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長期政権を可能とする業務形態

「サッカーの監督」には3つのタイプがいる。といっても、監督たち個人の性格のタイプの話ではないし、指導技術の話でもない。彼らに課された業務内容の話である。おそらくもう少し分かりやすくするなら、サッカークラブには3つのタイプがあり、誰が「本当に」クラブを率いているかによって区別されると言うべきだろう。長期的戦略に最大の責任を持つ実力者がどういう立場を取っているかが、普段監督の椅子に座っている者の役割と平均余命に大きな影響を与えることになる。

一つ目の類型は、いわゆる「成金」だ。巨大資金の注入によって、歴史的な立場と関係なく、突然のように最前線に飛び出したようなクラブである。ここでは、最も重要な人物はオーナー(あるいはその代理の者)となる。それがチェルシーのロマン・アブラモビッチやマンチェスター・シティのシェイク・マンスールのような個人であれ、パリ・サンジェルマンのカタール投資庁のような法人であれ同じことだ。このモデルはおそらく最も新しいものであり、ブラックバーン・ローバーズにおける鉄鋼王のジャック・ウォーカーや、以前のPSGにおけるカナル・プリュスといった初期の企業家たちが想像し得たレベルとは桁違いの域にまで達している。

一般的には、他クラブのファンや中立の第三者からは最も支持を得にくいタイプでもある。それでも、3タイプの中で最も理解は容易なものだ。ポンドで9桁や10桁におよぶ持続的な投資から期待される産物は、長期的な成功である。監督には、すぐにトロフィーを手に入れられるように、ワールドクラスの戦力が提供される。だが失敗した場合にはすぐさま使い捨てにされてしまう。アントワーヌ・コンブアレやロベルト・マンチーニ、ルイス・フェリペ・スコラーリ、カルロ・アンチェロッティ、アンドレ・ビラス=ボアス、ロベルト・ディ・マッテオ、さらにはジョゼ・モウリーニョでさえよく知っているはずだ。マヌエル・ペジェグリーニが今季キャピタル・ワン・カップに続くタイトルを獲得できなかったとすれば、その後の彼の状況の進展を見極めるためハゲタカが周囲を飛び回ることになるだろう。

二つ目はハイブリッド的な、イングランドではしばしば「大陸的」と言われるモデルだ。これはその先進性に敬意を評しての呼び名でもあるし、自分たちの島の外の、派手好みの欧州のどこかで生み出されたあらゆるものに向けて必ず持つ懐疑的視点を示唆するものでもある。このモデルの場合、実際に指揮を振るうのはテクニカルディレクター。移籍市場での方針を監督するとともに、トップチームからユースアカデミーにまで浸透する長期的なプレー戦略を考案してくれるようなら理想的だ。この環境の中では、監督の職はもう少し安泰なものとなるはずだが、もしその監督が成績不振や新たな挑戦のため去ることになったとしても、テクニカルディレクターは根底にあるビジョンを曲げることなく適切な後任を任命することが可能となる。

「はず」だと書いたのは、このモデルがプレミアリーグにおいて適切に、あるいは万全の確信を持って導入されたケースがほとんどないからだ。そうなる理由はほとんどの場合、テクニカルディレクターの方が後からクラブに加わり、現職の監督の力を弱めつつその上に置かれてしまうからだ。テクニカルディレクターが自分と一緒に仕事をできる監督を任命するという、原則そのものを無謀にもひっくり返してしまうということだ。デニス・ワイズを首脳陣に加えたニューカッスル・ユナイテッドが、ケビン・キーガン監督の辞任を招いてしまった茶番めいた状況もその一つだ。キーガンはわずか8年前には、イングランド代表でチェルシー元主将のデニスを指揮していたのだから。ポーツマスではハリー・レドナップがフットボールディレクターとして圧倒的な存在を持ったあまり、グレアム・リックスから監督の座を奪うまでとなった。だが、この分野で熟達した存在といえばやはりアブラム・グラントだ。チェルシーでもポーツマスでもディレクターとして監督をサポートするあまり、彼はそれぞれのチームで2カ月あまりのうちにモウリーニョとポール・ハートから監督を引き継ぐことになった。

