thumbnail こんにちは,

契約を延長したユナイテッドの10番

ついに初の同時先発を果たしたフアン・マタとアドナン・ヤヌザイが左サイドで連係すると、クリスタル・パレスの4バックはアーリークロスを予想してゴールエリアのライン付近までラインを下げた。だがチャンスを見極めたウェイン・ルーニーは前進する動きを緩めつつ、ボールをはっきりと視界に捉え続けていた。だからこそパトリス・エブラからボールが折り返されたとき、ナンバー10はペナルティーエリアに入ってすぐの場所で10ヤードほど空いたスペースの中にいることができていた。ワンバウンド。わずかに体を後ろに傾けて肩をひねり、ズドン! ルーニーは本来の仕事に戻ってきた。

文字通り、ビジネス再開だ。ゴールを決めて喜色満面のルーニーがチームメートやサポーターからの称賛を受け止める姿を見ていると、2010年11月のあのアイブロックスの夜へと一瞬時間が巻き戻されたように感じられた。契約問題の紛糾を解消し、負傷から回復したルーニーが復帰後初めてマンチェスター・ユナイテッドの先発に名を連ねた試合だ。レンジャーズとの試合を1-0で決着させ、同時にチャンピオンズリーグの決勝トーナメント進出を決めたのは、彼が最大限の自信を込めて放った87分のPKだった。得意気にゴールを祝ったルーニーの姿は、先週土曜日のセルハースト・パークの場合と同じく、それ以前に起こったことはもう忘れてしまうべきだと言いたげな様子だった。

ルーニーとの新たな契約は、一見したところではユナイテッドにとって悲痛なまでにぜいたくな条件に見えるかもしれない。28歳のルーニーに支払われる基本給は週24万ポンド。さらに今回に限っては、ユナイテッドが持つ商業面での訴求力を、選手個人の価値を高めるために用いることも合意された。これにより彼の週給の合計は、『ガーディアン』のダニエル・テイラー氏によれば、広く報じられた30万ポンドという数字さえさらに上回るとのことだ。

3年半前にはルーニーは退団の意思を公言し、マンチェスター・シティに浮気をした末に、結局180度の方向転換をして同じ週のうちに新たな契約へのサインを行った。彼の市場価値はまさにその時点でピークに達していたはずだ。当時25歳だった彼は、クリスティアーノ・ロナウドがスペインへと去った直後の2009-10シーズンの活躍により、ロナウドとリオネル・メッシが占める最上位の階層に迫る位置まで上り詰めていた。この年の3月末までに34ゴールを記録したルーニーだが、バイエルン・ミュンヘン戦で足首を負傷。その結果ユナイテッドはリーグ4連覇を逃してしまったし、チャンピオンズリーグでもこの負傷がなければ優勝できていたかもしれない。ロナウドが去った当初はルーニーがその穴をきわめて効果的に埋めることができていたので、むしろロナウドがまだチームにいた頃にルーニーが務めていた補完的な仕事の代役を見つけることがチームにとって最大の難問となったほどだった。

それほどまでに絶賛される立場にあった当時のルーニーと、過去18カ月間の彼とを比べてみればどうだろう。ルーニーはオールド・トラフォードに来て以来最も困難な時期を過ごしてきた。昨季はロビン・ファン・ペルシがチームのスーパースターとなったことで、ルーニーは明らかに替えのきく存在になったと感じられることもあった。だが2019年夏までの巨額の契約を結んだことは、ルーニーにはもう一度復活する力があると驚異的なまでに強く信頼されたことを意味している。ポール・スコールズやライアン・ギグスのように30代半ばまで自分の体が持つとは予想できない、とかつて話していたルーニーだが、新契約の満了時には34歳間近となる。30歳を過ぎた選手には1年契約しか提示しないという以前までの方針は、アーセナルからファン・ペルシを獲得する際にも例外的に免除されたが、今となってはもうはるか昔の記憶のように感じられる。

広報部長のフィル・タウンゼントが後に明言したように、ルーニーを残留させることはクラブにとって昨年夏の移籍市場での最優先の目標だった。彼がユナイテッドに残ったまま8月から9月へと時間が移った瞬間から、交渉のパワーバランスは、ルーニーとその代理人ポール・ストレットフォードの側へとさらに有利に傾いた。チームの中心選手の一人との間に残る最後の懸案を未解決のまま後任へと引き継いだのは、サー・アレックス・ファーガソンのちょっとした怠慢だった。デイビッド・モイーズはこの点で良い仕事をやってのけたが、秋から冬にかけてピッチ上で低調な結果が出るたびに、ユナイテッド側の「需要」はさらに大きく膨らんでいった。チェルシーはルーニーの前回の契約が満了する2015年までは待ちきれなかったかもしれないし、パリ・サンジェルマンからの関心という憶測もおそらくは現実にはならなかっただろう。それでもストレットフォードは、ユナイテッドにそういったリスクを見逃す余裕はなさそうだと分かっていた。

『デイリー・テレグラフ』は、ルーニーが自身の新たな契約について述べた言葉を伝えている。「このクラブが進もうとしている方向は分かっている。今シーズン成し遂げられなかったとしても、僕らはもう一度強くなって戻ってきて、来季はチャンピオンズリーグ出場権を手に入れるだろう。今年もまだチャンスがあるということは忘れるべきじゃないよ。ほかのチームも良い戦いをしているけど、僕らも強いチームだ。良い形でシーズンを終えられたとしたら、どうなるか分からないだろう? ユナイテッドが世界のベストプレーヤーを連れて来るのは難しいかもしれないと言う人たちもいたけど、フアン・マタがここに来たという事実を見れば、それが間違っていたことが分かると思う」

演出された、営業用トークであることはもちろんだ。だが、ユナイテッドがまさに必要としていた言葉でもある。2009-10シーズンに、あるいは10代であったEURO2004(この大会も、彼の負傷が優勝への可能性を閉ざした大会だった)の頃に感じさせた期待に、今でもまだ彼は応えることができるのだろうか? その疑問への答えがどうであれ、好調な状態のルーニーが落ち着いた状況でプレーできるのであれば、価値ある資産であることに変わりはない。今後の数シーズンでチームを再びリーグ上位に引き上げる能力を持った選手という意味でも、チャンピオンズリーグとファーガソン無しでもオールド・トラフォードに世界の有力選手とサポーターを引きつけるために必要なチームの顔という意味でもある。たとえマタが加入したとしても、ルーニーの引き留めに失敗していれば、クラブのイメージは深刻な痛手を被っていたことだろう。ガリー・ネビルも指摘していたように、ルーニーという魅力を失った状態で同じクオリティーの代役を連れて来るためには、移籍金と給料を合計してさらなる高額の出費が必要になっていたことは間違いないはずだ。

サポーターはそのことを理解している。だからこそ彼らは、退団の脅しが今回も幻に終わることを望んで、基本的にはいつもルーニーの名前を歌い続けてきた。彼らのリアリズムは、ビジネスはあくまでビジネスだという認識を反映したものだ。彼らの愛するチームのためにはルーニーがハッピーなままここにいてくれた方が良いし、本人も他クラブからの誘いに応じた場合以上の富と長期的な安定を享受することができる。Win-Winの関係である。

だがこういった実利主義的なアプローチは、感情からの分離を必要としている。だからこそ、たとえルーニーがあと41ゴールを記録し、ユナイテッドの歴代最多得点記録である250ゴールを更新したとしても、彼は決して本当の意味でのクラブのレジェンドだと見なされることはないだろう。サッカーを見る者たちの心の中では、歴史は感情によって形作られるものであり、数字はもちろんタイトルでさえも二の次だ。だからこそ82年のブラジル代表は94年以上に人々の心に残っている。サッカー界におけるシニカルな協調主義が、ゴールを決める選手とそれを祝うファンとの関係にまで拡張されるのは悲しいことではある。だが契約をめぐる衝突があまりに多すぎるようでは、彼が赤いユニフォームを着て過ごす日々を終えたとき、彼のことを思い出すファンが抱く感情はサー・ボビー・チャールトンやエリック・カントナ、さらにはロナウドに対する心からの称賛とはおそらく異なったものになりそうだ。ルーニーをいつも導いてきたのはストレットフォードであり、ストレットフォード・エンド(オールド・トラフォードの観客席名称)ではなかったのだから。


文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季も毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley

関連