ベン・メイブリーの英国談義:下位チームが左右する優勝争い

過去のアップセットを振り返る

サンダーランドが4日間のうちにマンチェスター・シティとチェルシーを相手にアウェーで衝撃的な結果を叩き出したことで、リヴァプールはプレミアリーグ創設後初の戴冠へと大きく前進した。レッズが24年前にフットボール・リーグ時代最後となる18度目のタイトルを獲得した頃と比べれば、サッカーはほとんど別物と言っていいくらいに変化してきたが、イングランドのサッカー界では一つ変わらないことがある。下位に沈んでいたチームが、突然のように上位の争いを引っ掻き回す力を発揮することだ。今回は過去20年あまりを振り返り、残留を争うチームが上位チームのタイトルの希望を打ち砕いた有名な3つの例を見てみよう。

1992年4月25日 ウェスト・ハム 1-0 マンチェスター・ユナイテッド

四半世紀にわたってリーグタイトルから遠ざかっていたマンチェスター・ユナイテッド。プレミアリーグ創設前の最後のシーズンが開始された時点で、彼らはちょうど今のリヴァプールのようなものだった。プレシーズンには、まもなくサンフレッチェ広島に改名するマツダSCにも敗戦を喫したユナイテッドだが、グレアム・スーネス率いる宿敵リヴァプールの突然の凋落に助けられ、アレックス・ファーガソンの新生チームが新たな時代の幕開けを迎えることになった。夏に加入したピーター・シュマイケルが圧倒的な存在感を誇りつつ、バックラインからの見事な配球を行う。初めて年間を通してプレーするシーズンとなったライアン・ギグスとアンドレイ・カンチェルスキスは快速ウイングとして相手に脅威をもたらす。1991年の年末を迎えた時点で、ユナイテッドはわずか1敗で首位。2位リーズ・ユナイテッドより2試合を多く残しつつ2ポイントの差をつけていた。

だが、クリスマスを過ぎるとユナイテッドはペースダウン。リーグ戦42試合のうち5試合以上出場した選手がわずか16人という層の薄いチームが、試合による負担の蓄積に苦しみだしたためだ。ヘイゼルの悲劇による出場禁止処分の影響で、欧州で戦っていたイングランドのチームは4チームだけだったが、ユナイテッドはその一つでもあった。ウェンブリーでのチャンピオンズカップ決勝開催が予定され、その後にEURO92も控えている関係でリーグ閉幕が5月2日と早かったこともあり、リーグカップで勝ち進んだファーガソンのチームは7日間で4試合をこなさなければならない状況に置かれてしまう。リーグカップ決勝後の木曜日に行われたサウサンプトン戦ではカンチェルスキスの1点で接戦を制したものの、その2日後にはアウェーでルートン・タウンと引き分け止まり。復活祭の月曜日にはホームにノッティンガム・フォレストを迎え、このシーズンのホーム2敗目 となる敗戦を喫してしまった。

水曜日の試合を迎えた時点では、まだユナイテッドの運命は辛うじて自分たちの手の中にあった。疲労を抱えて乗り込んだアップトン・パークで対戦するのはウェスト・ハム・ユナイテッド。48時間前には同じスタジアムの泥だらけのピッチ上でクリスタル・パレスに痛烈な敗戦を喫し、降格がほぼ確実となっていたチームだった。ユナイテッドはこの過酷な4連戦を通して7人の選手が先発出場を続けており、元気な選手はこの日珍しく7番をつけた18歳のギグスくらいだった 。前半を通して苦しい戦いを強いられたアウェーチームだが、後半にはややエネルギーを発揮。マーク・ヒューズのオーバーヘッドキックでゴールに迫るもルデク・ミクロシュコのセーブに阻まれた。だがこのプレーで得たCKから、ハマーズが速攻を繰り出す。スチュアート・スレイターのクロスをギャリー・パリスターがクリアすると、ボールは駆け上がってきたサイドバックのケニー・ブラウンの足元へ。シュートは完全に狙ったものではなかったかもしれないが、ブラウンはこのボールをどうにかシュマイケルの背後へと送り込んだ。

