11月3日のナビスコカップ決勝は、素晴らしい好天に恵まれた。だが、そのカップウィナーを決める大一番は、ピッチ内のプレーよりもピッチ外での出来事が大きな注目を集めることになってしまった。
問題となったのは、同決勝の表彰式で、試合に敗れた川崎フロンターレの選手たちが取った態度だった。準優勝のメダルをすぐに外したり、ガムをかんでいたり、座り込んだり、来賓と握手をしなかったり。スポーツマンにふさわしい態度ではなかったとして、Jリーグの鬼武健二チェアマンは「準優勝の賞金を返せと言いたいくらい」と語り、川淵三郎・日本サッカー協会名誉会長は「ワーストルーザー」と酷評、同協会の犬飼基昭会長も「スポーツ界の恥」と激しい怒りを見せていた。
だが今回の一件は、本来は称えられるべき勝者の存在を忘れさせるほど大騒ぎすることだったのか。メディアもこぞって川崎Fの選手たちの態度の悪さを批判し、「J史上初の賞金自主返還へ」などの見出しをつけた。でも、これだけの騒動になったことの方がよっぽど恥ずかしい。
ガムをかんで表彰式に出ることや、来賓と握手をしないなどの行為は間違いなく良くない。見る側にとっても不快に感じるものだ。だが、日本サッカー界のトップが報道陣の前で怒りを爆発させることや、それをきっかけに一方的に責め立てるように報じることも正しい振る舞いだとは思えない。来賓の前で自分たちの顔をつぶされたことが気にくわなかったから、報道陣の前で力を誇示するように憤りを示し、謝罪させたように感じた。来賓の前で恥をかかされたといって怒りを爆発させては、試合に負けた悔しさが間違った形で出てしまった川崎Fの選手と同じではないか?
確かに川崎Fの振る舞いは問題だが、クラブはもう少し自分たちの選手を守る姿勢を見せてもよかったと思う。権力を持つトップがこぞって不満を述べて、クラブは無条件で平謝り。川崎Fがしたことは、Jリーグに嫌われたくないから企業的な方法で謝罪し、形だけの誠意を示そうとしただけのこと。こう感じてしまうのは、今の僕が小説、ドラマで山崎豊子の世界にどっぷり浸かっていることだけが、理由じゃないだろう。運動会の開会宣言では「スポーツマンシップにのっとり…」との宣言が確実と言っていいほど行われている。選手にそれを求めるのであれば、関連する周りの人間もそれを意識すべきだ。
また、メダルを外したことがそれほど悪い行為だとは思わない。「カンプ・ノウの奇跡」と呼ばれる98-99シーズンのチャンピオンズリーグ決勝後の表彰式で、バイエルン・ミュンヘンDFローター・マテウスは準優勝のメダルをすぐに外していた。その姿は美しく、れは信じられない形で敗者となってしまった男の唯一の抵抗として、感動的ですらあった。今回の川崎Fの選手たちがマテウスの真似をしたとは思いたくないし、ラストチャンスに懸けていたマテウスとは違うものだけど、試合に負けた選手の気持ちももう少し考えてあげてもよかったのではないかと思う。
草サッカーだって試合に負ければ悔しい。大人だから、プロだから、注目の集まる決勝戦だから、と立場はさまざまある。でも大舞台だからこそ、負けた悔しさは我々の想像をはるかに上回るものなのではないだろうか。プロの選手である以上、人々の模範となる行動を取らなければいけないということはもちろんだけど、これだけの大騒ぎになったことの方がよっぽど問題だと感じる。ふてくされたような態度は改めよう。でも、恥の上塗りをしたことに対する責任も感じるべきだ。
見事な戦いをして優勝したFC東京は素晴らしかった。だからこそ、こんな騒ぎになってしまったことが悔やまれる。今回のことを「スポーツ界の恥」というのなら、それはこの騒動全体を指すのであり、発端となった川崎Fの選手だけではない。敗者の心情を理解しない者に、スポーツマンシップという言葉を悪用してほしくない。
文/中嶋信介