ベン・メイブリーの英国談義:ついに、その時が来た

ファギータイムの終焉
今週のコラムがいつもより数日遅く掲載されることになったのはたまたまではない。何か大きなことが迫っているかもしれないという予感はあった。シーズン終了までの話題を独占するような、衝撃と畏怖を引き起こす話が出てくるのではないか。そう思いつつ、火曜日に東京で収録を終え、早めに床に就いた。スマートフォンのアラームで翌朝目を覚ました時、そこにどんなニュースが表示されているだろうかと心を躍らせながら。

だが残念ながら、『Foot! TUESDAY』での予想の大半が外れるのと同じように、今回も私は間違っていた。もしかすると、2試合を残してプレミアリーグのチームの半数が18位フィニッシュの危険を抱え、記憶にある限り最も激しい残留争いになるかもしれない―そんな予想は、ウィガン・アスレチックがホームでのスウォンジー・シティ戦に2-3で敗れたことでほぼ消えてしまった。

だが、皆さんご存知の通り、空白のコラムを埋めるのにちょうどいいタイミングで別のニュースが飛び込んできた。印刷機が回り始める前にサー・アレックス・ファーガソン引退をスクープすることに成功した『デイリー・テレグラフ』紙とマーク・オグデン記者はお見事だったが、その後の動きはあまりにも急速で、印刷媒体の新聞だけでなく、各紙のオンライン版やGoal.comのようなウェブサイトでさえも、通常のような時間をかけたスタイルで対応するのはほぼ不可能となってしまった。

速報や短いコメント、ツイートが飛び交った1日だった。タブロイド紙であれ一般紙であれ、すぐにこの話を取り上げ、いつものようなシーズン末の馬鹿馬鹿しいゴシップとは明らかに対照的な説得力を持ってそれを扱った。ユナイテッドは、ニューヨーク株式市場に対しての責任に強制される形で、ファーガソンの引退を認めた。後任監督のオッズではデイビッド・モイーズの人気が急上昇し、その後ジョゼ・モウリーニョが浮上、そしてまたモイーズ。マンチェスターでもリヴァプールでもマドリッドでも、各地のジャーナリストたちはそれぞれ140文字以内でコメントを発し、それがまたブックメーカーの賭け率の変動に手を貸した。答えの出ない疑問を巡って、さらに様々な憶測が広がっていった。なぜ今なのか? 健康問題なのか? 理想的な後任を見つけるために計算されたタイミングだったのか? 私がもともと今回のコラムの話題の中心に考えていたロベルト・マルティネスも、モイーズがエヴァートンを去ることになった場合の有力な後任候補だとしてニュースに取り上げられることになった。

私とこのコラムにとって幸いなのは、今後の数時間や数日、あるいは数シーズンでどのような進展があろうとも、オールド・トラフォードにおける世代交代には決して価値を失わない一つの真実があるということだ。

本当の意味で、サー・アレックス・ファーガソンの後を継ぐことは決して誰にもできないということだ。

誇り高きスコットランド人は、マンチェスター・ユナイテッドだけにはとどまらず、イングランドのサッカー界全体を支配し代表する存在となっていた。彼の時代を、単に「時代」という言葉で片付けるのはあまりにも不十分に感じられる。ファーガソンがアバディーンから南のオールド・トラフォードへ移った1986年には、私はまだ3歳だった。監督というものが何なのかも分からない年齢だ。プレミアリーグもチャンピオンズリーグも、Jリーグもまだ存在すらしていなかった。

グレイザー一家とも無縁の世界で、ユナイテッドは上場企業でもなく、単なる1クラブだった。その3年後、マイケル・ナイトンがクラブ全体を2000万ポンドで買収することを申し出た時には、その金額はあまりに高額だと受け止められた。選手たちはまだ名前の入っていない1番から11番のシャツを身に着けており、引退後は別の仕事に就いていた。ファンは安いチケットを買い、ゴール裏のイエローとグレーの観客席で、座席ではなく立ち見で応援していた。モウリーニョなんてあり得ない。ブリテン諸島の外で生まれた監督がイングランドのトップリーグのチームを率いたことはまだなかった(のちにジェフユナイテッド市原の監督も務める、ジョゼフ・ベングロシュが1990年にアストン・ヴィラ監督に就任したのが最初の例だ)。

これほど変化の激しい時代の中で、27シーズンで28のメジャータイトル獲得という長期にわたる成功を収めてきたことは十分に語り尽くされている。だがファーガソン自身が水曜日に発した短い声明の中で述べたように、彼は「単なるサッカーチームではなく、サッカークラブ」を作り上げてきた。1971年に引退したもう一人の偉大なるスコットランド人、サー・マット・バスビー以来のいかなる先人たちよりも、ファーガソンはユナイテッドの歴史と伝統の重要性をよく理解し、それを選手たちに伝えるとともに、自らの方法論の中にも採り入れてきた。

攻撃的サッカーの哲学を頑なに遵守し、かつてバスビーの築いた育成システムを蘇らせたファーガソンは、赤い悪魔のピッチ内外での成功からさらなる恩恵を受けつつ、リヴァプールやアーセン・ヴェンゲルのアーセナル、豊富な資金力を得て上昇を果たしたブラックバーン・ローバーズやチェルシー、そして「迷惑な隣人」マンチェスター・シティといったあらゆるクラブの挑戦を退けてきた。彼の作り上げてきたどの時期のユナイテッドのチームにも共通しているものは、ライアン・ギグスもそうであるように、驚異的なまでに強い勝利への決意だ。その最初の例となったものが1993年4月のシェフィールド・ウェンズデイ戦でスティーブ・ブルースが終盤に叩き込んだ2つのヘッドであり、今季序盤に相次いだ終了間際のゴールでの勝利にまでそれが受け継がれてきた。決して偶然ではない。ファーガソン自身の本質がピッチ上に体現されたものだ。

これほどの王国がもう一度作り上げられるかどうかに関しては、あまりにも可能性の低い要素が多すぎる。トロフィーの数や強烈なアイデンティティーだけでなく、オールド・トラフォードにおけるファーガソンの確固たるステータスは、彼を一種の時代に逆行した存在とするほどだった。彼ほどの尊敬を集めている監督は他にほとんどいない。2013年の今日では、ほぼすべての監督たちが、オーナーやテクニカルディレクターとの関係においてこれまで以上に大きな譲歩を受け容れることを期待されるようになっている。監督という仕事の平均的な寿命は、今でははるかに短くなった。ファーガソンの驚異的な長寿は、サッカーそのものに対しての圧倒的な適応性の高さと、昔ながらの頑固な価値観、職業倫理が組み合わされた結果によるものだ。

だからこそ、80年代から2010年代までオールド・トラフォードで指揮を執ってきた英国随一の名将が、来シーズンにはもうタッチライン際を歩く姿を見せなくなるというのはそう簡単には信じられない。だが、あらゆるものがそうであるように、「ファギータイム」ですら永遠には続かないのだ。


文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季は毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley