小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会…「これからもずっと一緒に」②

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©Tomoo Aoyama
2017シーズン、かつてのメインスポンサー、株式会社フジタと18年ぶりにスポンサー契約を実現させた湘南ベルマーレ。「フジタスペシャルデー」が開催された9月2日、フジタ時代から所属していたOB小島伸幸氏と名良橋晃氏、当時から運営に携わっている湘南スタッフの遠藤直敏氏に、当時の思い出を語ってもらった。

日本中をフィーバーが席巻した1993シーズンから1年遅れで、フジタサッカークラブ改めベルマーレ平塚はJリーグに参戦した。サントリーシリーズは12チーム中で11位に低迷したが、NICOSシリーズは一転して2位と大躍進。経験豊富な元ブラジル代表勢と日本人の若手が融合したチームは「湘南の暴れん坊」と命名され、勢いもそのままに1995年元日の天皇杯を制するに至った。

小島 いまでも鮮明に覚えているのは、天皇杯の優勝だね。決勝でまだJリーグに昇格する前のセレッソ大阪を2-0で破って、今は取り壊された国立競技場の近くにあるフジタの本社で報告会があって、慰労を兼ねたどんちゃん騒ぎをして、翌日から日本代表の遠征でサウジアラビアだったからね。

名良橋 インターコンチネンタルカップ、今で言うコンフェデレーションズカップですよね。僕はその頃、イタリアへ行っていましたけど。

小島 何だ、遊びに行ったのか?

名良橋 違いますよ。サッカー留学です。移籍とか関係なしに、イタリアでサッカーをやってみたいと思ってトリノへ。一人だけだったので、ちょっと寂しかったですけど。

小島 そう言えば、初めて臨むJリーグが開幕する前もイタリアでキャンプをしたよね。ミラノとフィレンツェを回って、フィオレンティーナとナポリの試合も見に行ったりして。

名良橋 僕は当時髪を金色に染めていて、パスポートの写真と全然違ったんです。そうしたらミラノのマルペンサ空港の入国審査で止められて、別室へ連れていかれた。誰か助けてくれるだろうと思ったら、みんなそっぽを向いて『そんな人、知りません』って感じで。このチームは最悪だ、と思いましたよ(笑)。

小島 覚えていないなあ。イタリア代表も使うグラウンドで練習したんだけど、門の前にあったオバちゃんが経営している小さなお店のビールを、ベッチーニョが全部飲んじゃったのは記憶にあるけど。

名良橋 まあ、別にいいんですけど(笑)。僕が覚えているのは、サントリーシリーズで初めて勝った横浜マリノス(現横浜F・マリノス)戦ですね。開幕戦でヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に1-5で完敗した次のホーム開幕戦。延長でアウミールがVゴールを決めて1-0で勝ったんですけど、前半の途中でター坊(田坂和昭)とタクが衝突して。

小島 思い出した。僕の目の前で衝突したんだ。眼窩底を骨折したター坊は、「前半を覚えていない」と後で言っていた。

名良橋 その後に復帰した時には防護用のフェイスガードを着けてピッチに立ったんですけど、Jリーグでは初めてだったので「ジェイソン」とあだ名をつけられてしまって。2002年の日韓共催ワールドカップの宮本恒靖よりも早い、マスクマンの第1号が実はター坊だったんですよ。

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遠藤 マリノス戦の次節、日本平での清水エスパルス戦では、後半からベルマーレの「4番」が2人同時にプレーする、前代未聞のハプニングが起こってしまって。本来は「8番」のエジソンが、何を間違えてしまったのか、ハーフタイムに「4番」だった(岩本)輝雄の予備のユニフォームに着替えてしまった。

小島 当時は仕方がない。試合ごとに背番号が変わっていたからね。後半開始直後から少しずつスタジアムがざわつき始めて、何だと思ったらエジソンが間違えていた。

遠藤 あの2人は仲がよかったので、いつもロッカールームが隣同士だったんです。主審も気がついて、エジソンはロッカールームへ行って急いで着替えた。戻ってきた時に主審の許可を得ずにピッチに入り、清水の選手が抗議している間にベッチーニョがゴールを決めてしまった。

小島 いいんだよ。隙は突くものだからね。

遠藤 今だったら自分、どうなっていますかね。選手が間違えましたでは、マネージャーとして許されなかったかもしれないですよね(笑)。

名良橋 でも、試合は1-4で負けてしまいました。

小島 それで古島(清人)と僕が入れ替わって、次のジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)戦でデビューした。

遠藤 コーチのニカノールが、清水戦後に激怒していたのを覚えています。これではダメだと。

名良橋 ただ、注目の高卒ルーキー・城彰二に、開幕から4試合連続ゴールを決められていますよね。ガンバ(大阪)のエムボマにスーパーゴールを決められた時もノブさんだった。

小島 ジーコが最後に直接FKを決めた時も、キーパーは僕だった。横浜フリューゲルスのエドゥーの長距離砲の時も僕。あの時は直前に磐田の森下(申一)さんがインカーブで決められていたので、インカーブ用の壁を作ったらアウトカーブでやられた。しかも後で映像を見たら、壁の一番左側にいた信藤(健仁)さんがよけていて、そこをボールが通っていた。

名良橋 人の責任にするのがキーパーですからね(笑)。おかげで、今でもスーパーゴールの映像にノブさんがよく映る。ただ、ジャンプ力やシュートへの反応を含めた身体能力の高さは半端なかった。

遠藤 とにかく手が長かった、というイメージがあります。

名良橋 キック力も右足はすごかった。左足はお話にならないほどのレベルでしたけど。

小島 だから、バックパスは必ず僕の右足に出すという暗黙の了解があったからね。

■小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会 第1回

■小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会 第3回

■小島伸幸氏×名良橋晃氏×遠藤直敏氏(湘南ベルマーレ・スタッフ)座談会 第4回

■プロフィール

小島伸幸(こじま・のぶゆき)

生年月日/1966年1月17日 出身地/群馬県前橋市

新島学園高、同志社大を経て、1988年フジタに加入。チームのJリーグ昇格も経験するなど98年まで平塚(現湘南)で活躍した。その後、福岡、草津(現群馬)でプレーし、2005年に現役を引退。元日本代表GK。現在は解説者、指導者として活躍する。

 

名良橋晃(ならはし・あきら)

生年月日/1971年11月26日 出身地/千葉県千葉市

千葉英和高から1990年フジタに加入。攻守両面に優れたサイドバックとして96年まで平塚(現湘南)で活躍。97年、鹿島に移籍すると2006年までプレーし、2007年に湘南に復帰。その年に現役を引退した。元日本代表。現在は解説者として活躍。

 

遠藤直敏(えんどう・なおとし)

生年月日/1969年3月4日 出身地/大阪府大東市

1992年に株式会社フジタ入社後、本社スポーツ事業推進室の一員としてフジタサッカークラブ副務の職に就く。その後フジタの経営撤退後、00年より正式に湘南ベルマーレに入社。以降クラブでは主務や強化担当、運営担当等を歴任している。

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●インタビュー・文=藤江直人(ノンフィクションライター)

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