選手を引退しても、あの場に立ちたい、行きたい場所【W杯を戦うこと:森島寛晃氏】

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今やW杯という舞台での議論ができるようになった日本のサッカー。しかし、その出場権をつかむためには長い時間と先人の努力があった。初出場となった1998年フランス大会、そして2002年日韓大会を経験した森島寛晃氏。ロシア大会を前にしたいまだからこそ、胸に響く言葉がある。

まもなく開幕するロシア・ワールドカップ。日本代表としては6大会連続となる出場だが、決して「出て当たり前」の大会ではない。様々な歴史が積み重なって、「今」がある。大会直前の監督交代に揺れる日本代表だが、どんな時、どんな状況でも、日の丸を身に着けて戦う重み、責任、誇りは同じ。

過去にW杯を戦ってきた選手たちは、何を考え、世界と対峙してきたのか。現在にもつながる不変の真理はあるはずだ。初出場となった1998年のフランス大会、日韓共催となった2002年大会で日の丸を背負って戦った森島寛晃氏(現・セレッソ大阪強化部)に、当時の話を伺った。

■初戦を迎えたときの気持ちは忘れられない

――ロシア・ワールドカップが開幕します。1998年フランス大会、2002年日韓大会と2大会連続で出場された森島さんにとって、W杯の思い出は?

日本が最初にW杯に出た98年は、カズさん(三浦知良/現横浜FC)や北澤(豪/現解説者)さんらベテラン選手が外れた中、僕たち若手がメンバーに入りました。僕自身は北澤さんとポジションも重なっていて、当落選上で最後まで選ばれるかどうか分からなかったのですが、日本が初めて出た大会で自分も経験させてもらえたのはうれしかったです。今でもグループリーグ初戦のアルゼンチン戦(※)を迎えたときの気持ちの高ぶりは忘れられないですね。

フランス大会は厳しい予選を勝ち抜いて本戦を迎えたんですけど、日韓大会は(開催国のため)予選がなかったので、また違った形でしたね。日本での開催で、ホームの盛り上がりを力に変えて戦う喜びを感じました。個人的には、セレッソ大阪のホームグラウンドである長居でプレーできたことはうれしかったですね。

※1998年フランス大会、日本サッカーにとって歴史的な一戦は、1998年6月14日・トゥールーズで開催された。ガブリエル・バティストゥータに決められて日本は0-1で敗戦。森島氏は出場せず。【先発】GK川口能活(SC相模原)、DF名良橋晃(解説者)、井原正巳(アビスパ福岡監督)、中西永輔(解説者)、秋田豊(解説者)、相馬直樹(町田ゼルビア監督)、MF名波浩(ジュビロ磐田監督)、中田英寿、山口素弘(名古屋グランパスアカデミーダイレクター)、FW城彰二(解説者)、中山雅史(アスルクラロ沼津)【交代】MF平野孝(解説者) 、FW呂比須ワグナー(指導者)【控え】GK小島伸幸(解説者)、楢﨑正剛(名古屋グランパス)、DF小村徳男(解説者・指導者)、斉藤俊秀(U-16/15日本代表コーチ)、MF服部年宏(磐田強化部長)、伊東輝悦(アスルクラロ沼津)、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)、森島寛晃、FW岡野雅行(ガイナーレ鳥取代表取締役GM)【監督】岡田武史(敬称略)

――W杯に出ることは、サッカーを始めた頃からの憧れでしたか?

W杯と言ったらマラドーナが大活躍したメキシコ大会(1986年)のインパクトが強いです。小さい頃は、常にマラドーナのプレーを真似していました。“神の手”や“5人抜きドリブル”など、全員が真似をして、「ウチのチームにマラドーナは何人いるのかな」というくらい(笑)。日本はなかなか出られなかった大会でしたけど、与える影響力は強いですし、いろんな国の選手たちのプレーを目にできる、憧れの舞台でしたね。

――いつしか、W杯が見る大会からプレーをする大会へと変わっていきました。

(1993年に)Jリーグができたことが大きかったですよね。この年にはドーハの悲劇(※1)もありました。いろんな経験を重ねて、Jリーグも選手も成長していく中で、初めてのW杯出場につながったと思います。Jリーグ誕生とともに、選手も日本サッカー界自体もW杯に行くという思いは強くなった。“野人・岡野”がジョホールバルで決めたゴールで扉をこじ開けた(※2)。僕はあの試合に出ていませんが、W杯に出られると決まった時の喜びは強かったですね。「どういうところだろう?」という、行ってみないと分からない舞台を初めて経験するわけですから。

