戦争がもたらした悪夢、そしてワールドカップへの夢…シリア代表の抱えるジレンマ

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イランと引き分けたことで、2018年ロシア・ワールドカップ出場へプレーオフに挑むシリア代表。しかし、中東の代表チームにとって“素敵な”物語とは言い難いようだ。

あの中継映像、あの実況アナウンサーの感動に震える声は世界中を駆け巡った。

現地時間9月5日に行われたロシア・ワールドカップアジア最終予選グループAの最終戦で、シリア代表は首位のイラン代表と対戦。イランのホームで行われた試合で、後半アディショナルタイムにFWオマル・アル・ソーマが同点ゴールを挙げて2-2の引き分けに持ち込んだ。

これによりシリア代表は最終戦でウズベキスタン代表をかわしてプレーオフ出場となる3位に浮上し、史上初となるワールドカップ出場へ大きな一歩を踏み出した。2011年から内戦で苦しむ国にとって、歓喜の夜となり、奇跡の物語となった。

■シリア代表とは?

Syrian refugees on a train track

まず理解すべきなのは、シリアは現在の政治体制の状況から、文字通り“カオス”に飲み込まれているという点だ。

簡単にまとめると、領土の大部分はイスラム教シーア派のバッシャール・アル=アサド大統領が率いる政府軍が支配下に置く。敵対する反政府勢力の自由シリア軍は欧米諸国およびスンニ派イスラム諸国が支援を受け、アレッポ近郊およびダマスカス南部の2地域を支配している。国内は完全に統制が失われている状況から、他の2勢力(北部のトルコとの国境付近にクルド人民防衛隊、東部のイラクとの国境付近にイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」)にシリア国土の多くを占領されるに至った。

FIFA(国際サッカー連盟)は、現地のサッカー協会が編成したチームをサッカー・シリア代表として公認している。しかし2011年から今日に至るまで、約50万人の犠牲者を出した内戦の最中、アサド政権は影響下にあるサッカー協会をもプロパガンダの1つとして捉えている。

元サッカー選手のアイマン・カシートが『ESPN』のルポルタージュ(現地報告)『独裁者のチーム』で告発している。

「FIFAの規定と下された決定は矛盾している。理論上、政府の介入があった場合、協会は活動を停止されるべきだが、シリアについてこのような措置は取られなかった。だがスタジアムは軍の倉庫として利用されたり、若手サッカー選手が亡くなったり、投獄されたりするなど動かぬ事実がある」

このような状況下では、多くの選手にとって母国の代表チームでプレーするか否かの選択はスポーツ上の決断である以前に道義上、解決しがたいジレンマとなる。内戦が勃発してから、多くのシリア代表選手が代表招集を拒否し、“サッカー亡命”を選んだ。だが一部の選手にとっては長期にわたり、拒否を続けることは際立って難しかったと言える。

高い人気を誇るFWフィラース・アル・ハティーブもその1人だ。クウェートや中国で高給を手にするキャリアを送っていたが、6年間招集拒否を続けたのち、ボイコットに終止符を打って代表ユニフォームをまとった。

しかし彼の選択は万人に受け入れられたわけではない。内心の葛藤は今も続いている。ワールドカップへ行きたいという純粋な夢と、冷酷な独裁政権の旗の下で戦うことの罪悪感…。その間で”宙ぶらりん”となった選手たちの気持ちを代弁した。

「毎晩、眠りにつく前に1時間、2時間、何時間も自分の決断について考えてしまう。ボイコットを決めた時、アサドが生きている限りプレーすることはないと考えていた。今、なぜ考えを変えたのかと聞かれる。政治ではなく、サッカーのことを考えて決断した。幸せになりたいし、幸せになれる何かが欲しい。今のシリアではすべてが悲しみを呼ぶ」

しかし、アル・ハティーブとチームメートであるDFフィラース・アル・アリの決断は違った。トルコ・カルケミシュにある難民キャンプで『ESPN』が行ったインタビューでは、「僕が代表に戻ることはないし、後悔もしていない。あの国旗の下で、700万人のシリア難民や虐殺の責任者である人物の名の下でプレーする気分になんかなれない」と語り、代表復帰を完全に否定している。