ファーガソンはこの失点を「想像し得る限り最も幸運なゴール」と呼び、シーズンを通して散々だったウェスト・ハムのこの日のパフォーマンスを「不愉快な奮闘」と表現した。首位の座を奪取し、そのまま昇格2年目での優勝を果たしたリーズにとっては大満足の結果だった。

2003年4月26日 ボルトン・ワンダラーズ 2-2 アーセナル

アーセナル・ヴェンゲルが作り上げた最も素晴らしいチームは1997年から99年にかけてのヴィンテージだったと考える者は多いだろうし、筆者も同じだ。ベテラン勢がディフェンスラインを固め、パトリック・ヴィエラの隣ではまだエマニュエル・プティがプレーしており、前線ではデニス・ベルカンプの輝きを補うかのようにマルク・オフェルマルスとニコラ・アネルカが破壊力抜群の突破を繰り出していた。だが、最も支配的な力を見せた彼のチームはその次の世代。ソル・キャンベル、フレドリック・リュングベリ、ロベール・ピレス、そしてもちろんティエリ・アンリといったハイバリー晩年のレジェンドたちを擁したチームだ。21世紀初頭のガナーズは、トレブル時代のマンチェスター・ユナイテッドの影をついに抜け出し、2001-02シーズンにヴェンゲル政権2度目のダブルを達成。2003-04シーズンは無敗で戦い抜き、ゴールドに輝く特別製のプレミアリーグトロフィーを贈られた。

本来であればこの年のタイトルでリーグ3連覇となっていたはずだった。2度のリーグ優勝の間に挟まれたシーズンに、アーセナルは順調なスタートを切った。アウェーでのリーズ・ユナイテッド戦に4-1の勝利を収めた後、ヴェンゲルは自身のチームを「70年代のアヤックス」にたとえ、「我々は見事なトータルフットボールを実践している」と主張していた。秋にはエヴァートンの16歳FWウェイン・ルーニーに見事なゴールを許したところから一時の不調に陥ったが、クリスマス時期に調子を取り戻すとリーグ戦12試合を無敗で勝ち進み、3月2日の時点で2位に8ポイント差をつけていた。唯一の不安の種は、突然のようにゴールを量産し始めたルート・ファン・ニステルローイの活躍によりマンチェスター・ユナイテッドが白星を重ねていたことだ。ガナーズがブラックバーン・ローバーズやアストン・ヴィラとの難しいアウェーゲームで勝ち点を落とすと、1試合を多く残すユナイテッドは徐々に勝ち点差を縮めてきた。

4月の最終週を迎える時点で、ユナイテッドはアーセナルを3ポイント上回っていたが、逆にアーセナルは1試合を多く残しつつ得失点差で上回り、残りのカードもユナイテッドより楽なはずだった。残り4試合の中で最大の難所となりそうだったのは、土曜日のランチタイムに行われたその最初の試合。サム・アラダイスに率いられ、生き残りを懸けて必死の戦いをしていた17位ボルトン・ワンダラーズとのアウェーゲームだった。緊張感張り詰めた前半には劣勢を強いられたアーセナルだが、47分にはピレスとのワンツーで左サイドに抜け出したアンリが折り返し、シルヴァン・ヴィルトールが押し込んで先制点。直後にはピレスが20ヤードからのシュートで2点目を奪い、今回も楽な展開になり始めたかに見えた。

簡単だと思い過ぎたのかもしれない。ボルトンのCKに対してマークが甘くなったアーセナルは、ペア・フランセンにシュートを打つスペースを与えてしまい、ポストに当たったこぼれ球をユーリ・ジョルカエフが押し込む。突然のように混乱に陥ったアーセナルは終了6分前にもセットプレーを与え、ジョルカエフの曲げたFKにマーティン・キーオンが頭で触れたが、コースの変わったボールはデイビッド・シーマンを破るオウンゴールとなる。予想外の2-2のドローに意気消沈したガナーズは、翌週末のホームでのリーズ戦に敗れて王冠を明け渡すことになってしまった。