※1 ドーハの悲劇。1994年W杯アメリカ大会アジア地区最終予選・最終節。1993年10月28日、カタール・ドーハ。W杯初出場を懸けてイラクと戦った日本は、後半アディショナルタイムに失点を喫し、出場は幻と化した。※2 ジョホールバルの歓喜。1998年W杯フランス大会アジア地区第3代表決定戦。1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバル。第3代表をイランと争った日本は、2-2で迎えた延長後半の118分、岡野のゴールデンゴールで初のW杯出場を決めた。

■一つひとつの経験が次につながっていった

――ワクワクする気持ちもあった?

ワクワクしましたね。「どんな舞台なんだろう?」と。今まで見るだけだった世界に自分たちが行ける。(フランス大会で)アルゼンチンとの初戦を迎えたとき、自分はベンチでしたけど、今まで外から見ていたアルゼンチンが自分たちの相手として同じ舞台に立っている。

98年はいろんな部分でサッカー界も選手たちも初めての経験ばかりでした。(W杯では)1勝もできませんでしたが、そこで「もっと成長していかないといけない」という思いをした経験が、次の大会につながったのだと思います。2002年の日韓大会では、初戦で初めて勝ち点を取りました(vsベルギー、2-2)。その次のロシアに勝ったのが、初めての勝利でした(1-0)。一つひとつの経験が大きく、さらに次へつながっていったと思います。ロシア戦は出ていないんですけどね。僕が出ないほうが、いい結果が出るんじゃないかなと(苦笑)。

――グループリーグ3戦目のチュニジア戦では、ヤンマースタジアム長居でゴールを決められました。

その話くらいしか、僕がW杯について語ることはないですよ(笑)。2大会連続で出ましたけど、出場時間の合計は1試合分にも満たないくらいですから。その中で、長居でゴールを決められたこと、憧れの舞台でゴールできたことは、非常にうれしかったですね。いまだにW杯の時期が来ると、こういったお話もさせてもらえますしね。あの試合があってのことだと思います。あの得点は、ネタのように毎回しゃべりますけど、10年以上経っても「あのゴールは忘れられない」と言っていただくのですが、「すごかったね、ダイビングヘッド」って言われますから(苦笑)。時代とともにゴールの記憶も変わっていくんだなと(笑)。ヘディングを決めたのはヒデ(中田英寿)ですから。このネタ、いつまでしゃべるのかな(笑)

――先発ではなかったですが、後半開始から交代で入ったときの思いは?

初戦のベルギー戦に途中から出してもらって、2戦目は出番がなくて、3戦目は長居だったので、自分の中でも準備はできていました。気持ちも高ぶっていました。監督もチャンスをくれるんじゃないかな?と思って、準備はしていました。「後半の頭から行くぞ」というトルシエ監督の空気感があり、思ったより出番が早かったという感じはしました。

後半開始からイチ(市川大祐/現清水エスパルス普及部)と2人で試合に入って。最初から入ったことで、入りやすさはありました。得点に絡むことが自分の仕事なので、「シュートを打ってやろう」という思いは強かったです。(ゴールは)「ファーストタッチだったね」と言われるんですけど、実は最初にキックオフしているんですよ。ファーストタッチのほうがきれいでしたけどね(笑)。

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▲チュニジア戦の48分、中田英寿の縦パスを相手DFが防いだこぼれに反応し、右足を振り抜いた

――あのシュートのイメージはあったんですか?

いえ。自分自身、Jリーグでのゴールを振り返ってみても、ああいう思い切って振り抜いたゴールは少ない。自分は、押し込んだり、アグレッシブなゴールが多いタイプで。ああやって狙いすまして決められる技術があれば、Jリーグでもゴンさん(中山雅史)の次くらいに点を取っていますよ(苦笑)。ただ、ああいう思い切りも、長居という舞台が出させてくれたような感じもします。長居はずっとやってきたスタジアムですし、プレーしやすさはありましたね。

――決めた後の記憶や歓声については、今でも鮮明に残っていますか?

当時は、だいぶロングシュートを決めたような感覚でしたけど、実際はペナルティーエリアの中に入っていました。あとは、決めた後、ベンチに走って行くんですけど、これまでそういう喜び方はあまりしたことがなかった。みんなと抱き合っている姿を見ると、だいぶ興奮していたんだなと。あの場面は、その後、ビデオがすり減るくらい何回も見ました(笑)

■率先して場を盛り上げていたのはゴンさん

――日韓大会を率いたフィリップ・トルシエ監督は厳しいイメージで、チームとしても、選手一人ひとりのキャラクターや個性が強かったと思いますが、チームの結束は強かったように感じます。

あの大会は、ツネさま(宮本恒靖/ガンバ大阪U-23監督)たちの世代と、その下の小野伸二たちの世代が合わさったチームでした。その若さの中に、ゴンさん(中山雅史/アスルクラロ沼津)、秋田さん(秋田豊/解説者)が入ってバランスを取った形だと思います。

ゴンさんと秋田さんは、出場機会が少なくても常に練習から先頭に立って声を出していました。楽しくやるところ、厳しくやるところをしっかりと使い分けて、チームがまとまりました。W杯を戦う上で、全員が出られるわけではない。そんな中、あの二人が常に声を出しながら練習されていたので、みんなが「頑張ろう」という気持ちになりました。あの2人がいなければ、最年長は僕でしたから。それではちょっと物足りない(苦笑)。

――グラウンド以外で結束を高め合うことも?

トルシエ監督は、「厳しい監督」だと周りからは言われていましたけど、試合が終わった日の夜は、ホテル内でゆっくり食事しながら話をしていい時間もありました。バーベキューも2、3回やりました。家族を呼んでいい時間もありましたし、選手だけではなく、スタッフを含めた雰囲気作りはうまかったと思います。締めるところと緩めるところをうまく使い分けていたと思いますね。そういった中で、みんなで「やってやろう」という雰囲気が自然と生まれてきました。

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▲日本がW杯で2つ目の勝利を挙げた試合後、GK川口能活(向かって左)と。右端は常にチームを鼓舞し続けた中山雅史

――率先して場を盛り上げる選手は誰でしたか?

やっぱりゴンさんかな。先輩でありながら、周りからもイジられて、いい空気を作ってくれました。若い年代で言うと、誰だろう。でも、選手がプールに投げられた時もゴンさんが音頭を取っていましたしね。結局、全員が順番に投げられて(笑)。ゴンさんに言われると、飛び込むしかない(苦笑)。空気が和らぐ時間はあったし、息抜きする時間があったことで、チームは一つになったと思います。ただ、その翌日は走りからスタートしたり、厳しい練習もありました。

――W杯はやはり特別な舞台です。ここに立つことの意義や価値を教えてください。

選手を引退しても、あの場に立ちたい思いはあるし、行きたいですよね。大会の中で新しく注目される選手たちも出てきますし、大会を通じて個人もチームも存在を発していける大きな場でもあります。

世界中で注目されているので、出るべきだし、自分もプレーできなくても、見に行きたいと思います。1998年に初めてW杯に出てから20年が経ちました。この間、海外でプレーする選手は増えていますし、海外でプレーして戻ってきた選手も含めたら、間違いなく世界を経験してきた選手は多くなっている。スキルは上がっているし、意識も高まっています。日本代表のレベルは上がっている。もちろん、スピード感を含めて世界のサッカーもどんどん進化していますけど、日本もここまで5大会連続でW杯に出る中で成長しています。

6度目の今大会も、監督が代わったばかりという難しい状況ですが、逆にこういった状況でどういうチームになっていくのか。チームを引っ張っていける選手は多いと思いますし、そういう選手が一人でも多く出てくることで、チームとしても勢いが付くと思います。楽しみですね。

■ミスター・セレッソからのエール

現役当時、「日本一腰の低いJリーガー」と呼ばれて誰からも愛されていた森島寛晃氏。クラブの要職に就いている現在もその親しみやすさは変わらず、今回のインタビューでも、時にユーモアを交え、過去の記憶を辿ってくれた。

初のW杯出場で3戦全敗に終わったフランス大会。決勝トーナメント進出という成果を出した日韓大会。合わせて「1試合分にも満たない出場時間」と本人は謙遜して振り返るが、日韓大会では歴史的なゴールも挙げており、今でもその雄姿は大会のたびに語り継がれている。「世界が注目する大会で、いい意味で、『俺がやってやろう』とチームを引っ張っていく選手が一人でも二人でも出てきて欲しい」と森島氏は話す。「(山口)蛍、(香川)真司、(乾)貴士。この3人には特に期待しています」。最後はそうエールを送り、インタビューを締めくくった“ミスター・セレッソ”でした。

取材・文=小田尚史

 

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