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最下位チームの自家製メリーゴーランド

土曜日の日本時間午前4時頃、世界新記録を叩き出したショートプログラムでの驚異的なスコアに続いて、フリーでも見事な滑りを見せた羽生結弦が自身初参加のオリンピックで男子フィギュアスケートの金メダルを獲得した。この結果日本は、ソチ大会のメダルランキングでイギリスを上回ることになった。過去に冬季五輪を2度開催したこともある日本に比べ、英国にはスキーで滑り降りるような山はほんのわずかしかない。私の国のように低標高な国の秘訣は、もちろん、雪の多い国が見落としているような種目を見つけることにある。少ない予算のすべてをそこにつぎ込み、他のスポーツの選手たちを鍛え直して差を縮めることだ。英国の場合はスケルトンがそれにあたる。(とはいえ、洪水の影響で今も水浸しになっている私の故郷のサマーセットにこれから寒波が訪れるようなら、オランダのお家芸であるスピードスケートに挑戦したり、カーリングを国技にできるチャンスもあるかもしれない)

幸いなことに、ランキングが下がったことにひどく落胆したイギリス人がいたとしても、同時刻にウエスト・ロンドンから入ってきたサッカー界の速報ニュースがそれを打ち消してくれた。金曜夜のグリニッジ標準時7時頃、プレミアリーグの残り12試合で最下位からの脱出を目指したいフラムが、フェリックス・マガトを新監督に任命したことを突然のように発表して誰もが度肝を抜かれた。さらに驚きだったのは、レネ・ミューレンスティーンが監督の座を追われたわけでもないという事実が明らかになったことだ。そもそも彼には監督の座が与えられていなかったというのだから。

実際のところ、クラブの公式なプレスリリースでは、ミューレンスティーンに関してはついでのように触れることすらしてくれなかった。単にマガトのブンデスリーガでの経歴を称えてクレイブン・コテージ到着を歓迎し、「フェリックス・マガトのような経験豊富な監督を迎え入れるチャンスがあるというのは、シーズンのこの時期には普通ならほぼあり得ないことだ」とアリステア・マッキントッシュCEOの上機嫌な声明が述べられただけだった。ミューレンスティーンに関して初めて情報が出てきたのは、その後5分も経たないうちに放送された『BBCラジオ5ライブ』の中でのことだったが、なんと本人の口からの言葉だった。だが彼自身もいったい何が起こっているのか説明に窮していた。

「私は何も聞いていないよ」とミューレンスティーン。「オーナーたちがフラムの降格を恐れて、パニックに陥っていたことは分かっていた。とはいえ、そんな様子は10試合前の時点でも同じだったが…。恐怖にかられて非常ボタンを押してしまったようだ。でもまあ、サッカーではこんなこともある。いつもフェアなことばかりではないよ」

どれだけアンフェアなことが起こり得るのか、ミューレンスティーンは今まさに身を持って体験しているところかもしれない。マルティン・ヨルが監督を務めていた昨年11月13日に「ヘッドコーチ」として雇われた彼は、12月1日にヨルが辞任したことで、すぐに「トップチームの指揮」を任されることになった。マンチェスター・ユナイテッドの元コーチである彼は、この動きについて「最初から驚きだったよ。マルティン・ヨルが去るとしても、予定されていたことではなかったからね」と語る。だが実際には、クレイブン・コテージにおける彼の役職名が変わったわけではなかった。つまり名目上は、マガトがやって来るまでは「マネジャー」の席は空いたままになっていたということだ。これを非情なまでに文字通りに捉えたマッキントッシュとその取り巻きは、ミューレンスティーンは解任されたわけではなく単に「配置転換」されただけであり、クラブに雇われたままだと主張した。ミューレンスティーンにとっては明らかに受け入れがたい状況であり、クラブ側からの解雇であると訴えることは十分に可能だろう。だが、通常の監督解任時に支払われるような補償金の全額を彼が受け取ることができるかどうかはまったく別問題だ。

