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日本で長年の指導歴を持つトム・バイヤー氏

1990年代後半に、私は日本の各地方を回って幅広くサッカークリニックを開催し、多くの会場で何千人、何万人もの子供たちに会ってきた。

だがその中でも、本来であれば覚えているべきだったはずなのに、この記事を書いている今の時点でもすっかり記憶から抜け落ちている、ある時のクリニックでの出来事がある。一度のイベントの意味や、子供たちの中の一人に及ぼし得るインパクトがいかに大きいかということを、何年も後に知って大いに驚かされることになった。

背景を説明すると、毎回平均250人ほどの子供たちが参加する私のクリニックでは、特に12歳以下の子供たちに技術を教えることに重点を置いている。「1人にボール1つ」を基本概念として、選手たちが意味のある動き、特定の意図のある動きを練習できるようにし、ボール扱いの重要性を学ぶことができるようにしている。そうして育まれた、技術と自身を持った選手たちは、ボールをシンプルに動かせることでさらなる楽しみを感じられるようにもなる。

今回話題とする神戸も、長年にわたって数多くのクリニックを開催してきた場所だった。私があるスキルや動きを見せ、子供たちには新しく覚えたばかりのスキルを練習する時間を与える。多くの子供たちは、早く練習がしたくてたまらない様子だ。自分の足元にボールがあり、自由に扱える状態であれば、その時こそまさにサッカーの楽しみを感じることができるからだ。

だが一般的に日本の子供たちはとてもシャイで、なかなか進んで手を挙げたりしようとはしない。何百人も他の子供たちがいる前で、からかわれたり笑われたりするのを恐れるためだ。



私のイベントの中では、いくつかのテーマごとの部門を設けて、細分化した個別のセクションごとに複数の子供たちが様々なスキルを練習するような形を取ることがある。

ある時のクリニックで、ボール扱いや相手選手を抜く動き、方向転換やストップ&ゴーといった練習したばかりの動きを見本として見せてくれる選手を募ったことがあった。一人の選手が手を挙げて立ち上がり、名乗り出てくれた。私はもちろんすぐにその子を選んで、プレーを見せてくれるように言った。

見ているうちに、この子がその日の神戸のクリニックに参加した数百人の中で最も頑張っている子だと私は判断した。私はその時彼のボールにサインをして、参加者たちの前に立たせ、彼の努力と技術の高さ、それに熱意をたたえたということらしい。

その日私に強い印象を残したらしい11歳の少年が、他ならぬ香川真司だったと聞かされたのは10年を経てからのことだった。今ではマンチェスター・ユナイテッドでプレーしているその選手だ。

私は長年にわたってアディダス社との協力を続けてきた。そしてまた、シンジも同社の契約選手だ。アディダスのスタッフの一人である橋倉氏が、彼に合わせた新たなシューズ作りのためにドイツを訪れた時、私の名前を出し、知っているかどうかとシンジに尋ねたとのことだ。

シンジはその時に上記のクリニックの話をして、橋倉氏にこう頼んだらしい。「日本に戻ったら、トムさんに僕のことを覚えているかどうか聞いてくれますか?」と。

驚くべきことに、私は覚えていなかった。それがこのコラムのポイントにつながる部分でもある。

香川真司が私のイベントに参加した子供たちの中で飛び抜けた存在であり、その後国際レベルのトッププレーヤーになったのが事実だとしても、長年にわたって開催してきたイベントの中では、シンジと同じように素晴らしい才能を見せた子供たちは他にも大勢いたということだ。残念ながら、具体的に何人という数字を出すのは難しい。あまりにも多すぎるからだ。

結論として、私が日本で過去20年間にわたって指導をし、2千回以上のクリニックで50万人以上の選手たちに接してきて気が付いたのは、トップクラスと下位クラスの差が大幅に縮まったということだ。そのことを通して、特に才能ある選手たちを伸ばすための最高の方法は、最も下手な選手たちを底上げすることだとも学んだ。それを成し遂げてきたことこそが、日本で現在起こっているパラダイムシフトの要因だ。


文/トム・バイヤー
“トムさん”の愛称でおなじみのU-12 サッカーコーチ。すでに20年近く日本やアジア各国で指導者として活躍し、これまでに延べ50万人以上 を指導した実績を持つ。2008年からは自らが日本に紹介し、15年に渡り普及に努めた「クー バーコーチング」を離れ、独立。(株)T3を設立し、さらに精力的にサッカー指導と、啓蒙活動に打ち込んでいる。ウェブサイトはtomsan.com