「批判するのが本物」というサッカー文化はもう終わりにしよう/コラム

日本では見事に勝利を収めた試合ですら否定的な意見がついて回ることが少なくない。「コンディション」、「格下過ぎた」などその時々で様々な理由が挙げられるが、本当に正しい批評は行われているのだろうか。今一度考え直す必要がある。

国内の親善試合で大勝を収めた時、日本では決まって「相手のコンディションが良くなかった」「気迫が感じられなかった」「格下過ぎた」といった類の議論が起こる。日本代表がいいプレーをした、という側面ではなく、そもそも相手が戦う土俵に上がっていなかった、という声が先行してしまう。

確かに遠く極東の地にやってくる対戦国の負担は決して小さくない。それは、欧州でプレーする海外組が、インターナショナルマッチウィーク明けに疲労を考慮されて出場が見送られるケースが多いことでも明らかだ。今回のオマーンにしても、ファン・ラモン・ロペス・カロ監督が「通常とは異なるトレーニングを行ってきました。普段と同じような取り組みはできませんでした」と認める通り、決して万全の状態ではなかったことは事実だ。

もっとも、だからといって日本代表が何も収穫を得られなかったかのような見方をするのはフェアではないだろう。

岡崎慎司はオマーン戦で得たポジティブな要素が少なくないと主張する。

「予選は別物と言っても、いい練習やテストになったと思う。サコ(大迫勇也)は点を取っていい状態で(次の)試合にいける。やっぱり点を取るのは大事。(小林)祐希にしても、点を取って勢いはつくだろうし。キヨ(清武弘嗣)にしてもPKを取って、勢いがつくと思う」

主将の長谷部誠もまた「課題はある」と前置きした上で「新しい選手、久しぶりに出る選手も結果を出したので、それはすごくポジティブに捉えていい」と胸を張る。

もし今回の大勝で浮足立つことがあれば問題であるが、経験豊富な選手たちがそんな千鳥足になってワールドカップ予選へ向けて歩んでいくはずはない。指揮官が行ったテストの対象になった選手たちにしても「最後の決め切る場所は課題」(齋藤学)、「(この試合の出来は)50点くらい」(丸山祐市)と、チームや自身の問題点を振り返り、次につなげようとしている。

何よりヴァイッド・ハリルホジッチ監督は決して慢心していない。会見でしきりに「満足していない」や「特にテクニカルな面でミスがたくさんあった」と指摘し、選手たちに反省を促していた。さらに「これからしっかりと各選手を分析して、誰をサウジ戦で起用するか、考えないといけません」と自らにタスクを課している。

話を試合前に戻すと、オマーン戦のテーマは「サウジアラビア戦へ向けた調整」と「新戦力のテスト」である。この2つの目的を(人によって大なり小なりあるにせよ)ある程度達成できたことは明らかではないだろうか? 仮に「対戦相手が適切ではなかった」という意見があったとしても、その矛先は日本代表に向けられるべきではない。

不思議なほど“解任説”が騒がれるハリル監督と、何かと不安が騒がれる日本代表であるが、行った仕事は正当に評価されるべきだ。

基本的に批判には「良くなってほしい」という愛が含まれている。サポーターが選手やクラブにブーイングをするのが、まさにその代表格だろう。もっとも、時として盲目になり、批判することが目的になってしまうケースがある。批判を目的とした批判になってしまうことがある。いつしか「批判するのが本物」という観念にとらわれてしまうことがある。

だからこそ、改めてオマーン戦の目的を振り返った方がいい。

繰り返しになるがオマーン戦のテーマは「サウジアラビア戦へ向けた調整」と「新戦力のテスト」である。大迫が2得点を挙げ、小林が代表初ゴールを決めた。セビージャで不遇の時間を過ごしている清武弘嗣は3ゴールに絡み、攻撃のタクトを振るえることを証明した。指揮官は満足していないながらも「多くの情報が得られた」と手応えを感じている。

この試合でできることはやった――。そう判断するのに十分な要素が、ピッチ上にはあったのではないだろうか。

文=松岡宗一郎