フラムは「監督交代のメリーゴーランド」を自クラブの中だけで起こしていたが、今回の失態はさらなる巧妙な新展開となった。ミューレンスティーン本人は、自分がヨルの後任として準備されたとは考えていなかったのかもしれないが、周囲の大半はそうだと見なしていた。元トッテナム・ホットスパー監督のヨルは愛すべき人物ではあるが、その呑気な性格を反映した選手をチームに加えすぎてしまったことで、立場が弱くなってしまっていたからだ。12月のヨル辞任後には、経験豊富なアラン・カービシュリーがテクニカルディレクターとしてフラム入り。さらに、1997-98シーズンに当時3部のフラムで監督を務めたことのあるレイ・ウィルキンスもミューレンスティーンのアシスタントに雇われた。クラブとの繋がりが生まれた彼らが新監督候補となるのに時間はかからず、実際マッキントシュは、特にカービシュリーが将来的にどこかの時点でチームを引き継ぐ可能性について認めていた。そういった状況で、マガトの就任が発表されたのは少なからず唐突に感じられた。しかも、新たなテクニカルディレクターに相談すらする前に決められたことだった。

タイミングも厄介だった。ヨルに関してもそうだが、12月初旬というのはシーズン中に指揮官を替えるのに最も適切な時期である。新監督は引き継いだチームを時間をかけて見極めた上で、投資できる金額がいかほどであれ、1月の移籍市場でのチーム改造に臨むことができるからだ。フラムは急速な改造を行い、トップチームの選手4人がチームを去り、新たに7人の新顔が加えられた。そのうちラーネル・コールとライアン・タニクリフの2人は、オールド・トラフォードでミューレンスティーンの指導を受けて育ってきた選手たちだった。彼の残した成績は13試合で勝ち点10と振るわず、ヨルが開幕からの3カ月半で残したものと変わりはしなかった。だがユナイテッド戦とリヴァプール戦で希望の持てる戦いを見せた「彼の」チームの今後を見続けるのが不可能になったことや、大型補強のコンスタンティノス・ミトログルをまったく試合で起用できなかったことは「ヘッドコーチ」の胸に後悔として残るはずだ。

マガトを選んだことを批判しようというわけではない。厳しい練習に定評のある監督だが、過去には「火消し」として記録を残してきた。20世紀末にかけて、それぞれ比較的短い就任帰還の中で、彼はニュルンベルク、ヴェルダー・ブレーメン、アイントラハト・フランクフルトを降格回避に導いた。その後は2001年2月に下から2番目の順位に位置していたシュトゥットガルトを、2002-03シーズンには2位へと浮上させている。そういう意味では、先週木曜日にマガトとハンブルガーSVの交渉が決裂したことで生まれた今回の状況は、いかに厄介事を伴おうとも、フラムにとって単純に見逃すには惜しすぎるチャンスということだったのだろう。イングランドでも過去と同様の苦境脱出を試みるマガトにとっては、2008-09シーズンにヴォルフスブルクでタイトルを獲得した際のレギュラーの2人、サシャ・リーターとアシュカン・デジャガがフラムにいるのは心強い助けとなりそうだ。

ミューレンスティーンはと言えば、昨年夏にアンジ・マハチカラを率いた16日間に続いて、フラムでの指揮も75日間で終了。彼の指導者としての経歴の中で最大の仕事は、依然としてブロンビーを率いた波乱の6カ月間ということになる。そこで最も人々の記憶に残っているのは、彼が選手に対して、自分たちをトラやキリンだと想像してプレーしろと要求したことだ。それでも、マンチェスターでの彼の人気はいまだに高い。デンマークから戻ってきて大きな成功を収めた彼の指導力は、クリスティアーノ・ロナウドやロビン・ファン・ペルシらのスター選手から最高のプレーを引き出したことで高く評価されている。デイビッド・モイーズが彼を北へ呼び戻してもう一度助けを乞うのであれば、それが誰にとっても一番の選択かもしれない。


文/ベン・メイブリー(Ben Mabley)
英・オックスフォード卒、大阪在住の翻訳者・ライター。『The Blizzard』などサッカー関係のメディアに携わる。今季も毎週火曜日午後10時よりJスポーツ2『Foot!』にてプレミアリーグの試合の分析を行う。ツイッターアカウントは@BenMabley

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