは、日本という国そのものだね。

日本に住む前と後では、人間が変わったと思う。10年で劇的に変わった。プロとしてはタイトルの獲得が重要だけど、プライベートの方が大きな影響を受けた。日本は僕にとって尊敬し、愛する国で、日本での思い出は今でも最高の思い出だよ。


(Foto: J.LEAGUE PHOTOS)

――日本での面白いエピソードは?

日本に着いてすぐの頃だね。日本人はサッカーも好きだけど、いちばん人気があるのは野球と相撲なんだ。日本に引っ越した時、すぐには運転できなかった。免許を再発行してもらう必要があったんだ。それで、クラブハウスのすぐ近くの家に住んで、歩いて行き帰りしていた。

ある日、警官に止められて、長々と話をされたけれど、僕には全然理解できなかった。ブラジルやフランスでも同じことがあったから、僕のサインが欲しいんだろうと思って、紙とペンはあるのかと尋ねた(笑)。

だけど、警官は僕が違法滞在者じゃないかと思って、書類を見せろと言っていたんだ。釈明のために警察署へ連行されるところだったよ。

――いまでも日本とはつながっていますか?

2014年にFC東京の大使となって、講演やクラブのイベントで1年に3回、日本へ行った。2015年は2回。1回はガンバのイベントで、もう1回はJリーグのベストイレブンの表彰式に参加した。功労賞に選ばれて、殿堂入りさせてもらったんだ。今年も、イベントに参加するので1回行った。日本とは今でもとても強い関係があって、たくさん連絡をもらうよ。

――日本のファンについてどう思いますか?

面白いのは、ブラジルのファンは自撮りをしたり一緒に写真を撮ったりするけど、日本人はサインを欲しがることかな。日本人はとても礼儀正しいんだ。レストランで食事をしていると、食事が終わるまで待ってくれる。ブラジルとは全然違う。試合の後や優勝したときには当然、すごく熱狂するけど、普段の生活では礼儀正しいんだ。


(Foto: TOSHIFUMI KITAMURA/AFP/Getty Images)

――日本のクラブがAFCチャンピオンズリーグで優勝し、JリーグがアジアNo.1のリーグになるには、どうしたらよいでしょうか?

かつて僕のコーチだった人で、Jリーグの理事をしている人が2人いるけど、その人たちとは、しょっちゅう連絡を取りあっているよ。Jリーグの一番の問題点は、投資が不足していることだね。他の国々はそうじゃない。残念だけど、いまや、中国やアラブ諸国の方が条件がいい。

リーグ戦が総当たり戦に戻って、テレビの放映権料から各クラブが受け取るお金が増えるし、外国籍選手の数を増やすかどうか、話し合いがもたれている。レベルが上がって、競争力が高まる傾向にある。

各チームがAFCチャンピオンズリーグで優勝することに力を注ぐことになるだろうね。僕は、日本人の能力なら、Jリーグは再びアジアで力を持つようになると信じているよ。

――ブラジルではどんな生活ですか?

インフラ整備のために働いている。サッカーを始める前、仲間が何人かいて、その1人がコキュートス(元選手)なんだ。故郷のリベイラン・プレト市(サンパウロ州)で不動産業も営んでいる。ブラジルが最悪で産業に影響が出ているときにビジネスをしているけど、幸せだよ。

不動産への投資は続けているし、ここまで10年、実業家としてスタートした。今は景気がよくないけど、必ず状況がよくなって成功できると信じているよ。

取材・文=フェルナンド・アフヴィア/Fernando H. Ahuvia