■母国から9000キロ離れたホーム

Syria face Singapore in AFC Asian Cup qualifying

シリア代表は当然、ホームの試合を本拠地のアレッポ国際スタジアムで開催することはできない。代表戦のホーム開催試合を海外で行うことはこれが初めてのケースでも唯一のケースでもない。施設上の問題からジブラルタルやコソボがそれぞれポルトガルやアルバニアで開催しているが、シリアの問題はずっと根深い。代替開催を受け入れてくれる国を探さなければならないが、政治問題も波及する。

2次予選はオマーンで開催されたが、最終予選では開催地変更を余儀なくされた。当初、候補地としてマカオが挙げられた。アジア有数のカジノを持つことで知られるマカオは、中国や韓国との対戦が予定されているシリアを受け入れることで、多くのサッカーファンの来客を期待した。

だが『BBC』のルポルタージュ『シリア…最前線のフットボール』で紹介されているように、マカオからシリアサッカー協会に対し1試合あたり15万ドル(約1700万円)を支払うとの条件が提示されたが、アサド政権との通商が禁じられていたため、受け入れは叶わなかった。このため妥協案を探ることになり、マレーシアが浮上した。スンニ派が大多数を占めるイスラム国家で、すでにイラクのホーム開催試合を受け入れていた。AFC(アジアサッカー連盟)が莫大な移動費用を負担し、強力なサポートを提供したことで実現に至った。

■サッカーへの情熱

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シリア人のサッカーへの情熱は今に始まった話ではない。だが代表の競争力が著しく高まったのは、ここ10~15年のことと言える。きっかけは2005年、オランダで開催されたU-20ワールドカップに参戦したことだ。大会ではGKエミリアーノ・ヴィヴィアーノ、MFアントニオ・ノチェリーノ、FWグラツィアーノ・ペッレを擁するイタリアを2-1で破る歴史的快挙を見せた。その後の決勝トーナメントでは現バイエルンDFラフィーニャのPKでブラジルに敗れてしまったが、この飛躍でシリア国内においてサッカーを志すものが増えたと言っても過言ではない。

2005年6月15日、ティルブルフで行われたあの試合で輝いた2人のエースストライカーはそれぞれ別々の運命をたどった。MFアブデルラザーク・アル・フサインは現在も代表選手を務める一方、決勝点を挙げたFWモハメド・アル・ハムウィは内戦勃発後の2012年に代表チームを離れた。以来、クウェート、ヨルダン、バーレーンを渡り歩いてプロ選手としてのキャリアを続けた。

W杯予選の歴史を辿ると、2010年の南アフリカ・ワールドカップ予選では、アラブ首長国連邦(UAE)にわずか1ゴール差及ばず、3次予選で敗退。

その4年後のブラジル・ワールドカップ予選では、タジキスタン戦で出場資格を持たない選手を不注意にも起用し、記録上で0-3のスコアになり、2次予選で失格。ワールドカップへの夢は砕け散った。

しかし、2018年のロシア大会へ向けては順調に進んだ。2次予選でシンガポール、アフガニスタン、カンボジアを抑えて2位につけた。だが首位の日本には2連敗を喫し、いずれも完敗に終わっている。最終予選では、韓国と引き分けるなど好スタートを切ると、中国やウズベキスタンから勝利を収め、最終戦では首位のイランと引き分けて3位の座を奪取。2005年のU-20ワールドカップ以来、シリアにとっては大きな一歩を踏み出した。

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しかし、ロシアへの切符を獲得するためには、ここから厳しい4試合が待っている。次はオーストラリアとのアジア・プレーオフ2連戦。大方の予想は「オーストラリア勝利」と一方的だが、この2連戦を勝ち抜くことができれば、北中米カリブ海予選4位と戦う大陸間プレーオフへ進出することができる。

勝利することで夢の続きを見られるが、同時に何が正しいのかという道義上のジレンマにも悩まされることになる。もし夢が続くのであれば、お決まりの“シンデレラ・ストーリー”と呼ぶ前にじっくりと考えて欲しい。

文=フェデリコ・カソッティ/Federico Casotti

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