トッテナム・ホットスパーも順番を違えたのは同じだが、少なくとももう少し賢くやってみせた。監督を務めていたアンドレ・ビラス=ボアスからの推薦もあって、ローマからフランコ・バルディーニを連れて来たときのことだ。だが、報道によればAVBはガレス・ベイルを放出して得た資金をジョアン・モウティーニョ、フッキ、ダビド・ビジャの獲得に使いたかったようだが、バルディーニはさらに4人を加えつつ7人のまったく別の選手たちとサインを交わした。当初は悪くないビジネスに見えたものだが、結局新顔が誰一人として完全には馴染めないまま、12月にはビラス=ボアスが解任されてしまった。ティム・シャーウッドは、アカデミー監督から昇格を果たすとすぐさま以前とは異なるプレースタイルを導入し、本来であればこのタイプの管理構造に内包されているはずの一貫した哲学が欠如していることをさらけ出した。最近の噂話では、スパーズはルイス・ファン・ハールの招へいを望んでいると言われるが、バルディーニであれ他の者であれクラブにテクニカルディレクターがいる限りは、ファン・ハールが誘いに応えることはないだろう。

より大きな成功は、複数の手法を重ね合わせる形から生まれている。スウォンジー・シティはフットボールディレクターを置きはしなかったが、クラブの首脳陣レベルでビジョンが存在していたため、ケニー・ジャケットからミカエル・ラウドルップまでの4度の監督交代をスムーズに乗り切り、その間を通してプレー哲学を明らかに着実な形で発展させてきた。リヴァプールでは、2010年から12年まで在任したダミアン・コモリが残念な結果に終わって以来新たなフットボールディレクターを招き入れてはいないが、現在ではブレンダン・ロジャース監督を含む4名からなる「移籍委員会」が設置されている。フィリップ・コウチーニョやダニエル・スタリッジの補強を成功させたのはこの新体制によるものだ。だが、昨年の夏に守備戦力の再編成の試みが失敗に終わったことを考えれば、ロジャースがより強い自主性を求めたとしても理解できるかもしれない。

そうなれば彼とリヴァプールは、三つ目となる最後の類型を採ることになる。最も保守的ではあるが、流行遅れとなりながらも、英国サッカー界においては今でも間違いなく最も慣れ親しまれているモデルだ。おそらくは年長の監督たちが最も望んでいるモデルでもあるだろう(QPRオーナー陣に対するレドナップ、あるいはファン・ハールがトッテナムに来た場合のことを考えてみるといい)。アーセナルとマンチェスター・ユナイテッドが守り続けてきたスタイルであり、監督にとってはあらゆる形の中で最もその仕事を安泰にさせてくれるものだ。単純に言えば、このタイプでの監督は単にトップチームを指導するだけではない。クラブの全体におよぶ長期的案件に対して最高指導権を行使するのがその監督だということになる。選手獲得から健康管理、テクノロジー導入からピッチ状態に至るまで、基本的にサッカーに関わるあらゆる側面がそこに含まれている。「クラブにおいて最も重要な人物は監督だ。それは常に不可侵の事実でなければならない」とサー・アレックス・ファーガソンが言っていたように。

もちろん、その道程の中で職務が他者に委任されることもあるだろう。だがそれでも、アーセン・ヴェンゲルが「独裁者」と呼ばれるのも珍しいことではないし、結局のところは監督が絶大な力を持つものだ。このモデルにおける監督は、先に紹介した二つのタイプ以上に大きな、より広い範囲を包含するような仕事となる。指揮系統の階層の最も高い位置だ。この業務形態こそが、ファーガソンが1500試合にわたって指揮を執り続けることができた理由であり、ヴェンゲルも1000試合を越えてその先へ進もうとしている。同時に、監督の仕事がこの形で定義されていなければ、ヴェンゲルが9年間近くにわたって自らの得意分野を極め続けるのも不可能だっただろう。一部で残酷にも指摘されていたように、「失敗」という得意分野だ。マンチェスター・ユナイテッドにとってプレミアリーグで最悪のものとなるシーズンを終えた後でも、デイビッド・モイーズがまだ未来へのプランをクラブに提示し、続投についての決断をディレクターたちに委ねることができるのも、このモデルでしかあり得ないことだ。

良くも悪くも、伝統的な英国モデルを守り続けるクラブは、監督を信頼する責任を負わねばならない。だがそれ以上に、監督の責任の広範さやクラブ内における存在の大きさ、そのために監督がクラブ全体の戦略を担っていることを考えれば、監督交代ははるかに困難な決断となる。


文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季も毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley

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