苦悩と悲しみを歓喜に…シャペコエンセ復活という信じられないストーリー

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悲劇が起きてからのシャペコエンセのシーズンは奇跡といってもよいものであろう。関係する人たち皆の総力が結集された証である。

あと一歩でコパ・スダメリカーナを掲げるというシャペコエンセの夢は、最悪の悪夢へと変わっていった。シャペコエンセのメンバー、クラブ首脳陣、そしてジャーナリスト達を乗せたチャーター機は、2016年11月28日、アトレティコ・ナシオナルとの決勝ファーストレグへ向けた道中、メデリン郊外で墜落し、乗客77人中71人が亡くなり、サッカー界は悲嘆に暮れた。

燃料切れにより目的地まであとわずかというところでおきた事故により、シャペコエンセはほぼすべてを失ったようなものだった。シャペコエンセはその事故で尊敬すべき監督、カイオ・ジュニオールとともに19人の選手を亡くしたのだ。生存した選手はわずか3人で、悲劇により脚を失い選手としてのキャリアを終えざるを得なかった控えキーパーのジャクソン・フォルマン、そしてアラン・ルシェウとネトである。

現在でもクラブと密接に関わり、義肢で熱心にトレーニングに励んでいるフォルマンは、現実には叶わなかった決勝戦のことについてこう語る。

「決勝戦のことを思い描いたことがないといったら、それは嘘になるよ。我々がピッチに出て行く様子を思い描いたりしたんだ。普段通り、素晴らしい試合になったはずだった。我々はアウェーではとても強かったからね」

キーパーのダニーロは悲劇のシンボルだった。当時31歳のダニーロは、セリエBにいたときからシャペコエンセでプレーをしており、スダメリカーナではインデペンディエンテ戦のPK合戦で4本のPKをセーブ、そして次のサンロレンソ戦では至近距離からのシュートを信じられないようなセーブでストップし、チームを決勝に導いたのだ。その後命を落とすことになったものの、墜落直後は彼は生存しており、墜落機の中から妻に電話をかけていた。

「何があろうと愛している」

それが彼の最後の言葉だったとパートナーのレティシアは語っている。彼は小さな息子を残してこの世を去った。

Alessandro Florenzi Roma Chapecoense Chapecoense Südamerika 040417 Chapecoense

ダニーロとフォルマンのいないシャペコエンセのゴールを今シーズン守るジャンドレイは、彼らに敬意を表してプレーをしていると語る。

「(ゴールを守ることは)名誉なことであり、大きな責任感を持っているよ。まだクラブにいるニヴァウドや悲しいことにもう我々と一緒にいることはできないダニーロ、そしてもちろんフォルマンといった人たちが歴史を築いてきたゴールマウスを守っているということをよくわかっているんだ。どれだけの責任があって、どれだけ重要かということもね」

そしてこう続けた。

「だから全力を尽くして自分のプレーを認めてもらいたいし、すべての人たち、とくにダニーロへの敬意を表してプレーしなければならないと思っているよ。ダニーロは4本のPKを止めて、チームを決勝に導いたからね。それはシャペコエンセの歴史に刻まれる出来事だ」

シャペコエンセは主力メンバーの大半を失ったため、移籍金なしという寛大な対応でレンタル加入の選手たちを組み合わせてチームを構成することになった。だがそれは決して容易なことではない。ところが大方の予想に反して、急ごしらえのチームは期待を上回る結果を残している。あの忌まわしい悲劇から12カ月が経過した今、犠牲者の思い出がつまったクラブは大惨事から立ち上がって見せた。

コパ・リベルタドーレスのラヌース戦で出場停止処分中であるはずの選手を出場させるという失態によりノックアウトステージの進出は阻まれてしまったが、シャペコエンセはサンタ・カタリーナ州王座を保持し、セリエAでは現在8位に位置して2018年のリベルタドーレス出場権獲得が狙える状況だ。誰にも恥じることのない見事なシーズンを送る。

「ここでは皆が同じ方向を向いていて、シャペコエンセを助けようと必死にやっている」

サンパウロからレンタルされ今シーズン好調の立役者の一人であるレイナウドはそう説明してくれた。レイナウドの証言によれば、2016年11月28日の苦悩を歓喜に変えるという挑戦が今年、クラブ全体にとって大きなモチベーションになっているようだ。

「僕たちは皆、サポーターに笑顔を届けたいんだよ。喜びなくしてサッカーなどありえないからね」

だが、ピッチを離れればほとんど何も変わっていないのが現実だ。最初に数人の逮捕者が出たあとラミア航空のチャーター機が登録された運航免許は停止された。しかしそれ以後、1年たっても特に変わったことはない。

「(事故に関する)捜査はほとんどもう存在していない」

ラミア航空のCEOの弁護士を務めたジェルジェス・ジュスティニアーノはメディアに対してそのような発言をしている。

それに南米全土で見てもチャーター機を使うという習慣が変化しているわけでもない。非常に限られた予算で運営している南米のクラブやチームの移動を管轄している者達は、移動にかかる経費を最小限にとどめるために、これからもリスクを取り続けることになるのは明らかだろう。

今年のリベルタドーレスで決勝に進出したグレミオは、チャーター機の問題でボリビアからブラジルまでをエクアドルの軍用機で移動したり、アトレティコ・トゥクマンはチャーター機の大幅な遅延により空港から警察の先導による、恐ろしいほど速い運転のバスを経験しなければならなかった。長い移動が強いられるアウェーの試合で、安全性に対する予算の見直しが必要であろう。

Chape PS

シャペコエンセの出来事は悲劇としか言いようがない。しかし、もしこの悲劇が我々に何かを教えてくれたとすれば、それは日々を精一杯に生きることの重要性だろう。フォルマンはそれを自身の胸に刻み、事故によりプロサッカー選手としてのキャリアやチームメイトを失ったにもかかわらず、生きていること自体がありがたいことだと感じている。

「私の人生は素晴らしいものだ。今では私はとても多くのことができる誇り高き切断障害者なんだよ。サッカーだってできるし、車を運転したり、いろんなスポーツをすることもできる。とても幸せだね。それに今はクラブで毎日トレーニングしているんだ。それが私にとっては非常に良いことなんだ。今は多くのことを学ぶべき時で、できるだけ多くのことを実践していきたいね」

そして、前向きな言葉を付け加えることも忘れなかった。

「こういう機会を授けてくれた神に感謝しているよ。もう一度生きるチャンスを与えてくれたことをね。1日1日を大切にしたいと思っているし、私を成長させてくれるすべての人たちの助けになりたいと持っているよ。それが我々生き残った者達がするべきことだと思うんだ」

ラミア航空機事故はブラジルと南米全体を心底まで震えさせた。あまりに嘆かわしい惨事であり、メデリン郊外の山中に墜落した飛行機についてはまだまだ明らかにされるべきことがある。しかしフォルマンやネト、ルシェウのような生存者と壊れかけたシャペコエンセの再建に貢献した選手達の超人的な努力により、あの悲劇からの回復の兆しが現れている。

すべてが失われたかに思われたクラブがもう一度立ち上がり、かつてのキーパーがいまもポジティブな人生を送っていることはこれからの大きな希望である。そして、悲劇から1年経った今でも我々の記憶に残っているということはとても大切なことなのだ。

 文=ガブリエレ・パジーニ&ダニエル・エドワード/Gabriel Pazini & Daniel Edwards

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