2012年4月11日 ウィガン 1-0 マンチェスター・ユナイテッド

リーグ最終節、そして最後の1分が持つ驚異的な性質が、マンチェスター・シティのプレミアリーグ制覇を歴史上最も劇的な展開の一つとすることになった。だがその一方で、2011-12シーズンには37試合(プラス90分あまり)を通して終始魅力的なタイトルレースが繰り広げられてきたことは忘れられがちになってしまったかもしれない。ロベルト・マンチーニのチームはスタートダッシュに成功し、最初の12試合で実に42ゴールを記録。1試合に引き分けた以外は11勝を記録していた。お隣のマンチェスター・ユナイテッドはオールド・トラフォードで1-6という大敗を喫し、勝ち点差を5ポイントに抑えるのがやっとだった。

だが、サー・アレックス・ファーガソンの時代にはよくあったことだが、ユナイテッドは新たな挑戦に立ち向かう力を発揮。年明け以降に圧倒的な強さを見せ、勝ち点36のうち34を獲得するというシティの開幕からのペースを再現してみせた。スタンフォード・ブリッジで3点差から追いついた3-3のドローだけが唯一の躓きだった。一方で騒々しい隣人は拡声器をどこかに忘れてきたようで、5試合で勝ち点5の獲得にとどまる。3月11日にはスウォンジー・シティ、4月8日にはアーセナルとのアウェーゲームに0-1で敗れてしまった。悪夢のような(あるいは視点によっては夢のような)1カ月を経て、マンチェスターダービーを残しているとはいえ、ユナイテッドは残りわずか6試合で8ポイントもの差を開いていた。

一見したところでは、ウィガン・アスレチックとのアウェーゲームは、ユナイテッドのラストスパートの幕を開ける試合としてはさほど難しいものには思えなかった。2005年12月の初対戦以来ユナイテッドはウィガンに14戦全勝し、そのちょうど半分で4点か5点の差をつけて大勝していた。ラティックスは32試合で勝ち点28の獲得にとどまり、下から2番目の順位に位置していたチームだった。だが、もう少しよく見れば、ロベルト・マルティネスはこのチームにある種の変化を起こしている過程にあったことが分かる。2月半ばから安定感とリズムを取り戻したウィガンは、敗戦を引き分けに、引き分けを勝利に変えることができていた。3-4-3へのシステム変更がその変化の背景にあった。

イングランドのサッカー界から事実上消滅していた3バックを相手に、ユナイテッドは過去一度も対戦したことがないかのような戦いぶりを見せた。前半はウィガンがポゼッションを支配し、より多くのチャンスを生み出していた。ビクター・モーゼスのヘディングがギャリー・コールドウェルのファウルという判定で無効にされたことには怒りを露わにしたが、このノーゴールもさほど問題にはならなかった。50分にショートコーナーからのボールをジャン・ボセジュールと交換したショーン・マロニーが中央へ切り込むと、完璧な回転をかけたシュートをダビド・デ・ヘアのファーポストへと蹴り込む。その後は一人多いCBで首位チームを苦しめ、ファーギーお得意の反撃もまったく可能性を感じさせないほどだった。

結局ウィガンは、シーズン途中の戦術改革以降のラスト14試合で勝ち点27を獲得。ユナイテッドは勢いを殺され、ダービーに敗れ、タイトルも失ってしまった。デイビッド・モイーズ率いるエヴァートンとの4-4のドローがターニングポイントになったと見る者が多いが、シーズン終盤のドラマの本当の遠因は別の監督の頭脳によって引き起こされたものだった。


文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季も毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley