フランスを支える縁の下の力持ち、マテュイディはどのような道を歩んできたのか?【W杯特別コラム】

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ジェイジェイ・オコチャに憧れる少年時代を送り、とあるラッパーからインスピレーションを得たゴールパフォーマンスを披露するマテュイディ。彼はチームメイトとともにW杯決勝を制し、故国フランスへタイトルを持ち帰ろうと意気込んでいる。

ロシア・ワールドカップで決勝まで勝ち進んだフランス代表の躍進を支えている、ある一人の選手の物語。アントワーヌ・グリーズマン?キリアン・ムバッペ?ウーゴ・ロリス?いや違う。ブレーズ・マテュイディだ。大会が始まる前までスタメンかどうかは当落線上の選手とみなされていたが、2戦目のペルー戦から左サイドで起用されると、守備では安定をもたらし、攻撃でもダイナミズムを加えた。決勝のクロアチア戦でも先発が濃厚なマテュイディの少年時代とはいかなるものだったのか。

MEP Blaise Matuidi Prancis - Belgia

■夢を抱いたきっかけ

少年は好奇心を燃やしながらこっそりと居間のドアへ忍び寄った。もうとっくに寝ているはずの時間だったけれど、何としてもPSG(パリ・サンジェルマン)の試合が見たかったのだ。ドアから頭を突っこんだまさにその時、あの憧れの選手が例によって目覚ましい一撃を放ち、キーパーの頭上を越えたボールがファーサイド目がけて飛んでいった。見事、“命中”!夢のように素晴らしいジェイジェイ・オコチャのゴールだった。

2016年にあのスポーツメーカー、ナイキの広告を飾ることになる少年は、その時あんぐりと口を開け、今まさに目にしたものに魅入られていた。若き日のブレーズ・マテュイディはフットボール以外にたいして楽しみもないパリ郊外のフォントネー=スー=ボワで、PSGのスターたちに夢中になりながら子供時代を過ごしていた。

15日にモスクワで行われる決勝戦でフランス代表と共にタイトルを狙うマテュイディは語る。「子供の頃、僕のお気に入りはジェイジェイ・オコチャだった。彼はその素晴らしいボール捌きでチームやファンをぐんぐん押していく、そんなプレーヤーだったよ」。現在31歳になるマテュイディにとって、元ナイジェリアのスーパースターのオコチャが1998年から2002年までプレーしていたPSGで、「いつの日か自分もプレーするのが夢だった」という。

■オコチャの後ろ姿を追いかけた少年時代

オコチャのトリックやスキルを真似することに努めたマテュイディは、すぐにフォントネー=スー=ボワで頭角を現した。オコチャがパリにやって来たその年、11歳のマテュイディは少し大きめのクラブCO ヴァンセノアへ入団し、そこで1シーズンの間、現在FCポルトのスター選手であるヤシン・ブラヒミと一緒にプレーしていた。そして1999年、12歳になった頃には、パリ首都圏で同年代の最優秀選手の一人に選ばれた。

マテュイディの才能は地域を超えて認められるようになり、それと同時に難しい決断を迫られることになった。13歳の時にフランスのフットボールクラブの有名な育成機関であるクレールフォンテーヌ国立養成所から打診を受け、無条件で受け入れようという話が持ち上がったのだ。

「そんなに若い年齢で、両親や家族とほとんど完全に離れて、森の中で暮らすことを当たり前のように求められたんだ。実際、クレールフォンテーヌにはただ森しかないんだからね」

マテュイディは『パリスマッチ』誌のインタビューで苦いジョークを交えて当時を回顧する。だが、彼はフットボールへの情熱に駆り立てられて旅立った。3年間というもの平日をクレールフォンテーヌで送り、最高レベルの練習と試合に慣れ親しんだ。週末は帰宅を許され、ヴァンセノアの仲間たちとのプレーを続けていた。

クレールフォンテーヌでは周りの少年たちがひっきりなしに家を恋しがって泣いていたが、マテュイディは常に何が何でも頑張り通した。

「僕はフットボールをとても愛しているから、つらいことも少しも気にならなかったよ。もちろん僕は犠牲を払ったけれど、それはそんなに重要なことじゃなかった。僕はただ何よりフットボールがやりたかったし、あそこでは毎日まさにそれができたんだから。おまけに、とても素晴らしいプレーヤーやトレーナーに囲まれてね」

その甲斐あって、マテュイディは17歳で2部リーグのトロワACと契約を結んだ。クラブが昇格したため、1年後に18歳でリーグ・アンにデビューを飾り、トロワのレギュラーメンバーになった。その後ASサンテティエンヌを経て、2011年にはついにPSGへの移籍が実現し、夢が現実になったのだ。

Blaise Matuidi PSG

■ニスカにインスパイアされたゴールパフォーマンス

マテュイディは71回に渡って代表入りを果たし、ロシアW杯ではディディエ・デシャン指揮下のフランス代表が決勝に至るまでに道のりにおいて、中盤で重要な役割を担ってきた。その彼は、2017年の夏以来トリノのユヴェントスでプレーしている。だが、これから先もずっと、彼のキャリアで最も大きな意味を持ち続けるのは、自分の街の地元のクラブであるPSGで過ごした6年間だろう。それは、4度のリーグ優勝と3度のカップ戦制覇という戦績だけではない。

Blaise Matuidi Juventus Genoa 22012018

フランス全土で最も成功を収めたラッパーの一人に数えられるパリ生まれのニスカは、『ネットフリックス』が制作したドキュメンタリー『ストリートフットボール』の中で、「マテュイディは俺たちの物の見方や感じ方を代表してるのさ」と語る。両腕を大きく広げる、マテュイディのよく知られたゴールパフォーマンスは、ニスカと彼のラップバンドからインスピレーションを得たものだ。ニスカは『フリースタイルPSG』という曲のMVでマテュイディを称えている。「マテュイディ・シャロ」という叫び声の入るこのMVのユーチューブでの視聴回数は、これまでに8000万回を超えている。

ニスカが身につける服のマークにもなっている「シャロ」という言葉――マテュイディもこのマークの入ったTシャツを着るのが好きだ――、これはニスカがマテュイディのどこに価値を見出しているかを表している。「シャロ」は「シャロニャー」の短縮形で、スカベンジャー(ハゲタカなどの腐肉食動物=不要物である死骸を栄養として摂り入れ、生態系に貢献する)を意味するフランス語だ。「この表現は俺の友人たちや俺がラップを始めた時の立場を表している。俺たちが音楽で表現したいと思っている “無から出発して無限を目指す”という姿勢なんだ。で、実際マテュイディがまさにそれを代表してるってことなんだよ。あいつはピッチの上で決してへこたれないし、スタートの時にはほんのわずかな物しか持ってなかったんだからね」と、ニュースサイト『ヴァンミヌート』にニスカは語っている。つまり両腕を大きく開いたマテュイディの有名なパフォーマンスは、翼を広げたハゲタカのイメージに触発されたものなのだ。

Blaise Matuidi PSG 2015

パリで、とりわけその郊外では、マテュイディは英雄でありアイドルである。以前ならPSGで、今ならユヴェントスやフランス代表チームで、マテュイディがプレーするのを見るためなら、眠ってなんかいられないという子供たちがきっと大勢いることだろう。そう、オコチャの活躍に胸を躍らせていた当時のマテュイディ自身と同じように。

文=オリヴァー・マイヴュルム/Oliver Maywurm

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